和菓子街道 東海道 浜松1

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家康を育てた浜松は、昔も今も遠江一の都市

 暴れ天竜と呼ばれたのは過去のこと。上流のダムのために今では水かさも少なくなった天竜川だが、そこにかかる天竜川橋・新天竜橋共に自動車の交通量が多く、現代の旅人にとってはちょっとした難所だった。

 “だった”と過去形にしたのは、06年に歩道のついた橋が新たに開通したため。安全が確保されありがたい限りだが、その一方で、街道歩き経験者がこぞって話題にした“現代の難所”がなくなってしまったのは、残念なようでもある(そんなことを言うと、各方面から怒られそうではあるが)。

 天竜川を渡ると中野町。浜松領に入ったということで、高札場跡などが散見される。街道沿いに建つ黒い板塀を廻らせた大きな屋敷は、明治から大正にかけて活躍した実業家で、天竜川の治水事業に功績のある金原明善の生家だ。

 中野町を走る狭い旧道をしばらくゆくと、安間の一里塚跡がある地点で広い道路と合流する。また、安間は姫街道との分岐点にもなっている。ここから浜松市街へはほぼ一直線。浜松一のっぽなアクトシティを目指してひたすら西進するのみだ。そして、馬込橋の袂までくると、ようやく浜松宿の東番所、つまり浜松宿の入口となる。

 古くから遠州地方の中心地であった浜松は、東海道の一大宿場町であるのと同時に、徳川家康が本拠としたことであまりにも有名な浜松城の城下町でもある。浜松城は家康によって1570年(元亀元年)に築城。家康は青年期をここで過ごしており、その間、姉川の戦い、長篠の戦いなどをの戦を経験している。

 また、江戸時代を通して譜代大名が浜松城主となったが、老中・水野忠邦をはじめ、歴代22名の城主のうち半数が大阪城代、京都所司代などの要職についたことから、浜松城は「出世城」とも呼ばれるようになった。家康の例はもちろん、言うまでもなく、である。浜松城址には現在、模擬天守閣が作られているが(元は天守閣のない城だった)、自然石をそのまま積み上げて作った野面積みの石垣は珍しく、一見の価値がある。

 宿場としての規模は大きく、本陣は6軒もあったという浜松。軍事工場があったために戦時中に大空襲を受けたため、残ったのは百貨店の松菱の建物のみ。すっかり焼け野原となってしまったという。そのため、建物などに昔の面影を探すことは難しいが、紺屋町、鍛冶町、伝馬町といった町名がかろうじて往時の名残を留めている。

 浜松宿に別れを告げてからは、舞阪の松並木が見えてくるまではほぼ真っ直ぐの道を行く。途中、左の薬師堂と右の阿弥陀堂という道路を挟んで向かい合って建つお堂や、高札場跡、麦飯長者跡、立場本陣跡などが点在するのみで、比較的単調な行程である。

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その他のおいしい立ち寄り情報

巌邑堂
  菓子: 栗むし羊羹(1棹1155円、期間限定)、最中(挽茶あん・小倉あん各1個105円)
       花邑(大・1700円、小・850円)、上生菓子(各1個231円)他
  店内喫茶: 上生菓子とお抹茶セット(577円)
       みたらし/あんこの団子に焙茶のセット(630円)他
  住所: 静岡県浜松市中区伝馬町62
  電話: 053-452-8686
  営業時間: 9:00~18:00
         邑(ゆう) wagashi & cafe(隣接するカフェ): ~21:00 
  定休日: 水曜日
  URL: http://www.ganyuudou.com/

 「浜松の和菓子屋と言ったらココ!」と、多くの和菓子ファンが口を揃える「巌邑堂」。かつての浜松宿の中心部であった伝馬町を走る旧東海道沿いにあるごく小さな店で、他に支店もないものの、その知名度は非常に高い。もちろんそれは、明治5年(1872)創業の老舗だからというだけではなく、“味”が良いからだ。

