和菓子街道 東海道 藤枝

fujieda-main-pic.JPG

ふたつの郡の町で営まれた藤枝宿

 江戸から49里30町44間(約200km)の藤枝宿は、他の宿場のようにひとつの町や村が宿場に発展したものではなく、街道に面した志太郡と益津郡の一部の町が、それぞれの親村に属しながらも宿駅の役割を担うという独特の形式をとっていた宿場町だった。

 左車町木戸から下伝馬、白子、上伝馬などの町を経て、宿場の西入口にあたる川原町までの約2kmの町筋は、現存する天保13年(1842)の地図と照らし合わせても、ほとんど変わることなく保たれている。

 そんな藤枝宿のもうひとつの特色は、近隣の田中城の城下町としての機能も一部果たしていたという点にある。田中城は、今川氏の命を受けた豪族・一式氏によって今から500年ほど前に築城されたのが始まりで、その後、武田氏の時代を経て、江戸期には譜代大名が代わる代わる城主を務めた城だ。

 江戸時代に作られた四ノ堀によって、全国的にも珍しい同心円形を形作っていたことでも知られている田中城。今でも渦を巻くような道路の形状にその名残が見られ、半月型の堀の一部も所々に残っている。

 城下町の役割も担っていた藤枝宿では、もちろん、田中城御用の商人も活躍していた。上伝馬町で今も菓子屋を続けている紅家も、そんな城主お抱えの菓子司だった。

hiroshige-fujieda.jpg

fujieda-pines.jpg

 ・紅家 紅粉屋久右衛門 「長寿柿」他

      藤枝一の老舗と十返舎一九の接点とは… → click!

iwamura.jpg

tanaka-han.jpg
48th-milestone.jpg

japanese- cinnamon.jpg
couple-dosojins.jpg

renshouji.jpg
shousouji-pine.jpg

fujieda-now.jpg
tanaka-castle-pond.JPG

tanaka-castle-ruins.JPG
warabe-jizo.jpg

old-tokaido.jpg
medieva-tokaido.jpg

someii-chaya-ruin.jpg

その他のおいしい立ち寄り情報

喜久屋
  土産: 染飯(1個120円~、竹皮入2個300円、おかず付弁当650円)他
  住所: 静岡県藤枝市駅前1-6-19
  電話: 054-641-0668
  営業時間: 8:00~19:00
  定休日: 火曜日または水曜日の不定休

 初夏になると、甘く芳醇な香りを漂わせる白い花、梔子(くちなし)。しかし、古来、その可憐な花以上に重用されたのは、晩秋に生る赤みがかった黄色い梔子の実だった。黄金色の染料にされた梔子の実は、消炎、黄疸、打撲捻挫などに効能がある漢方薬としても用いられてきた。

 その梔子の実の鮮やかな黄色で染めたのが、藤枝名物の「瀬戸の染飯」だ。瀬戸の染飯は、梔子で色づけしたおこわをすり潰し、手ごろな大きさに整えて乾かしたもので、昔は藤枝近郊の瀬戸山周辺で祝い事には欠かせない御馳走として作られていた。

 この染飯が最初に登場する文献は、天文22年(1553)に備前(岡山県)の法華門徒らが日蓮ゆかりの武蔵国の池上本門寺(東京都大田区)等を参詣した際に記した紀行文『参詣道中日記』で、その頃には既に瀬戸山の名物として知られていたようだ。当時、東海道は瀬戸山の尾根を通っていたため、民家で作って身分の高い旅人に振舞っていたものを、やがては茶店で売るまでになったのだろう。

 『信長公記』には天正10年(1582)に甲斐の武田勝頼を滅ぼした織田信長が東海道を西へ下って凱旋する途中に瀬戸川を渡ったことなどが記されているが、そのくだりの中で、この辺りの名物として売られていた染飯についても触れられている。また、天正18年(1590)に小田原征討に向かう豊臣秀吉に随行した久我敦通も、『東国紀行』の中で「瀬戸の染飯で空腹が満つ」と書いている。信長や秀吉も、この黄色なるおこわを食したのだろうか。

 この他にも、瀬戸の染飯についての記述は時代を通して多く残されている。有名どころで言えば、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の中で、江戸町奉行「遠山の金さん」こと遠山景元の父で幕臣だった遠山景普は『続未曽有記』の中で、それぞれ染飯を紹介している。

