和菓子街道 東海道 赤坂

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双子宿の御油からわずか十六町の赤坂宿

  「夏の月御油より出でて赤坂や」

 これは、夏の夜の短さと、御油~赤坂間の距離の短さを詠んだ松尾芭蕉の句だ。この句に詠われているように、両宿問屋間がわずか16町(約1.7km)と、東海道中最も短い区間である。その短い道のりの半分ほどが今でも松並木になっており、現代の東海道の代表的な散策路になっている。

 赤坂については、今からおよそ1300年ほど前の壬申の乱(672)の折に草壁皇子が宮路山に居を構えたという記述が見られており、古くから開けた地であったことが分かる。歴史や由緒のある神社仏閣も多く、また、戦国時代には街道の要所として重要視されていた。天正19年(1591)に池田輝政が赤坂宿に毎日馬46疋を常備するよう命じている。

 その後の慶長6年(1601)に徳川家康が東海道の伝馬制を定めるが、御油(五位)・赤坂合わせてひとつの朱印状を出したことから、当初は両宿でひとつの宿場として扱われていたことが窺える。しかしそれもほんの短い時期のことで、すぐにそれぞれ独立した宿場町へと発展することになる。

江戸時代も中頃になると、街道を行き来する人馬の数も増え、赤坂宿も旅籠が増えていっそうの賑わいを見せるようになった。享保18年(1733)には全400戸あった赤坂宿の人家だが、旅籠はその内の83軒にも上ったという。

 御油と共に赤坂の飯盛り女は東海道でも一際名高く、「赤坂狐」との異名まであった。客をたぶらかすのが上手だったのだろう。客も赤坂の飯盛り女には用心したようだ。今の赤坂は、かつての賑わいが幻だったかのような静けさの中にあり、かえってそれが趣のある町並みを作り上げている。

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その他のおいしい立ち寄り情報

大橋屋
  食事: 昼食・2100円~
  宿泊: 1泊2食1万円~
   ※いずれも要予約
  住所: 愛知県宝飯郡音羽町赤坂字紅里127
  電話: 0533-87-2450

 現在でも鄙びた細い旧道沿いに、ところどころ古めかしい家々が点在する赤坂宿だが、中でも大橋屋は、江戸時代と変わることなく商いを続けている貴重な歴史のお宿だ。

 慶安2年(1949)創業の大橋屋は、全盛期には間口9間、奥行23間もあったという大旅籠だった。旧屋号を伊右工門鯉屋といったが、明治期に酒を販売するようになってから、大橋屋の屋号に変えられた。おそらくこの地方の酒店に大橋屋という屋号が多かったからではないか、と19代目の現当主は推測するが、定かではないようだ。

 安藤広重による『東海道五十三次 赤坂旅舎招婦図』も、この大橋屋の様子を描いたものと言われている。広重の絵の中央に描かれた蘇鉄の木も、元々は大橋屋の中庭にあったものだ。その名の通り、鉄などを肥料にするとよく育つと言われる蘇鉄は「金を食う木」として商売には不向きとされており、明治になって家運が傾きかけた時、檀家寺の浄泉寺に移植されたという。

 現在の建物は、一部焼失してしまったものの、正徳6年(1716)に建てられたもので、煤で黒光りしている柱がその歴史を語っている。高い天井を見上げると、「大橋屋最大の謎」とされる煤けた俵が数個、梁の上に横たわっている。不安定に見えるが、かつて一度も落ちたことがなければ中身がこぼれたこともなく、火災・震災もものともせず、現在にまでそこに留まっているのだという。

 「一説には、建物を建てた際に籾殻入りの俵を梁の上に乗せるという慣わしがこの地方にあり、この俵もその風習によるものではないかと言われています。でも、実際に中を見た者はいないのです」と、19代目のご主人は語る。

 かつて一度だけ、中身の調査を試みた者があったが、俵の乗っている梁の手前にあるいくつもの細い横木に足をかけることができず、断念したという。「謎は謎のままでいい」というご主人の気持ち、なんとなく分かる気がする。古びた屋敷にはそれくらいの謎が似合うものだ。

 芭蕉が滞在したという2階の部屋は今でも残されており、一般宿泊客も寝泊りすることができるようになっている。べんがらの千本格子の間から街道を見下ろせば、気分はすっかり江戸時代。今にも街道を行く人々と留め女のやり取りが聞こえてきそうである。

 食事のみでの利用も受け付けており、地場の自然薯をたっぷりと使った名物の麦とろろ定食(2100円~)がお薦めだ。また、日中の見学も可能で、ご主人の興味深い解説を聞くこともできる。



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