 「巌邑堂はおいしい」という評判は今に始まったことではない。戦前から既に、浜松市内では有名な和菓子屋として名を馳せていたため、戦後になると「名前が邪魔をして」すぐに再開することができなかったほどだと、四代目の女将さんは語る(女優さんのような美人!)。

 戦後の混乱期には砂糖などは全て配給制で、なかなか菓子などに貴重な砂糖を使わせてもらうことができなかった。他の店ならそのまま知らぬ顔をして砂糖を分けてもらえても、巌邑堂となると和菓子屋として皆に知れ渡っていたため、砂糖を手に入れるのも難しかったのだという。

 それでもなんとか復興を遂げた巌邑堂だが、時代の要求に応える形で、和菓子のみならず、パンやアイスクリームなども販売するごく普通の「町の和菓子屋さん」として過ごした時期もあった。しかし、三代目が生み出したひとつの菓子が、この店をただの町の和菓子屋さんから、浜松の外でも知られる存在にまで押し上げてくれた。

 その菓子というのが、名物の「栗むし羊羹」、遠州地方の栗の産地・掛川でとれる新栗のみを使用した蒸し羊羹だ。もっちりとした食感で、しっかりとした小豆の味ながら後味のさっぱりとした羊羹生地の中に、栗がぎっしり。新栗ならではの香りが漂う逸品である。

 新栗を入荷してから作り始めるため、毎年9月初旬から1月末頃までの期間限定で製造・販売されている。また、通常の羊羹とは異なり、日持ちしないため購入後もできるだけ早く頂くことになる。

 稀少性も手伝って、栗の出回る時期ともなると、この羊羹を求めて全国からファンが足を運ぶのだ。しかし、栗むし羊羹目当てで浜松遠征をもくろむ人は、事前に確認をした方が良いだろう。なにせ、全て手作りのため大量生産はできないので、品切れになってしまうこともままあるから。

 巌邑堂では現在、前述の女将さんの息子さんである五代目の若旦那さんが中心になって菓子作りをしている。創業以来、素材本来の味にこだわり通し、昔ながらの技術で味を受け継いできており、添加物の類は一切使用しない。そのため、店頭に並ぶほとんどの菓子は、作ったその日にしか売らないことにしている(羊羹など一部商品を除く)。深みのある独自の味を出すために、製餡所に頼ることなく自家製している餡が一番の売りだ。

 この餡を存分に味わうことができるもののひとつに、昔から作っているという松型の最中がある。小倉餡と挽茶餡の2種類があるが、上品な色目の最中皮の中の餡はしっとりと滑らかで、こっくりとした甘みがある。これが、濃い抹茶に非常によく合うのだ。

 また、この通常の餡にひと手間を加えて、更に滑らかで軽い口当たりにした特性餡を使った「花邑」(かゆう)も、巌邑堂の新しい顔として人気を呼んでいる。

 花邑は、元治元年(1864)創業の地元酒蔵「花の舞酒造」の大吟醸酒の酒粕を使った真っ白なカステラ生地で餡を挟んだ菓子だ。酒粕の芳醇な香りと甘さ控えめの餡が実によく合う。この花邑の誕生には、こんな逸話がある。

 巌邑堂と花の舞酒造は日頃から親しい付き合いがあった。ある日、花の舞酒造から酒粕をわけてもらった巌邑堂は、お礼に酒饅頭を作って花の舞酒造に届けた。花の舞酒造がたいそう喜んでくれたため、巌邑堂は酒粕を使って他にも何か作れないものかと思案。酒粕入りのカステラに餡を挟んだ菓子を考案した。

 すると、花の舞酒造はこれを絶賛。もっと良い酒粕を使ってみてはどうかと、大吟醸の酒粕を提供してくれた。こううして生まれたのが、花邑である。貴重な花の舞酒造の大吟醸酒粕を使用している菓子屋は、唯一巌邑堂のみである。