 染飯がどんな食べ物だったのかということについては、「小判ほどの大きさで強飯にくちなしを塗ったうすいもの」(万治3/1660年頃、浅井了意『東海道名所記』)などといった説明から詳しく知ることができる。染飯の形状についても、「小判型」「かき餅型」「四角」「三角」「鱗型」と、様々な記録が残されているが、店によって違っていたか、或いは時代によって変わったと見てよいだろう。

 一袋十二文で売られていたという染飯の味については「味わいはないものの、作り方が雅」(松平秀雲『吾妻の道芝』、寛保元/1741年頃に旅した記録)、「食べるほどのものではないが、美しくて昔恋しい心地」(文化4/1807年、土屋斐子『旅の命毛』)といった記述が見られ、おいしいものではないが作り方や見た目の美しさが人気を呼んでいたことが窺える。また、梔子は疲労回復や足腰に効能のある良薬ということで、旅人には心強い道中食だったようだ。

 時代は前後するが、それまで瀬戸山を通っていた東海道は、元禄3年(1690)になるとより平坦な青島の地を通る道筋に変えられ、染飯を出していた茶屋も街道に合わせて場所を移動した。場所は移ったものの、瀬戸の染飯という名はそのまま受け継がれたようだ。

 江戸時代を通して藤枝近辺の一番の名物として名高かった染飯だが、幕末が近づくにつれて徐々に作る茶屋が減っていったようだ。江戸時代後期の戯作者・柳亭種彦の弟子で、『忠臣蔵道中日記』の著者である笠亭仙果は、『於路加於比』の中で「近頃まで染飯を売る店があったが、最近は見かけない」と書き留めている。

 瀬戸の染飯を売っていた下青島の石野家は、明治20年(1887)に没した甚蔵の代で染飯業を止めている。その後、甚蔵の俳句仲間で元田中藩士の増田近山が一時期、染飯作りを受け継いでいたものの、近山が明治25年(1892)に亡くなると、300年以上も東海道名物の名を欲しいままにしていた染飯も遂に廃れてしまった。

 現在、藤枝駅にほど近い商店街にある惣菜・弁当の喜久屋では、かつての名物であった染飯を復活させ、弁当として販売している。染飯を包んだ竹皮の上には、壺型に「名物 瀬戸御染飯」の印が押されたかけ紙(昔は袋)がかけられている。江戸時代と変わらぬ意匠だ。壺型の版木は、市の指定文化財として石野家に残されている。

 竹皮をほどくと、中には黄色いおこわのおにぎりが収まっており、江戸時代の徒旅の先輩方もこれを食したのかと、思わず頬が緩む。昔の染飯の味はあまり評判が良くなかったようだが、現代版はサフランライスをおにぎりにしたような感じで、おいしく頂くことができる。

(写真は全てクリックすると大きくなります)

kikuya-someii.jpg

old-someii.JPG昔の染飯(復元)

someii-in-old-book.jpg瀬戸の染飯を売る茶店。旅人が覗き込む店の中では、老婆が蒸篭で米を炊いている。秋里籬島編・竹原春泉斉画『東海道名所図会』巻四(寛政9年刊)(豊橋市二川宿本陣資料館蔵)

someii-stamp.jpg

おたけせんべい本舗
  菓子: 花形、花形ざらめ(各1枚63円~)他
  住所: 静岡県藤枝市藤枝4-1-16
  電話: 054-641-0979
  営業時間: 月 9:00~17:00、火~日 9:00~18:00
  定休日: 不定休(年末年始、夏季休業あり)
  URL: http://www.otakesenbei.co.jp/

 明治の初めの頃のこと。当時、藤枝で義太夫の師匠を務めていた天野安次郎には、たけという名の妻がいた。おたけさんの愛称で親しまれていた彼女は、近所に住む著名な書家・石野雲嶺の居宅の梅園(神明神社付近)に咲く美しい梅の花に心を奪われて、その梅を模った煎餅を焼くようになった。おたけさんの焼くその煎餅はいつしか、藤枝宿を通る旅人の間で評判になり、以来、彼女の名前をとって「おたけせんべい」の名がつけられ、今日まで旅人や地元の人々に愛されて続けているんだとさ。

 おたけさんが最初に考案したという梅の花形の煎餅は、その名も「花形」。今も変わらず、昔ながらの製法で作られているロングセラーだ。現在はおたけさんから数えて六代目の主人が経営を任されている(煎餅を焼くのは職人さん)。

