和菓子街道 東海道 鳴海

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絞り染め屋敷と蔵のある町、有松・鳴海

 池鯉鮒宿から阿野の一里塚、桶狭間古戦場跡を経て、道は国道一号線と別れて間の宿・有松へと旅人を導く。徳川五代将軍綱吉の頃から急速に発展した絞り染めで潤った有松には、豪商たちの威風堂々たる塗籠造りの商家やなまこ壁の蔵が今も建ち並んでいる。江戸から明治にかけて建てられた歴史的建造物で有松絞りを売る問屋や商店は今も少なくない。

 時代が止まったような錯覚さえ感じさせる有松の町並みだが、意外にも江戸時代から続いているといったような食事処や菓子屋はほとんどない。もっとも、かつては呉服問屋だったという建物を利用したうどん屋や和カフェ、食事処、ベーカリーなどがあり、歴史浪漫を感じながら食事をすることはできる。

 有松を出て民家がひしめき合う狭い旧道をゆけば、やがて東海道四十次目の鳴海宿に至る。有松からの延長で、鳴海もまた絞り染めで隆盛を極めた町だ。両者の間では絞りの販売権を巡る紛争もしばしば巻き起こったという。

 全国でも最古の松尾芭蕉供養塔を有する誓願寺をはじめ神社仏閣も多い鳴海で歴史散歩を楽しんだ後は、天白川を渡って笠寺の一里塚で一休み。さらにその先の笠寺観音で旅の安全を祈って先を行けば、道はいよいよ宮の宿、名古屋の街へと吸い込まれてゆく。

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その他のおいしい立ち寄り情報

菊屋茂富
  菓子: 鳴海潟(1個65円)、わらび餅(1個220円)
       大島きんとん(1個190円)、もろこし餅(1個63円)
  住所: 愛知県名古屋市緑区鳴海町相原町28
  電話: 052-621-0130
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 火曜日
  URL: http://www.mc.ccnw.ne.jp/kikuya/

 鳴海宿に入ってしばらくすると、松尾芭蕉が幾度か投宿したといわれる下郷家の屋敷を過ぎたところで街道は枡形に出くわす。この先には問屋場や本陣が続いており、ここからが宿場の中心の始まりといった位置づけの枡形であることが分かる。

 この枡形を成している角のところに、格子戸風の屋根隠しを掲げた店がある。安政4年(1857)の創業、初代の初次郎より五代続く老舗和菓子屋「菊屋茂富」だ。

菊屋では、創業の頃より、打ちものなどの干菓子や押し物を中心に製していたという。店内には古い菓子型なども展示されている。宿場通りの北側には寺が多く、菊屋でも寺の御用菓子を多く扱ってきたようだ。下町の饅頭屋というよりは、もう一歩格式の高い菓子屋だったのかもしれない。

ところで、前述の通り、鳴海の町で寺社が集中しているのは街道北側だが、これにはわけがある。鳴海という地名からも分かるように、このあたりはかつて、海に面していた。古代には海が内陸に進出した地形になっていて、小高い土地以外は全て海だったという。

 平安時代頃には海は徐々に衰退し、干潟を形成していった。鳴海から笠寺にかけての干潟が「鳴海潟」と呼ばれるようになったのは、鎌倉時代以降のこと。13世紀後半に阿仏尼が記した『十六夜日記』にも、引潮時の鳴海潟を歩いたといったようなことが書かれている。

また、この干潟では塩が作られていたらしく、今でも街道の南側には「塩屋町」「千竈」などといった地名が残っている。やがて時代と共に土砂の堆積などで海は遠のき、16世紀初期にもなると、北方の鎌倉街道の代わって新しくできた東海道の交通量が増え、街道南側のかつては海だった辺りにも徐々に家が建ちはじめた。しかし、古くからある寺社などは、そのまま街道北側に留まっているというわけだ。

干潟も遥か遠のいた江戸末期に暖簾を上げた菊屋だが、この地の歴史を感じさせる菓子を代々製してきた。その名も「鳴海潟」と呼ばれる干菓子だ。短冊状の阿波和三盆糖の表面には、波と千鳥の意匠が施されている。

 前述の『十六夜日記』にも、鳴海潟ではたくさんの千鳥が先導してくれたとあり、また、永徳3年(1383年)成立の勅撰和歌集『新後拾遺』にも「鳴海潟夕波千鳥立ちかへり友よひつきの浜に鳴く也」(厳阿上人)と詠まれている情景だ。太田道灌が『新古今集』にある古歌「遠くなり近くなるみの浜千鳥鳴く音に潮の満干をぞ知る」を引用して、潮が引いた干潟を行軍させたというのは、上総出陣の際の逸話だが、この歌でも「近くなるみ(鳴海)の浜千鳥」と詠まれているように、鳴海潟と千鳥は対語になっている。