 手絞りゆえに米粒が残るこの酒粕は、年に1回、2月に大吟醸を作る時に出るもの。これを大事に保管し、必要分だけ取り出しては花邑に使っている。カステラ生地とはいえ、その肌は雪のように白い。これはもちろん、酒粕由来だ。

 酒粕は牛乳で伸ばして柔らかく練り、小麦粉や卵白などと混ぜ合わせ、型に入れて焼き上げる。焼き上がりには表面に日本酒をさっと塗る。これが、酒粕の風味を一層引き立たせるのだ。生地に餡を挟んで少し寝かせ、餡と生地を馴染んだら大・小のサイズにカットして表面には「花邑」の焼印を押す。焼印の文字は、五代目の直筆を彫ってもらったのだとか。

 老舗の上に胡坐をかくのではなく、伝統を守りながらも試行錯誤を重ねて「和菓子」からはみ出さない新作を作り続けている巌邑堂。2004年には店鋪の改装を行い、店内には新たに喫茶スペースを設けたが、支店というものは一切作らないことにしているそう。

「先祖からの遺言で、支店は作りません」

 と、四代目女将さん。あくまで目の届く範囲で、手作りにこだわること、それが巌邑堂の菓子のおいしさの秘訣なのだろう。

※後記:2007年11月27日に、店の隣に新しく和カフェ「wagashi & cafe 邑-ゆう-」を新設。

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ganyudo-namakashi.JPG(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

春華堂
  菓子: 夜のお菓子・うなぎパイ (12本入787円~)、うなぎパイ・ナッツ入り (8本入735円~)
       ナッツとハチミツ入りうなぎパイ (10本入525円~)、真夜中のお菓子・うなぎパイVSOP (5本入787円~)
       知也保の卵(9個入630円~)他
  住所: 静岡県浜松市中区鍛冶町321-10
  電話: 053-453-7100
  営業時間: 10:00~20:00
  定休日: なし
  URL: http://www.shunkado.co.jp/

 浜松は、ホンダにヤマハ、スズキ、はたまた鰻かすっぽんか。いやいや、忘れてならないのが「うなぎパイ」だ。甘いものは苦手、という人でもうなぎパイくらいは知っているだろう。主な販売区域は静岡県と両隣の県、遠くまで行っても東は埼玉辺り、西は神戸辺りまでらしく、実際には全国津々浦々、どこでも売っているというわけではない。

 それでも、うなぎパイの知名度は全国区。先日も、北海道の友人が「うなぎパイ大好き」と言っていたが、彼女は確か、静岡はおろか、その隣の愛知県にも行ったことはなかったはずだし、神奈川県に行ったことがあるという話も聞いたことがない。それでも、北海道の彼女の手元にはどこからともなく、うなぎパイが届けられる。なぜならうなぎパイは、サラリーマンの出張や転勤族、旅行者の定番中の定番土産のひとつだからだ。

 そして、この不動の人気を誇るうなぎパイを作っているのが、春華堂という浜松の菓子メーカーだ。春華堂の初代・山崎芳蔵は、東海道は鞠子宿と岡部宿の間にある宇津之谷峠の集落に、茶店の子として生まれ育った。明治の世になると、芳蔵は浜松に移り住み、露店の菓子商を営むようになった。明治20年(1887)のことである。売っていたのは、主に駄菓子の類だったようだ。

 細々と商売を続けながらも、地道に資金を貯めた芳蔵は、やがて「浜松の台所」と呼ばれた肴町に店舗を構えるまでになった。店の名は川合屋とした。その後も、芳蔵は常に新しい菓子作りに思いを巡らせていた。そして、行き詰まった芳蔵をいつも励ましてくれたのは、「草花にも冬の冷たい苦労がある。春になれば花が咲きますよ」という妻の優しい言葉だった。

 そしてやがて、妻の言葉通り、芳蔵に“春”が訪れた。古くからの浜松名物である「浜納豆」をヒントに、独自の「甘納豆」を作り出すことに成功、たちまち評判を呼んだ。これを機に、あの妻の励ましの言葉から、店名を「春華堂」と改めたのだった。甘納豆の成功を得て、春華堂は近くの田町に店を移転させた。それは折りしも明治22年(1889)、東海道線が全線開通し、駅のある浜松にも、益々人が流れ込むようになった頃だ。

