和菓子街道 東海道 江尻

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巴川の水利で繁栄した江尻の宿

 先の興津宿を後に、しばらくは国道に沿って進む。辻三丁目のY字路で国道と分かれて、いかにも旧道らしい右の道に入るが、この分岐点には「ほそいの松原跡」がある。

 江戸時代、この辺りには全長360メートル・206本もの松が街道両側に植えられていたというが、太平洋戦争時に松根油の原料として伐採されてしまった。今では平成4年に新しく植えられた細い松がひょろっと立っているのみだ。

 旧道を入ってしばらく行くと、現在の清水駅前通りを越した辺りから江尻宿が始まる。元々江尻は、今川時代から三日市場として栄えていたが、永禄12年(1569)に武田信玄が小芝城(江尻城)を築いて以来、城下町として生まれ変わった町である。その後、慶長6年(1601)には東海道の整備と共に宿場町に定められている。

 鉤の手に曲がると、かつては旅籠が建ち並んでいた宿場の中心部に入る。今は商店街、通称「清水銀座」になっている。本陣2軒、脇本陣3軒という比較的大きな宿場町だったが、古い建物などは戦争でほとんどが焼き尽くされてしまった。今はジグザグに進む道のみが、ここが宿場町であったことを示すのみである。

 470年以上に渡って営業を続けていた元脇本陣の大ひさし屋旅館も、残念ながら平成19年1月に廃業となった。余談だが、大ひさし屋の屋号の由来は、『一心太助』で有名な大久保彦左衛門がここをたびたび訪れており、ある日「おお、久しかったのぉ」と言って店に入ってきたから、とか。果たしてこの話、嘘か誠か???

 ところで、この清水銀座の裏手、方位で言えば北側に、江浄寺という古刹がある。徳川家康がまだ今川氏の人質として府中にいた頃、後に築山御前と呼ばれることになる今川一族の娘を娶る。その間に生まれた家康の長男・岡崎三郎信康の菩提所が、この江浄寺である。成長すると信康は織田信長の娘と結婚し、信長とは義理の親子となるが、このふたりはどうにも馬が合わなかったようだ。

 天正7年(1579)、信康は母の築山御前と共に敵の武田方に内通しているとの噂が立てられ、信長の怒りを買ってしまう。信長は家康に実子信康を討つよう強要。やむを得ず、家康は当時信康のいた遠州二俣城に討人を差し向けるのだった。遺髪は、侍女の楓と徳川家臣の平岩七之助親吉が大事に保管していたが、慶長11年(1606)に江尻にもほど近い久能城に封じられた信康の家臣・榊原七郎右ェ門清政が譲り受け、江浄寺に葬った。

 家康は府中に隠居した後、何度となく江浄寺に人を遣わして我が子に己の非道を詫びたと伝えられている。家康没後も、徳川家では代々、江浄寺に代参を建てて信康の霊を弔ったという。実子とはいえ、信長の命で討った「敵」とみなされているため、家康や歴代将軍が自ら信康の菩提に手を合わせることはできなかったのだろう。

 三代将軍家光の代になると、江浄寺に葵の御紋の使用が許可され、江浄寺はこの地方の寺院頭頌へと昇格することができた。義父の命によって実父によって殺された悲運の信康は、ようやく安寧の眠りにつくことができたというわけだ。もっとも、将軍直々による参拝はその後も行われなかった。

 江戸時代には、江尻を通る参勤交代の諸大名は必ず江浄寺に立ち寄って徳川初代家康の長男、二代将軍にもなったかもしれない信康の菩提に参拝した。そのため、大名方は駿河一の宿場町・府中よりもむしろ、江尻に宿をとうことの方が多かったという。もっとも、徳川幕府留守城だった駿府城のお膝元の府中宿では、あまり派手に遊ぶこともできなかったため、とも言われているが。

 さて、旧東海道に戻って清水銀座の先を行こう。街道は履物屋の角を左折するが、曲がらず真っ直ぐ行くと魚町稲荷神社がある。この神社と裏の小学校を合わせた一帯が、前出の小芝城(江尻城)の跡である。信玄が築き、後に武田方の重臣・穴山信君(梅雪)が改築した小芝城だが、わずか20数年ほどで廃城。城門は東明院の山門として移築されている。神社は今ではむしろ、サッカー神社として知られており、「日本少年サッカー発祥の碑」と銘打った巨大な石のサッカーボールが社殿横に置かれている。