 「鳴海潟」は菊屋の昔からの代表銘菓だが、茶所尾張の地とあって、上生菓子も豊富に取り揃えている。黒糖餡で白小豆の粒餡を包み、栗の甘煮をあしらった「大島きんとん」(黒糖産地である奄美大島にちなんで黒糖を使った菓子を大島と呼ぶ)は甘みが強く、黒糖の深い味わいが濃茶によく合う。柔らかな求肥でたっぷりの餡を包み、きめ細かい黄な粉をまぶした「わらび餅」もお薦めだ。

 店頭に並ぶ菓子の中で、「もろこし餅」という菓子が気になって由来を訊ねてみた。すると、実はこの菓子に限っては、菊屋製ではないのだという。同じく鳴海の宿場内にある「喜久家」(鳴海町向田104-1、電話052-621-2755)という店の菓子なのだが、店名からも察せられる通り、喜久家は菊屋から分家した親戚筋の店なのだそう。そして、「もろこし餅」はというと、東北産のきび科の植物もろこしの実を挽いて餅に練り込み、黄な粉をまぶした菓子。鳴海とは関係ないけれど、これはこれでおいしいお菓子だ。


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kikuya-narumigata.jpg「鳴海潟」
kikuya-oshima-warabi.jpg「大島きんとん」(手前)と「わらび餅」(奥)
kikuya-morokoshi.jpg「もろこし餅」
kikuya-master.jpg菊屋茂富五代目

三寿園
  菓子: 身がわ里もなか(1個105円)、古戦場勝栗(1個155円)
       黒大豆羊羹・紫宝(1棹1050円)、ば~むく~へん(小1個160円~)他
  住所: 愛知県豊明市阿野町西ノ海戸34
  電話: 0562-92-0737
  営業時間: 9:00~20:00
  定休日: 火曜日

 刈谷宿と鳴海宿の間辺り、名鉄線豊明駅前の旧東海道(現国一)沿いある三寿園は、慶応元年(1865)創業、この辺りでは随一の老舗だ。
 「ここからすぐ先が有松で、その先は鳴海宿です。鳴海は和菓子屋さんが多い町ですが、100年以上やっているとなると、少ないですね」

 そう語るのは、五代目のご主人・稲垣宝謙さんだ。店は創業当時、街道よりもう少し北東に入った阿野の集落の中にあったという。「海戸という今のこの店の住所からも分かるように、この辺りは昔は海に面していたんですね。ですから、東海道も海っぺりに伸びていたのではないかと思うのです。集落はもう少し内陸にあったのでしょう」(稲垣さん)

 三寿園が街道沿いに店を移したのは昭和2年(1927)になってからのこと。街道沿いで旅人の相手をするというよりもむしろ、地元の人々の生活の中にあった菓子屋だったようだ。残念ながら三寿園や稲垣家には古い文献などは残されておらず、店名の由来や菓子屋を始めたいきさつ、創業当時にどんな菓子を作っていたのかといったような具体的名ことは分かっていない。

 現在の三寿園の一番人気は「身がわ里もなか」、今から800年ほど前を舞台にした地元の伝説にちなんだ菓子だ。鎌倉時代の東海道が通る二村山に熊坂長範という悪人が住みつき、通りがかる旅人を切っては金めのものを奪っていた。ある日、奥州からはるばるやってきた金売り商人が通りかかった時のこと。これはしめたとばかりに、長範は刀を振り上げて商人に切りかかった。

 ところが、商人の体は痛くも痒くもなく、代わりにその場には刃跡のついたお地蔵さんが転がっていた。商人が日頃信心していた地蔵菩薩が身替わりになってくれたのだ。さすがの長範も肝を潰して逃げ出した…というのが伝説のあらましだ。

 今でもこの地蔵は二村山にあり、地元の人々によって大切に祀られている。身代わりになったお地蔵さんの胴につけられた刃跡を模った最中は、パリっとした餅だねの皮が香ばしい。自家製の粒餡も甘さはやや強めながらねっとりとしてコクがあり、濃いお茶によく合う。

 他にも、織田信長が今川よしもとを敗った桶狭間の古戦場にちなんだ「古戦場勝栗」や、地元豊明産の黒豆を使った羊羹「紫宝」などが人気を呼んでいる。また、ご主人が洋菓子屋で修業していたこともあり、洋菓子も見逃せない。特に、シナモンの味と香がアクセントのバウムクーヘンは、他ではちょっとお目にかかれない逸品だ。

 ところで、昭和になって街道の和菓子屋になったばかりの三寿園ではあるが、ご主人と現代の旅人とのつながりは決して浅くない。ご主人は、宿に困っている様子の旅人を何度か自宅に泊めたこともあるのだという。

 「もちろん、誰でもってわけじゃない。泊めるのは相手の人となりを見てからです。話が弾んで、今日はどこに泊まるの?といういう話になって、泊まるところが決まっていないと分かれば、うちでよければどうぞ、という話になるだけのことです。私以上に、家内が招待してうちに連れてくるんですね(笑)」(稲垣さん)

 夫婦揃って実に人がいい(くれぐれも最初から泊めてもらう目的でお店にお邪魔しないこと!!)。ご主人が言われるように、過去のことは分からないが、三寿園は少なくとも今は街道をゆく旅人を温かく見守ってくれる街道の和菓子屋なのだ。


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