 順調に商売を続けた芳蔵の跡を継いだのは、息子の幸一だった。父に似て探求精神旺盛だった幸一が最初に生み出したヒット商品は、「知也保(ちゃぼ)」(現在は「知也保の卵」)である。

 卵からヒントを得て作られた可愛らしい卵型の最中で、割ると中は白餡の中に更に黄身餡が入っており、本物の卵のよう。戦前からの春華堂の看板菓子のひとつで、年配の人にとっては春華堂=知也保、というイメージが今もあるのだとか。

 戦後になると、春華堂は新たに洋菓子も手がけるようになった。この頃、ふとしたきっかけで幸一は、全国的には浜松という地名よりも、鰻の産地としての浜名湖の方が有名であることを知る。そこで、浜名湖の鰻に因んだ菓子が作れないものかと思案するようになった。職人を集めて相談したところ、ひとつの案が浮上した。それは、職人のひとりが得意としていたパルミエというパイ生地を使った菓子に鰻のエキスを混ぜ込んだもので、形も鰻のようにしよう、というものだった。

 こうして昭和36年、うなぎパイが誕生した。当初、鰻に見せかけようと生地を細長くして、先端部分を捻って鰻の頭を作ってみたものの、焼くうちにひねりが取れて元の形に戻ってしまった。それでは蒲焼様にしてみようと串を刺してはみたものの、今度は焼きあがった後に串が抜けず食べづらい。結局、現在の形に落ち着いたのだという。

 うなぎパイ誕生の3年後には東海道新幹線が、更にその4年後には東名高速道路が開通。まさに高度経済成長期の真っ只中で、浜松から飛び出したうなぎパイの名は、瞬く間に日本中に広まっていった。しかし、そこはやはり、浜松という土地で生まれた土産物としての宿命のようなものがあったのかもしれない。

 軽自動車をはじめ、様々なメーカーが本拠を置く浜松は、当時、非常な活気に溢れていた。もちろん、昼間の産業の発展と共に、夜の繁華街も賑やかさを増していった。そんな浜松のお土産品として注目を集めたのが、うなぎパイだったのだ。

 サラリーマンの“熱いまなざし”が注がれた理由は、何よりも赤と黄色を配した“マムシドリンク色”のパッケージ・デザインと、“夜のお菓子”というキャッチコピー。しかも、精がつくというイメージのある鰻のエキスまで入っているという。

 これはもう、まさしく「“夜のためのお菓子”に違いない」と思った人は少なくなかったはず。いや、誕生から半世紀を経た今もなお、“夜のためのお菓子”と信じている人もいるのではないだろうか。

 実際、うなぎパイは“夜のためのお菓子”だ。といっても、そこは子供も一緒の家族団らんの世界。考案者である春華堂二代目・幸一の、「家族が揃う夜の団欒のひと時を、うなぎパイを食べながら過ごして欲しい」という思いが込められていた。“夜”は夜でも、時間帯がもう少し早い“夜”だったのだ。

 ところが、この名コピーが別の意味で捉えられたために、幸か不幸かうなぎパイはちょっとした話題を呼んだ。しかし、それだけではまだ爆発的というほどの売れ行きにはならなかった。というのも、問題はパッケージにあったからだ。

 うなぎパイのパッケージは最初から“マムシドリンク色”だったわけではない。はじめは鰻の産地である浜名湖をイメージした青色のパッケージだったのだが、残念ながらそれほど人目を引くような存在にはならなかった。一般的に、青はあまり食欲を増進させる効果がなく、食品や飲食店には相応しい色ではないからかもしれない。

