和菓子街道 東海道 白須賀

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潮見坂、振り向けば眼下に広がる遠州灘

 新居を出て、遥か左手に潮見バイパス、更にその向こうに横たわる遠州灘を眺めながら、緩やかな上り坂を進む。右に直角に折れると、道は急勾配の上り坂にさしかかる。潮見坂だ。汗をかきながら坂を登り、その中腹で振り返ると、目と同じ高さに大海の水が広がり、思わずため息が漏れる。

 潮見坂の名は、京側から来た旅人がこの坂の上に来て初めて遠州灘を目にしたことからつけられたという。三重から東では、何度となく海を見る機会もあったのだろうが、それだけここからの絶景はインパクトが強かったのだろう。

 潮見坂を登りきると、白須賀の宿に入る。白須賀は元々、潮見坂の下に宿駅を置いていたが、津波に追われるように坂の上に移ってきた。かつては家々の壁に赤土を塗っていたため、壁の赤い家が多かったという白須賀。今でこそ赤い色も褪せてしまったようだが、昔のままの道幅に沿って今も木造の旧家が建ち並び、街道情緒を楽しみながら散策することができる。

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その他のおいしい立ち寄り情報

和田屋
  菓子: 勝和餅(1個105円)他
      ※3月~5月末の期間限定。予約した方がよい。
  住所: 静岡県湖西市白須賀3760
  電話: 053-579-0110
  営業時間: 9:00~(売り切れ次第)
  定休日: 土曜日

 白須賀の名物は、柏餅。厳密に言うと、元々は白須賀と二川の間にある間の宿・境宿の名物だったが、白須賀や二川の茶店で柏餅が売られ、その様子は広重の浮世絵にも登場するし、この辺りの柏餅について書かれた文献も多く残されている。しかし、「うまい」とは書かれていないこともまた事実だ。むしろ、まずいとか、誰々が食べて投げ捨てただとか、随分ひどい言われようである。

 この地方の柏餅は、なぜそんなにまずかったのか。その真相は不明であるが、土地が痩せていて、柏餅の皮の原料となる良質な米が獲れなかったためではないかということも考えられる。また、二川の菓子屋・中原屋のご主人は「砂糖のなかった時代だから、塩で味付けしていたのでは」と考察されている。

 ともあれ、悪名高き柏餅は、今では作る家もなくなってしまい、果たしてどんなまずさだったのか分からなくなっている。中原屋などの菓子屋では五月の節句の菓子として一般的な柏餅を販売しているが、かつてこの辺りの名物だったという問題の柏餅を昔と変わらず作り続けているわけではない。つまり、おいしい柏餅なら、季節になればこの辺りでも普通に販売しているということだ。

 しかし、まずい、まずいと言われた名物を、勇気を持って復活させた奇特な店が一軒、白須賀に存在する。この辺りの学校給食のパンの製造を一手に引き受けている和田屋だ。

 明治26年(1893)創業、現在三代目という和田屋では、女将さんの高橋純子さんが中心となって、地元の郷土史家の意見を基に、平成元年にかつてのこの地の名物で、「勝和餅」と呼ばれた柏餅を完成させた。餅皮にもろこし粉と米粉を使い、餡にソテツの実を加えたもので、毎年3月3日から5月末日まで販売している。

 勝和餅の由来には、天下の太閤・豊臣秀吉が一枚噛んでいる。秀吉が小田原攻めに向かう途中、白須賀付近の「猿の番場の茶屋」で休憩をしたところ、茶屋の亭主が地元名物の柏餅を差し上げた。「これは何という菓子か」と秀吉が訪ねたところ、亭主は「柏餅(かしわもち)です」と答えた。

 ところが秀吉は「勝和餅(かちわもち)」と聞き間違えてしまう。これから戦に向かうのに勝和餅とは縁起がいいということで、たいそう喜んだ、というわけだ(くどいようだが、秀吉が「おいしい」と言ったとはどこにも書かれていない)。