 煎餅というと草加煎餅のような堅いものか、あるいは瓦煎餅のようなカステラ生地を堅く焼いたものを想像する向きも多いのではないだろうか。しかし、おたけさんの「花形」の一番の特徴は、なんといってもその軽さにある。あくまで煎餅なので、ふわっという表現は適切ではないが、サクッとした歯ごたえは「淡さ」さえ感じられるほど軽やか。100%うるち米の風味豊かな煎餅で、口の中ですっと溶けていく。表面には砂糖を、裏面にはさっと醤油を塗った甘辛煎餅だ。

 まずはご賞味を、といいたいところだが、実は通の間では、ちょっとした食べ方のコツまであるのだとか。その食べ方というのは、砂糖の面を上にして頂くというもの。どっちが上でもいいではないかと思われるかもしれないが、侮ることなかれ。砂糖面を上にすることで、最初に舌が触れるのが下の醤油面になる。いったん口の中に醤油の風味が広がったところで、サクッと歯を当てると、今度は舌の上で徐々に溶けていく砂糖の甘みが後を追う。さらに噛みしめれば、米の香りと甘さも加わって…。この微妙な味の共演こそが、おたけさんの素朴な煎餅の醍醐味なのだ。

 「花形」にはもう一種、「花形ざらめ」もある。同じく梅の花を模って醤油を塗った煎餅に、ざらめ(粗目の砂糖)をまぶしたもの。醤油味と砂糖の甘さがよりはっきりと分かる煎餅だ。この他、青のり、ゆかり、白、さくら(各小袋入315円~)、丹尺、亀甲混ざり(各小袋入210円)など、味も形も様々な煎餅がのべ11種類。迷ってしまうという人は、まずはおたけさん考案の花形を。

otakesembei.JPG

otake-hanagata.JPG(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

志太温泉 潮生館
  宿泊: 通常日 14850円~
       休日前 15900円~(各1室2名1泊2食)
  会食+入浴: 昼懐石(1人5800円、2名~)、松花堂弁当(4200円、平日昼限定、6名~)
           夜懐石(1人7800円、2名~)他
       ※宿泊・会食+入浴はいずれも要予約
  住所: 静岡県藤枝市志太600-2-2
  電話: 054-641-2263
  URL: http://www.chooseikan.com/

 藤枝宿の中心地を過ぎて瀬戸川を渡ってしばらくゆき、藤枝駅にもほど近い水上橋交差点で右折。1.5kmほど北上して細い脇道に入ると、静かな木立の中に豪奢な造りの館が見えてくる。温泉旅館の潮生館だ。この辺は、塩場ヶ谷、地元の言葉で「ションバーギ」と呼ばれており、その名の通り塩分を多く含んだ鉱泉が湧き出る土地だった。

 近くに姥神社の祠があったことから、地元の人々は古くからこの鉱泉を神池の泉として大切にし、旅人も傷口を治したり疲れを癒すために利用していたという。強い塩分のため若干の濁りがある志太温泉は、ぬめりけがあって肌がつるつるになる美肌の湯だ。温度は低めのため多少加温してあるものの、加水のない源泉で湯冷めもしにくい。

 この志太の天然温泉が本格的に整備されたのは、明治10年になってからのこと。地元の有志によって「棄杖亭」が建てられ、湯治場としての本格利用が始まった。明治18年(1885)には温泉旅館「湯元」が創業。その2年後の明治20年(1887)には、地元に縁のある豪商が棄杖亭を廃して、湯元よりも高級な旅館「潮生館」を新たに建設した。以来、湯元、潮生館とも現在に至っている。

 昭和8年(1933)に離れが、昭和14年(1939)には本館(明治22年築)が全面的に改築された潮生館の建造物は、平成16年に国の有形文化財として指定を受けた。節のない松材の廊下や、同じ太さの小丸太をずらりと配した二階廊下の天井などは見事である。また、館内には犬養毅が投宿した際に残した書や、日本画家・青島蘭秀の手による当時の潮生館全景図などがかけられている。

 潮生館は宿泊してゆったりと過ごすにはこの上ない贅沢な宿だが、食事+入浴だけの利用も可能だ。昔の旅人も浸かった志太温泉は、東海道では箱根以来となる温泉。歩き旅を続ける現代の旅人の足の疲れも心地よくほぐしてくれそうだ。


(料理の写真をクリックすると大きくなります)

chouseikan.JPG

chouseikan-bath.JPG

chouseikan-dinner.JPG