和菓子街道 東海道 吉田 絹与

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吉田藩御用達菓子司、家伝の羊羹

 吉田宿の中心部、呉服町に瀟洒な佇まいの店を構える絹与。こじんまりとした店の中で売られているのは、羊羹と最中、打ちもの(干菓子)のみ。かつては呉服屋が集まっていた呉服町にあること、当初は絹屋という屋号だったことから、前身は呉服屋だったのではないかと言われている。恐らく立ち並ぶ呉服屋の中でも、絹屋は格式が高かったのであろう。徳川八代将軍吉宗が全国的に甘藷の栽培を奨励すると、吉田藩は絹屋に精糖を命じ、以来、菓子屋に転身したようだ。

 店の屋根瓦に刻まれていた年号が享保19年というから、恐らくそれ以前から店を構えていたことが窺えるが、確かな創業年は分かっていない。遡ることのできる歴代当主の名から、現在は九代目ということになっているが、実際には家柄としてはもっと古いのではないだろうか。とにかく、豊橋では現存する最古の菓子屋であることには違いないようだ。

 屋号は、三代目代目の与兵衛が自らの名の一字をとって絹与と改めた。江戸期の絹与(絹屋)の名物と言えば、煎茶売茶流の売茶翁の助言を受けて二代目が考案した「玉霰(たまあられ)」だった。本紅を使って真っ赤に染めた小粒の玉状の砂糖菓子で、砂糖が口の中で溶けると、舌や唾液は真っ赤になった。歌舞伎役者も、絹与の玉霰を口に含んで舞台に立ち、口から血のりを垂らす演技をしたのだとか。

 その玉霰用の木製振り出し箱が、絹与の店頭に展示されている。店に受け継がれてきたものではなく、さる旧家の家で発見されたものを譲り受けたのだという。木箱の側面の引き出しに玉霰を入れ、上面についた詮を外してからからと箱を振ると、ころんころんとあられのような小さな粒が出てくる。箱には、玉霰を用立てる菓子屋の意で「御用玉霰所」(ぎょくさんじょ)の文字。玉霰は吉田藩主や有栖川宮家、鷹司宮家、吉田藩を通る参勤交代の諸大名などに献上された。

 時代は下って、玉霰も次第に作られなくなっていったが、それにとって変わった絹与の名物が、羊羹である。和三盆糖を使ったコクのあるタイプが3種、氷砂糖を使ったさっぱりとしたタイプが3種ある。最近では餡は製餡業者に作ってもらっているという菓子屋が多いが、絹与では北海道産小豆や白花豆の皮の処理から始まって、餡も全て家内で手作りしている。

 羊羹を固める寒天は、茅野産の羊羹用特製品を使用。その他のこだわり材料を釜に入れ、竈で薪をくべながら炊いて、練り上げていく。和三盆や氷砂糖、国産れんげ蜂蜜など、今でも昔ながらの天然由来の甘味ばかりを使用しているため、甘みが強すぎず、さっぱりとしている。口当たりもさらっとしていて、各種豆の風味がしっかりと残っている。

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kinuyo-shaking-box.JPG「玉霰」の振り出し箱
kinuyo-coupon.JPG絹屋時代の商券。これと引き換えに菓子が買うことができた

 現在は、羊羹をはじめとする菓子を作っているのは、九代目のご主人と職人さん1人のふたりだけ。もちろん、量産はできない。天保の頃より用命を受けている豊川稲荷へは、くず湯の他に、大晦日の日の「お篭りさん」用に狐面の和三盆糖の打ちものを上げているが、年の瀬になると、2000個近い数の打ちものをご主人ひとりで打つのだという。

 ちなみに、お篭りさんとは、お祓いを受けるために宮に篭る人のこと。豊川閣ではお篭もりさんに膳を出すが、絹与の打ちものは、その食後のお茶請けに出されている。女性の親指大の小さな狐面はどこか愛らしくもあり、頂くのがもったいないくらいだが、口にすると、すっととけて、後味も良い。少し香ばしいような香りが鼻の奥に残る。濃いお茶にはもちろんよく合うが、個人的にはコーヒーとの相性も抜群、と思っている。



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店舗情報

絹与
  菓子: 和三盆入羊羹 「久礼羽」 (1365円)、「常葉木」 (1470円)、「今宵の友」 (1680円)
       氷砂糖入羊羹 「小豆」「宇治」「小町」 (各1260円)他
  住所: 愛知県豊橋市呉服町61
  電話: 0532-52-4149
  営業時間: 09:00~18:30
  定休日: 日曜日
  URL: http://www.justmystage.com/home/kinuyo/index.html