和菓子街道 東海道 金谷

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川と山の難所に挟まれた金谷の宿

 箱根峠に匹敵する難所とされた大井川を越えた旅人が、ほっと胸を撫で下ろしたのが金谷宿だ。箱根の峠越え後の「山祝い」よろしく、大井川を無事に越えたことを祝う「水祝い」で賑わった金谷だが、今は細い旧道沿いに静かな町並みが続いており、どことなく懐かしい空気が流れている。

 金谷と聞いてまず思い浮かぶのが、金谷と寸又峡の麓の千頭、更にその先を結ぶ大井川鉄道だ。現在もSLが定期的に運行しており、人気を集めている。

 SLの発着する金谷駅手前の線路下を潜ってしばらくゆくと、近年になって町の人たちの手によって復元された新しい石畳が出現する。石畳の入口にはその名も「石畳茶屋」があり、地元名産の川根茶とお茶菓子を頂くことができる。

 ちなみに、石畳茶屋に併設された資料館には、菜飯田楽の復元模型が展示されている。菜飯田楽はこの先の菊川の名物であったが、今では20年ほど前に開店した金谷の「よし善」(榛原郡金谷町泉町1806-4、電話:0547-46-1869)で賞味することができる。

 石畳茶屋から先は、ひたすら石畳の上り坂。滑りにくい石材を使っていることから、町の人たちはついでに坂の途中に「滑らず地蔵」まで作ってしまった。新しいお地蔵さんではあるが、合格祈願などにご利益があるとか、ないとか…。

 広大な茶畑を眺めながらのどかな道をゆくと、やがて間の宿・菊川の里に至る。ひっそりとした菊川の里を通り抜けると、金谷の東の難所・大井川と対を成す西の難所・小夜の中山峠への急な上り坂にさしかかる。

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その他のおいしい立ち寄り情報

もちや
  菓子: 袖振り餅(白、赤、緑、各1個110円~)、花まん頭(1個105円)他
  住所: 静岡県島田市金谷河原2117-1
  電話: 0547-45-2826
  営業時間: 8:00~18:30
  定休日: 不定休

 金谷の旧宿場町の通り沿いに、「もちや」という和菓子屋がある。最初に金谷を歩いた時には、気付かずに通りすぎてしまったほど小さな店だ。この店の存在を知ったのは、後日、掛川を歩いた時のこと。掛川城の近くの土産屋「こだわりっぱ」(こだわって立派、ということらしい…)の一角にある観光案内所で、掛川の和菓子屋について伺ったところ、ちょっと興味深い話を聞くことができた。

 最初は、掛川の入口の馬喰橋の袂にある「もちや」の「振袖餅」の話から始まった。振袖餅については掛川のページで触れるとして、観光案内所の女性曰く、掛川のもちやの振袖餅は実は「本物」ではなく、本家本元は金谷にある別の「もちや」だというのだ。むむ、それは初耳。「金谷に行けば、誰でも知っているお餅屋さんですよ」とのこと。これは放ってはおけない、とばかりに、急遽、この日の歩き旅を放棄して掛川から電車で金谷にとって返した。

 問題の「金谷のもちや」は、地元の人々には「十五軒のもちや」として親しまれている店で、「袖振餅」という餅菓子を売っていた。結論から言うと、掛川のもちやの振袖餅と、金谷のもちやの袖振餅とは、全く別物であることが判明した。もちやという名前は同じだが、両店には何の接点もなく、単なる偶然のようだ。たまたま静岡県西部に似たような名前の餅菓子を売る同じ名前の店がある、というだけのことらしい。

 金谷のもちやのある辺りは、昔は15軒ほど家が続いていたことから、「十五軒のもちや」と呼ばれるようになったのだという。ここでは便宜上、それぞれ「金谷もちや」「掛川もちや」と呼ばせて頂くことにする。

