和菓子街道 東海道 鞠子

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梅の里で、昔と変わらぬ名物とろろ汁に舌鼓

 安倍川を渡って静岡市街に別れを告げて、次第に山あいの雰囲気を帯びてくる道をゆくと、やがて丸子川に沿って集落をなす鞠子に到着する。鞠子の宿が作られたのは鎌倉時代初期、東海道が六十三次あった頃のことだ。本陣跡やお七里役所跡を見て、昔の屋号を掲げた商店をひやかしながら更に進むと、街道右手に突如として藁葺屋根の店が姿を現す。有名なとろろ汁の丁子屋だ。

 とろろ汁と並ぶ昔からの鞠子名物と言えば、梅。芭蕉が詠んだ「梅若菜まりこの宿のとろゝ汁」の句には梅ととろろ汁が詠み込まれ、や、広重の行書東海道「鞠子」にもとろろ汁の茶店と紅白の梅が描かれており、江戸時代には既にととろ汁と梅が鞠子の名物として定着していたことが分かる。現在では、個人が運営する丸子梅園に約800本もの梅の樹が植えられ、シーズンともなると大勢の観梅客がこの鄙の里を訪れる。

 丸子橋を渡って鞠子を離れ、山に向かって更に歩を進めると、宇津之谷の集落の手前で道はふたてに別れる。左の「蔦の細道」は在原業平ゆかりの古道。こちらにも心惹かれるがが、旧東海道は右側、集落の中を通って岡部宿に向かうルートだ。軒下に魔よけの「十団子」を吊るした家々が連なる宇津之谷の集落には、昔の空気がそのまま流れているよう。この先には、追いはぎが現れたという薄暗い宇津之谷峠が待っている。

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その他のおいしい立ち寄り情報

丁子屋
  料理: 丸子(1380円)、本陣(2000円)、府中(3200円)他
  住所: 静岡県静岡市駿河区丸子7-10-10
  電話: 054-258-1066
  営業時間: 11:00~19:00
  定休日: 木曜日(祝日の場合は前日休)、毎月最終水曜日(祝日も営業)

 鞠子宿の名物と言えば、昔からとろろ汁と決まっている。元禄4年(1691)に鞠子を訪れた芭蕉が、江戸に向かう弟子の乙州への餞別に詠んだ「梅若菜まりこの宿のとろゝ汁」の句はあまりにも有名だが、この句からも、江戸初期のその頃には既にとろろ汁が鞠子名物だったことが分かる。

 とろろ汁の原料となる自然薯は、日本の本州、四国、九州の山野にしか自生しない山の芋だ。静岡のこの辺りでは昔から沢山の自然薯がとれ、江戸時代の鞠子宿には十数軒ものとろろ汁屋が建ち並んでいたという。

 かの弥次さん喜多さんも一軒のとろろ汁屋に入ったが、店主夫妻の喧嘩に巻き込まれてほうほうの体で逃げ出し、腹ペコのまま宇津之谷峠に向かったのだ。しかし、『東海道中膝栗毛』の舞台となった一膳飯屋や、広重が描いた鞠子の藁葺(茅葺?)屋根の茶店がどの店であったのかということに関しては、実際のところ確かな証拠はないものの、恐らくこの丁子屋がモデルとなったのではないかと言われている。

 天明6年(1786)に出版された『東街便覧図略』には、当時の鞠子のとろろ汁は一椀二十文で、青海苔や唐辛子の粉が入った小さな箱とおひたしを盛った皿が添えられたとある。その頃から鞠子のとろろ汁は味噌仕立てで、街道に類を見ない旨いものとして知られていた。

 そんな歴史ある鞠子名物を食べさせる店も、今ではめっきり減り、数軒を残すのみとなった。その中でも、創業慶長元年(1596年)という老舗が丁子屋である。芭蕉がこの地を通った頃には、既に100年もの歴史を重ねていた店だ。現当主で十三代目を数え、現在大阪に行っている未来の十四代目ももうすぐ戻ってくることが決まっているという。当主ご夫妻は仲も良く、とろろをかけあうような喧嘩をおっぱじめることもないので、安心して店内へ。

 広重の絵にそっくりな茅葺屋根の店舗は、昭和45年に近くの農家から移築した江戸時代の建物。それ以前は板葺だったが、400年以上、変わらぬ場所でとろろ汁を作っている。ちょっと前までは茅葺屋根の建物だけで商いをしていたが、観光バスまで乗り入れるようになった近年、店を大きく建て増して、ギャラリーや土産物売り場も併設するようになった。

 肝心のとろろ汁は昔と変わらずコクのある味噌仕立て。すりおろしでも手でつかめるほど粘性のあるとろろを丹念にすり鉢にあて、マグロ節をきかせた醤油ベースの出汁、卵、甘みのある自家製の白味噌ベースの出汁を加えてゆっくりと伸ばしていく。それを、消化の良い麦飯にかけて、ずるずるっと頂く。好みで小口に切った青ネギを少々散らすのが丁子屋流だ。
 自然薯は天然の自然薯を種芋にした栽培種を使用。山へ行って手で掘っていたら、観光バスで大挙して訪れる客の需要に応えることができないので、無理からぬことだ。