 そこで、春華堂は世間の勘違いを逆手に取った。あえて誤解を解こうとはせず、“夜のお菓子”というコピーがかもし出す艶っぽいイメージに沿うべく、パッケージを“マムシドリンク色”に変え、涼しい顔をして売り出したのだ。するとこれが大ヒット。神秘的な響きのコピーと、艶かしい連想をさせるカラーに惹かれて、世のサラリーマン諸君は勘違い。「これって本当に効くのかな…?」「あの部長の土産にいいかも」と、こぞってうなぎパイを買い求め、全国に散らばっていったのだった。

 もっとも、うなぎパイに全く“効果”がないとは言い切れない。なぜなら、実際に生地には滋養強壮に優れた鰻エキスが、焼き上がりに表面に塗るタレ(シロップ)にはニンニクが含まれているからだ。実際、うなぎパイ7本で蒲焼100グラム相当のビタミンAが含まれているという。“マムシドリンク”1本を飲むほどの効果はないかもしれないが、確かに栄養価の高い菓子ではあるのだ。

 こうして、時代の波にうまく乗ったうなぎパイの売れ行きは、文字通りうなぎのぼりに。春華堂はうなぎパイ専門の製造部門を独立させ、「うなぎパイ本舗」という会社を新設させた。

 現在、春華堂と一般に総称するのは、「(株)うなぎパイ本舗」と、うなぎパイや関連商以外の菓子を製造販売する「(有)春華堂」を併せた「春華堂グループ」のことである。

 ちなみに、誕生以来、うなぎパイには次々と妹たちが生まれている。アーモンドをふんだんに使った香ばしい「うなぎパイ・ナッツ入り」や、ブランデーとマカダミアン・ナッツを織り込んだ高級感溢れる「真夜中のお菓子・うなぎパイVSOP」、近年登場した「ナッツとハチミツ入りうなぎパイ・ミニ」などだ。

 どれも基本はうなぎパイなのだが(ただし、VSOPは水を使わず水とバターだけで焼き上げてあるので、更に濃厚な味わい)、それぞれ個性があって、いずれも捨てがたい。

 さて、うなぎパイはかくして永遠のベストセラーとなったわけだが、創業者以来の上昇志向は、三代目社長の山崎泰弘氏にもしっかりと受け継がれている。2005年には浜松郊外に新工場を設立(浜松市大久保町748-51、電話:053-482-1765)。ここではうなぎパイ作りの様子の一部を見学することができる「ファクトリーツアー」を実施している。

 気軽に立ち寄って自由に見学することもできるし、予約すればコンシェルジュに案内もしてもらうことができる。そこで私もツアーに参加してみたのだが、これが予想以上におもしろかった。(見学者はお土産としてミニうなぎパイが3枚もらえるのも嬉しい限りだ)

 うなぎパイはいかにも機械で大量生産されているように見える。実際、1日20万本ものうなぎパイが焼かれ、春華堂の年間売り上げもうなぎパイのみで年間60億円にも上るという。ところが、意外なことに(といっては失礼なのだが)、うなぎパイはオーブンに入る直前まで、ほとんど全て職人によって手作りされているのだ。

 小麦粉、うなぎパイ用のオリジナル・フレッシュバター、水、秘伝の鰻パウダーを使ったパイ生地をこね、寝かせること1日。鰻パウダーは、国内産の鰻の骨と頭に水を加え、旨み成分を取り出して熱風乾燥させたものだ。

 しっかり寝かせた生地玉は、翌日、麺棒を使って特注のグラニュー糖を押し込みながらリズミカルな動きで伸ばしていく。一旦、15分ほど置いて生地にグラニュー糖を馴染ませてから、今度は何千層にも折り畳んでいく。こうすることで、あの小気味良いサクサク感が生まれる。その日の天候や湿度によって生地の堅さが変わるため、手で感触を確かめながらの作業となる。まさにうなぎパイ作りの肝と言える工程だ。