 金谷もちやは、今でも餅や菓子を中心に売る小さな和菓子屋で、地元ではお正月の鏡餅などもここで作ってもらうという家が今も多いという。店先に出ていたおばさんと話をするうちに、先ほどまではなかった小豆を炊く匂いが奥の方から漂ってきた。

 聞いてみると、確かに今、小豆を炊いているところだという。匂いが漂ってくる方を覘いてみると、店頭から続く細い通路がどこまでも奥に伸びている。鰻の寝床のようだ。こんな風に間口は狭いが奥行きは深いという造りは、間口の広さで税金を取られていた頃の名残なのかもしれない。

 金谷もちやの創業は明治初期であると言われているが、文献などは何も残っておらず、確かなことは定かではない。ただ、現存する金谷の菓子店の中では、一番古い店ではあるようだ。昔は茶店だったらしく、番台の向こうに囲いがしてあって、そこで飲み食いできるようになっていたという。

 その番台があった辺りの頭上を見上げると、悠々とした書体で「そでふり餅」と書かれた書が掛けられてあった。著名な書道家・沖六鵬の作品であるという。書に疎い私にはまるで分からないが、見る人が見れば、沖六峰の、しかも若い頃の作品であるということがすぐに分かるのだそう。

 明治の頃のこと。沖の親戚がこの金谷にあり、一時期、沖も金谷に逗留していたことがあった。金谷もちやの親戚にも書をたしなむ人物がおり、その縁あって「そでふり餅」の文字をしたためてもらったのだという。「古いものはたいして残っていないけど、これがうちのお宝なんですよ」と、あとで出てきたもうひとりのおばさん(姉妹らしい)が誇らしげに話してくれた。

 店先には花まん頭の文字を染め抜いた暖簾が掛けられている。金谷もちやの花まん頭は、いわゆる「伊賀餅」とほぼ同様のものである。筆者の故郷辺りでは、伊賀餅は桃の節句でお雛様にお供えするが、金谷もちやでは通年販売しているそう。表面に散らされた色染めの米粒は、花まん頭の方が多いようだ。

 ついでに言うと、花まん頭は関の志ら玉ともほぼ同じ(関宿のページ参照)。志ら玉は小さめでやや扁平、中心をつぶして薄くしてあるので形が違って見えるが、作り方や材料などはほぼ同じと考えてよいだろう。ただし、表面に散らしてあるのは米粒ではなく、米粉の生地を小さくちぎったものだ。

 気になるのは、「袖振餅」だ。掛川もちやの振袖餅は、その形状が振袖に似ていたことからそう呼ばれるようになったが、金谷もちやの袖振餅は、客が命名したのだという。「ない袖を振ってでも食べたいうまい餅」ということらしい。大ぶりの俵型の餅に餡がぎっしりと詰まった大福状の餅菓子だ。

 餅専門店らしく、袖振餅に使用しているのは100%もち米。もちろん、店の奥で毎日搗いて作っている。まさに餅そのもので、しっかりとした歯ごたえだ。すぐに堅くなってしまうので、その日のうちに頂かなくてはいけない。

 実際、後日談ではあるが、翌日まで残しておいた分はカチンコチンになってしまったため、焼いて食べたのだ。おそらく、昔は白い袖振餅だけだったと思われるが、現在は赤(赤色着色)と緑(蓬)も加えた3色がある。この日はあいにく白はなく、赤と緑だけがあったので、ひとつずつ買った。

 袖振餅がいつの頃から作られているのかは分からないが、創業当初からその原形となるものは売られていたのではないかという。「きっと昔の旅の人たちが店先に腰をかけて食べたんでしょうね」と店のおばさん。

 「ない袖を振ってでも食べたい」と人に言わしめた金谷十五軒のもちやの袖振餅。噂が噂を呼び、掛川の観光案内所の女性の耳に届く頃には勘違いながら「本家本元」とまで称されるようになった。それが、この餅の実力なのだろう。

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sodefuri-cross-section.jpg(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)