 再び旧道に戻って先ほどの履物屋の角で曲がると、巴川に出会う。昔はその名の通り、巴状に蛇行して流れていたというこの川は、小芝城の堀の一部として利用されていたという。また、当時は安倍川の支流である北川や横内川が流れ込み、現在の5倍ほどの川幅があり、水量も多く、この辺り一帯の重要な水路でもあったと言われている。慶長11年に家康が駿府城を大改修した際にも、この川を利用して伊豆から堀に使う城石が運ばれた。

 その証拠となるのが、川を少し下った辺りに架かる柳橋の近くにある「巴川製紙所・清水事業所」の門柱として使われている「三ツ石」である。城石を積んだ船は、かつては支流を通して駿府城まで通じていた巴川の水利で府中まで運ばれたが、途中、石が舟から落ちることもあった。

 城に使う石が落ちるのは「落城」につながり縁起が悪いとして、落ちた石は拾われることなくそのまま放置された。今でも巴川の川底にはそういった石がいくつか眠っていると言われているが、中には川べりに落ちた石もあり、そのうち一緒に落ちていた3つが三ツ石と呼ばれるようになった。門柱にはそのうちのふたつが用いられている。

 蛇行していた巴川が現在のように真っ直ぐに流れるようになったのは、明治39年(1906)から大正元年(1912)にかけて行われた改修工事以降である。それまでも治水上の問題が多く、たびたび改修工事がなされていた巴川だったが、真っ直ぐになってからは水害もなくなったようだ。

 前後するが、この巴川に稚児橋が架けられたのは慶長12年(1607)のこと。駿府城の改修の際、家康は、それまで駿府の街中を幾筋にも分かれて流れながら巴川に注ぎ込んでいた安倍川を、町の西側に土手を築いて流れをひとまとめにして南に流した。

 この安倍川改修によって巴川は安倍川と遮断され、水量が従来より大幅に減り、大船の通航がなくなった。その結果、江尻の津は次第に河口付近へと移動し、やがて清水湊が形成されていった。そして、大船の通らなくなった巴川に、家康の命によって初めて架けられた橋が稚児橋なのである。

 稚児橋の名前の由来は、橋の渡り初め式の時、ひとりの奇童が河中から姿を現し、あれよあれよと言う間に橋を渡って府中の方へ歩み去ったという伝説によるもの。その奇童に因んで橋の名も当初は児橋と命名されたが、後に稚児橋と呼ばれるようになった。奇童は巴川に住む河童であろうと言われ、現在は橋の欄干には可愛らしい子供の河童のモニュメントが置かれている。

 稚児橋を渡ってしばらく行くと変則十字路にぶつかる。直進すれば久能山への参詣道、右折すれば府中方面という久能街道分と旧東海道との岐点だ。その一角には八百屋を兼ねた「いちろんさん」と呼ばれる店。竹串に指先ほどの大きさの人形の顔をつけた郷土玩具「でっころぼう人形」を作って売る店だ。

 でっころぼう人形とは、夜泣きする子供の枕元に置いたり、着せかえ人形として子供が遊んだという首人形で、現在は七代目の主人が江戸時代から伝わる型を使って作っている。不思議な店名は、人形師の堀尾市郎右衛門が作り始めたことから、舌の絡まりそうな「いちろううえもんさん」が転じて「いちろんさん」になったものだという。

 いちろんさんの見物をしてから旧道を更に進むと、清水湊への追分(追分羊かんのページ参照)を経て、平川地でJR東海道線・静岡鉄道の線路を跨ぐ。ここから先は右に走る静岡鉄道の線路に着かず離れずして狐ヶ崎、草薙を通って府中を目指す。

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 ・追分羊かん 「追分羊かん」

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その他のおいしい立ち寄り情報

くりた瓦せんべい老舗
  菓子: 瓦煎餅(4種入1袋355円~)他
  住所: 静岡県静岡市清水区入江南町9-28
  電話: 0543-66-7471
  営業時間: 7:30~18:00
  定休日: 日曜日

