和菓子街道 東海道 日坂

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小夜の中山さよふけて、西坂越えれば日坂の宿

 金谷宿から先、現代に蘇った石畳の上り下りを繰り返し、間の宿・菊川の里を経ると、箱根峠、鈴鹿峠と共に東海道三大難所のひとつに数えられる小夜の中山峠に差し掛かる。アスファルト舗装ながら農道のような細い峠道を、息を切らしながら上ってゆくのだが、道の両脇には見事な茶畑が広がり、遠州ならではののどかな光景に心が安らぐ。

 峠を上りきったところには、徳川家康が慶長6年(1601)に掛川城主の山内一豊に命じて建立させた観音堂のある久延寺(開基は奈良時代、行基による)。この辺りはかつて、15軒もの飴屋が建ち並び、名物の飴の餅を売る客引き女の声が絶えない賑やかな門前だった。

 今では寺の西に扇屋が1軒あるのみだが、数年前にこの店の名物おばあさんが亡くなってからは、地元民が交代で店を管理し、土日祝日など、観光客の多そうな日にのみ、店を開いている。かつてこの地で商いをしていた小泉屋は、街道より少し下ったバイパス(国道一号線)沿いに今でも店を構えている。

 小夜の中山峠を過ぎると、次なる宿場の日坂までは一気に坂を下ってゆく。峠の西にある西坂が訛って「にしさか、にっさか、日坂」と転じたと言われるこの地は、鄙びた風情を残す山里の集落だ。宿場内には庶民向け旅籠の萬屋や上級旅籠の川坂屋などほぼ往時のままの姿でが残っており、休日には地元のボランティアの方々から丁寧な説明を聞くことができる。

 日坂宿のかつての名物は蕨餅で、石屋、山本屋などといった茶店で売られていた。天明6年(1786)頃刊行の『東街便覧図略』には、「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」とあり、実質は葛餅だったようだ。

 葛粉を湯で溶いて練って蒸し、これに塩を混ぜた豆の粉(きな粉)をかけて振舞っていたというから、今日一般的なきな粉に糖蜜がけの蕨餅や葛餅とは違い、塩味のするものだったことが分かる。当時は1盃十二文だったという。

 昭和前期まで宿場の西口から数軒目にあった店で作られていたという日坂の蕨餅だが、手間がかかるため、今では途絶えてしまった。数年前にイベントが行われた際には、70歳になる地元の古老が京都から取り寄せたという蕨粉で蕨餅を再現したというが、残念ながら一般には市販されていない。

 再現された高札場を過ぎて宿場を出ると、国道一号線沿いに事任八幡宮が見えてくる。大同2年(807)に坂上田村麻呂が興したと伝えられるこの神社は、思いのままに願いを叶えてくれるとして古くから信仰を集めている。ここでしっかり旅の安全を祈願してから、一路、掛川を目指す。

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warabimochi-shop-in-book.jpg高力猿猴庵編『東街便覧図略 新坂蕨餅店』(名古屋市博物館蔵)(絵図をクリックすると大きくなります)

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 ・小泉屋 「子育飴」

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