 ここまでの作業は特に熟練の職人が担当している。ひとりの職人がひとつの作業をマスターするのに最低3カ月を要し、更に全工程を一人前の職人としてこなせるようになるまでには、10年はかかると言われている。大変な力仕事であるため、うなぎパイの誕生以来、まだひとりも女性のうなぎパイ職人は誕生したことがないのとか。残念ながらここまでの部分は企業秘密が多いため、見学者の目にさらされることはないが、その一部はビデオ上映によって垣間見ることができる。

 こうして丹念に作られた生地は、細長くカットされ、300℃の焼成釜(オーブン)に入れられる。生地の幅は2センチ弱くらいだろうか。随分ほっそりとしているように見えるが、焼くことによって徐々に幅広に膨らんでいき、最終的には元の3倍ほどの幅になる。パイ生地が膨らぬ要因となっているのは、水分が蒸発する力・バターが溶けて生地から流れ出ようとする力・砂糖が沸騰する力だそう。ただし、切断面を上にして焼くため、上に膨れていくことはない。

 仕上げに180度に落とした火力で焼き上げ、蒲焼宜しくタレが塗られる。このタレが秘伝中の秘伝。職人の間にもこのレシピを知る者は限られているという。ただし、タレには隠し味としてニンニクが加えられているのだそう。試作段階では今ひとつ深みに欠けたうなぎパイに、当時ブームになっていた餃子からヒントを得てニンニクを入れてみたところ、大成功。ニンニクが鰻パウダーの臭みを消し去り、更に奥深い独特の味をも引き出してくれたというわけだ。

 ここから先、うなぎパイはベルトコンベアに乗って梱包ラインへと流れていく。個別包装がなされ、箱詰めないし袋詰めにされ、どんどんとダンボールの中に収められていくのだが、全てのラインにスタッフが立ち、目を皿のようにして異常がないか1本1本確認している。もちろん、パッケージだけでなく、肝心の中身も職人が毎朝、毎朝、試食して確かめているのだそう。

 楽しいうなぎパイ作りの見学が終わったら、工場内にあるカフェサロンで一息。「田舎しるこ」(550円)や「小さな和パフェ」(500円)、「ざる豆腐のティラミス」(600円)などといったメニューがあるが、ここではやはりうなぎパイを使った「うなぎパイのミルフィーユ仕立て」(580円)を。うなぎパイでアイスクリームやクリームをサンドし、季節のフルーツをあしらったもので、見た目も味も○。

 ただし、うなぎパイを使ったメニューは唯一これだけ。どうせなら、うなぎパイ工場らしいオリジナリティのあるメニューがもっとあればいいのに、と思ってしまった。うなぎパイとフルーツのチョコレート・フォンデュとか、クラッシュしたうなぎパイをコーンフレーク代わりにしたパフェとか…。叶わぬ要望なのだろうか。

 ところで、ここまでは新設のうなぎパイ工場での話。工場は交通の不便な郊外にあり(それでも休日ともなると大変な賑わいになる)、浜松に不案内な人にとってはなかなか行きづらい。工場見学にはならいないが、市内にももちろん、本店や支店があるのでご安心を。

 浜松駅にもほど近い本店の店内には、うなぎパイや「知也保の卵」をはじめ、様々なお菓子がいっぱい。以外と知られていないことだが、春華堂は元々、和菓子屋であるため、もちろん通常の生菓子も置いている。店内で買う菓子をお茶またはコーヒー付(無料)で頂ける喫茶スペースも用意されている。

 また、アイスクリームスタンドもあり、季節の味のアイスクリームとフルーツシャーベットを食べることもできる。その数、年間通して総計55種類!抹茶やナッツといったスタンダードのアイスはもちろん、とうもろこしやらアボカド、紫蘇などといった変り種のアイスも。興味のある人は試してみては。

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unagipie-models.jpg試作段階でのうなぎパイの形
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unagipie-vsop.JPGうなぎパイVSOP
unagipie-nuts.JPGうなぎパイ・ナッツ入り
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eel-balustrade.JPGうなぎパイ工場では階段の手すりまでうなぎ!
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shunkado-namakashi2.JPG(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)