 江尻宿を出てしばらく行った街道沿いに、風情ある店を構える「くりた」は、瓦煎餅専門の菓子屋だ。引き戸を開けて店内に入ると、白地に「瓦煎餅」と黒字で書かれた大きな暖簾が壁にかけられているのが目にはいる。番台兼用の陳列ケースに並べられているのは瓦煎餅のみ。

 くりたの創業は明治末年で、当初は煎餅の他にも飴や駄菓子の類も作っていたという。しかし、昭和25年に店を継いだ現在のご主人(三代目)の代からは瓦煎餅一本に絞るようになったのだそう。

 瓦煎餅のみといっても、スタンダードな四角い瓦煎餅に加えて、生姜糖を絡めて煎餅を半月型に折り曲げた生姜煎餅、薄焼きでクッキーのようなサクサク感のある丸い卵煎餅、飴状の砂糖棒を芯にして巻いた巻き煎餅と、4種類のバリエーションがある。

「昔は飴なんかもやっていたもんだから、巻き煎餅の芯なんかもきちんと造る技術があるだ」

 そう語るのは、職人気質のご主人。毎朝5時には起きだして、その日焼くと決めている煎餅1種類をお昼頃まで焼く。ともすると素朴に見える瓦煎餅だが、ひとつひとつに手間がかかるため、1日1種類しか作らないのだ。4日間のローテーションで、これを繰り返す。

 素材ももちろん大切にしているし、添加物の類も一切用いない。生姜煎餅にしても、古根(ひね生姜)をすり下ろして使っているため、時間が経てば経つほど香りが飛んでしまう。

「有名な店でも、生姜の風味や辛味がいつまでも効いているでしょう?そういうのは添加物を使っているから、ずっとピリピリッとしてるんだ。残念ながらうちのはそうじゃない。だから、本当ならできてすぐのを食べてもらいたいね」

 丁寧に作られる瓦煎餅は、堅すぎず、歯を当てると小気味よく砕けて、ふんわりと卵と小麦粉の香りが口の中に広がる。柔らかな甘さが、後を追いかけてくる。

 四角い瓦煎餅の表面には、季節の模様が色砂糖で描かれたもの、三保の松原の天女の羽衣伝説をモチーフにした焼印、清水港をイメージした船の焼印の3種類があるが、事前に注文しておけば、誕生日や名前、メッセージなどを色砂糖で描いてもらうこともできる。江尻を訪れた記念にオリジナルを作ってもらうのも、いいアイディアかもしれない。

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kurita-sembei.JPG(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

手焼きせんべいの栗田
  菓子: しょうゆ煎餅(1枚50円)、ねぎみそ煎餅、ソース煎餅(各1枚60円)
       ざらめ煎餅、白雪煎餅(各1枚70円)、海苔煎餅(1枚80円)他
  住所: 静岡県静岡市清水江尻町1-10
  電話: 0543-66-2610
  営業時間: 8:00~18:00
  定休日: なし
  URL: http://www.kurita-senbei.co.jp/

 江尻の町を散策しながら老舗らしい和菓子屋を探していると、清水銀座で日用雑貨を売っている店のおじさんが、「栗田さんは昔からやってる店よ」と教えてくれた。どちらの栗田さん?と問うた。なにせ、江尻には栗田という名の店が多い。菓子屋だけでも3、4軒はあったはずだ。瓦煎餅の栗田さんなら既に訪れているし、大福餅で有名な店は東海道から少し離れている。

 しかし、清水銀座のおじさんが教えてくれたのは、私が考えていたのとはまた別の店だった。清水銀座の裏手に、徳川家康の長男・信康の墓所である江浄寺があるが、この寺と道を隔てて反対側の細い通りに面して、その店はあるという。早速訪ねてみることにした。

 木看板に「手焼どうらくせんべい」と書かれた栗田せんべい本舗は、現当主で四代目。明治30年(1897)の創業以来、手焼き煎餅一筋の老舗だ。こじんまりとした店内に入ると、そこは当たり前だが煎餅だらけ。棚にも平台にも、煎餅がどっさりと積まれている。色々な煎餅やあられがあるが、自家製で作っているものは主に丸い煎餅だという。