 この逸話が書かれた古文書が、白須賀の旧家、跡見家に残されている。

 「昔はソテツの実の皮だけで餡にしていたようです。実際に作ってみましたが、全然おいしくなかったです(笑)。現在は、販売用の勝和餅には普通の小豆餡に少々のソテツの実の皮を加えたものを作っています」(高橋さん)

 和田屋では、近隣の学校などに植えられているソテツの実を分けてもらっているが、バケツ一杯のソテツの実からとれる皮はごくわずか。ソテツの実の皮は非常に固いため、水につけて柔らかくしてから粗く砕いて小豆餡に加えてある。ピーナッツのような風味が加わるというが、よく分からない。多少は柔らかくしてあるらしいが、ごつごつと固いものが歯に当たる。

 また、高橋さん曰く、昔この辺りで作られていた柏餅の皮の主な原料はもろこし粉で、そのため餅皮は白くはなく、もろこし粉由来の小豆色をしていたらしい。和田屋でも、もろこし粉に上新粉(米の粉)を加えて作っているためか、色はもちろん、食感も普通の柏餅とはまるで違うものになっている。

 ただ、他にも季節になると登場する和田屋の柏餅のバリエーション(よもぎ、黒ゴマ、黒砂糖、ピーナツ、シナモン、くるみ、抹茶、コーヒーなど)は、もろこし粉を使っていないものでも一般的な柏餅とは皮そのものの味や食感がまるで違う(白い皮に小豆餡のプレーンも同様)。

 強いて言えば、小麦粉を原料とする水団(すいとん)のような食感と言えば、近いかもしれない。もろこし粉のせいというより、恐らく、この地方に受け継がれてきた柏餅が、この和田屋風の独特なものなのかもしれない。(もっとも、同じ三河地方出身の私にも初体験のなんとも微妙な味と食感だ。この柏餅を食べて育ったであろう地元の人に話を聞いてみたい衝動に駆られる)

 更に、高橋さん曰く、昔の白須賀の柏餅は柏の葉に包んであったのではなく、地元では「じゃんかるば」と呼ばれているサルトリイバラ、または山帰来というツル植物の葉で包んであったという。柏餅という名で呼んでいるのが不思議なくらい、一般的な柏餅とは随分違うものだったということが分かる。

 ところで、秀吉が休んだ猿の番場の茶屋であるが、その猿の番場とはどの辺りを指すのかは不明とされている。白州賀から二川の間にあったのではないかと伝えられており、白須賀を出てすぐの境宿辺りだったという説が有力だ。

 広重が描いた「二川」に、「猿ヶ馬場」をテーマにとったものがある(二川のページ参照)。これは、柏餅屋で柏餅を求める旅人と、それを近くで見ている3人のごぜ(盲目の女旅芸人)が描かれた作品で、場所は猿ヶ馬場から望む境川から西の松林のあった辺りを描いたものということになっている。猿ヶ馬場と猿の番場の茶屋は、どちらが正しいかは分からないが、恐らく同じ場所なのだろう。

(絵図と文書、お菓子の写真はクリックすると大きくなります)



柏の葉を使っていたという二川の中原屋のご主人とは違う説である。また、中原屋では山帰来の葉に麩餅を乗せている。

ukiyoe-kashiwamochi.jpg『東海道中五十三駅狂画 白須賀』には柏餅作りが描かれている。生地は白いようだ。 (豊橋市二川宿本陣資料館提供)
wadaya.JPG和田屋
kachiwamochi-komonjo.JPG跡見家蔵の古文書『勝和餅由来』
kachiwamochi.JPGソテツの実入り「勝和餅」
cycas.JPGソテツの実
various-kachiwamochis.JPG和田屋の“柏餅”いろいろ
saruno-bamba.JPG白須賀宿の出はずれ、境川付近が猿の番場(猿ヶ馬場)と推測されている