 丁子屋では、とろろ汁、麦入ご飯、味噌汁、お新香、薬味という基本の「丸子」もいいが、欲張りさんには「丸子」にむかご揚げ団子と山菜2品をつけた「本陣」、あるいは揚とろ、切とろ、山菜、フルーツをつけた「府中」をお薦めしたい。土の香りがほのかにする山あいの名物を是非、ご堪能あれ。

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choujiya-tororo.JPG(料理の写真をクリックすると大きくなります)

お羽織屋                              松芳堂
  菓子: 十団子(10個入500円)                  住所: 静岡市葵区駒形通1-1-19
       ※お羽織入館料は200円                 電話: 054-251-2604
  住所: 静岡県静岡市宇津之谷171               営業時間: 11:00~20:00 (テイクアウト8:00~)
  電話: 054-258-1488                        定休日: 不定休
  営業時間: 9:00~16:00
  定休日: 不定休

 宇津之谷の集落を歩いていると、白く小さな数珠の束のようなものが民家の軒先ごとに揺られているのを見かける。この辺りで魔除けとして古くから作られている「十団子」だ。その昔、宇津之谷峠には旅人を捕まえては食べる悪い鬼が棲んでいた。ある時、旅の僧に姿を変えた地蔵菩薩が峠を通りかかると、噂の鬼が姿を現した。

 僧が「お前の通力は大したものだ。できるだけ小さなものに化けて私の手の上に乗ってみよ」とおだてると、鬼はまんまとひっかかって小さな玉に化けた。すかさず、僧がそれを杖で砕くと十粒の小玉になった。僧は「お前はこれで成仏した。これからは人を悩ますなよ」と言って小玉を一口に飲み込んでしまった。以来、鬼は出なくなったという。

 これは、古くからこの地に残る逸話だ。東海道で最も古い名物として知られる十団子は、米の粉でできた白い団子で、宇津之谷の家々ではこれを器に盛って軒先に置き、お客の前で器用に杓子を使ってきっちり10個ずつすくって売っていたという。旅人はこれを買って食べて、峠越えに備えたのだ。腹の中にお守りを入れるという意味と、力をつけるという意味が込められていたのだろう。

 昔は1粒あたりがある程度の大きさ(500円玉より少し大きいくらいか)だったという十団子だが、元禄の頃(1688~1704)には今のように1粒の直径が8㎜ほどという小粒の団子になったようだ。芭蕉の弟子の森川許六も「十団子も小粒になりぬ秋の風」の句を残している。

 小粒にした団子は10粒一組で緒に通してあり、江戸時代の浮世絵にも、数珠のような十団子が民家で売られている様子が描かれている。現在の十団子は10粒一組の輪を9つ束ねたもので「九十九の難を除ける」という意味が込められているという。。毎年8月23~24日に行なわれる慶龍寺のお祭りで販売されるが、集落の中ほどにあるお羽織屋では通年販売している。

 しかしながら、このお守り十団子、小粒ながらとても固くて食べられたものではない。昔の旅人が食べていたものは、恐らく作りたてのまだ柔らかい団子だったに違いない。現代の旅人だって、お腹に厄除団子を入れて峠を越したい!というか、食べたい!というリクエストが多かった、かどうかは分からないが、近年になって待望の食べられる十団子が考案された。

 考案したのは、慶龍寺の親戚筋に当たる静岡市内の菓子屋、松芳堂だ。現代版食べられる十団子は、胡麻、オレンジ、ニッキ、抹茶、桜味の5種類のすあま(新粉で作った団子)が2つずつ入った升目箱入り。お羽織屋でのみ販売している。入荷は毎週木曜日、しかも1回に10箱しか入ってこない。管理人のように、これがなくては峠が越せないという人は、ご予約を。



*お羽織屋について*

 天正18年(1590)、秀吉が小田原攻めに向かう途中、宇津之谷の里を通りかかった時のこと。馬のわらじが古くなったため取り替えようと、村の庄屋・石川忠左衛門の家に立ち寄った。ところが、忠左衛門は三脚分しかわらじを差し出さない。

 いぶかしく思った秀吉がどういうわけかと問うと、忠左衛門、「残る一脚はお戦でご勝利されてから献上させて頂きます。それまで、ご勝利を祈願しております」と答えた。更に、秀吉が近くの山を指して「あの山は何と申す」と問えば、名もないその山を「勝山です」と、「山の上のあの大木は」と問えば「勝の木(カチグリ)です」と答えた。すっかり気分を良くした秀吉は、勇んで小田原に向かった。

 小田原の北条氏を倒した秀吉は、帰路、再び宇津之谷で忠左衛門を訪ねた。「そちの祈願の甲斐あって、戦に勝った。約束の馬のわらじは持ち帰るぞ」そう言うと秀吉は、着ていた陣羽織を脱いで忠左衛門に褒美として与えた。

 以来、石川家は「お羽織屋」として知られるようになり、徳川家康をはじめ、この地を通った諸大名は、戦上手の秀吉にあやかりたいと、この羽織を触ってみたり、ちぎってみたり(端切れをお守りにするため)。かつては鮮やかな朱色だった羽織も今では手垢ですっかり色褪せ、ぼろぼろになっている(家康が石川家に残した茶碗の方が骨董価値は高いとも)。

 ちなみに、お羽織屋の現当主は二十代目。御年85歳(06年現在)の先代夫人が見事な語り口で由来の口上を聞かせてくれる。娘さんや孫娘さんも既に口上を述べることができるのだとか。



(お守りとお菓子の十団子の写真はクリックすると大きくなります)

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