 「昔はうるち米を炊いて煎餅生地を作って、屋根の上で2、3日、完全に乾かしてから焼くという作業をしていました。でも今は、空気が悪くなったから、もうここで乾かすことはしません」(ご主人)

 今では、東北地方の煎餅生地メーカーから丸煎餅の生地を取り寄せて使っているという。店舗の向かいにある作業場では、土日以外は毎朝3時頃から7時頃まで、煎餅を焼く作業が行われている。下火だけで、丹念に1枚1枚、様子を見て何度もひっくり返しながら焼くことで、歯ごたえのある固焼き煎餅に仕上げていく。

 最近は観光地などにその場で焼いた煎餅を食べさせる店が増えているが、ご主人曰く、煎餅は2日目くらいが一番おいしいそう。生地に醤油が馴染むし、完全に水分が抜け切って、歯を当てるとばりっと良い音で割れて、香ばしさが際立つのだという。

 試みに、棚に並んでいる手焼き煎餅をいくつか選んで買ってみることにした。しょうゆ煎餅に、ざらめ煎餅、白雪煎餅といった定番もあれば、ソース煎餅なんてのもある。海苔煎餅は、四角に切った海苔を片面に貼ったものもあれば(70円)、煎餅を丸ごと海苔で包んだ真っ黒なものもある(80円)。色々選べて、値段も手ごろなのが嬉しい。

 堅く焼いた煎餅は香ばしく、うるち米の生地の味がしっかりと出るように表面の醤油は控えめにしてあるようだ。変り種のソース煎餅は、予想以上によく煎餅に合っていて、ちょっと癖になるお味だ。

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kurita2-sembei.jpg(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

くすのき楼
  料理: くみあげ豆腐(580円)、楠楼の親子丼(730円)、あんかけ生湯葉丼(630円)
       生湯葉のしゃぶしゃぶ(920円)、清水のフルーツトマト(520円)他
  住所: 静岡県静岡市清水区入江1-9-21
  電話: 0543-66-5287
  営業時間: 17:30~23:00
  定休日: 火曜日

 河童伝説の残る稚児橋の西詰めに、「楠楼」という料亭がかつてあった。昔々、この稚児橋のすぐ近くに荒神社があり、境内には楠の巨木が枝を広げていた。文化文政年間(1804~1830)、この荒神社のすぐ傍らで料理屋を開いたのが、楠楼の始まりと言われている。荒神社は今はここにはなく、御神体のみ移されて、稚児橋より少し北にある白髭神社に合祀されているが、楠の巨木の切り株は今も店の前にあるという。

 さて、その楠楼を「かつてあった」と過去形で書いたが、実は今は、「くすのき楼」の名で同じ場所に新しい店を構えている。2001年に行われた稚児橋の架け替えの前後3年間、一時休業をした後、2002年11月にリニューアル・オープン。格式の高い料亭から、予約なしで気軽に立ち寄れる和風ダイニングへと生まれ変わった。店名もより親しみやすく、平仮名に開いてくすのき楼としたのだそう。

 開店の時間に合わせて、くすのき楼を訪れた。冠木門の下に、「河童のこしかけ石」がある。平成3年秋の台風によって石垣が崩れたため修復工事を行ったところ、5つの石が掘り出された。

 駿府城を築くにあたって、石垣の石を伊豆から運んだ際、巴川に落ちてそのままになっていた物と考えられている。つまり、「巴川製紙所・清水事業所」の門柱に使われているものと同じだ。 

 この石のことは、同日の昼に食事をした玉川楼のご主人に聞いて知っていた。説明には、「誰言うことなく稚児橋の河童伝説にちなみ“河童のこしかけ石”と呼ばれるようになりました」とあるが、玉川楼のご主人、「何か名前を付けようということになり、みんなで“河童のこしかけ石”なんてのはどう?なんて言ってたら、それに決まってしまってね(笑)」なんて言っていたっけ。

 石見物もほどほどに、大きな暖簾の下がった玄関を入ると、太い梁が目を引く。靴を脱いで上がり、磨かれた木目の床と畳を配した廊下を伝っていく。店内にはジャズが流れ、拡大した江尻宿の絵図が壁に貼られたバーカウンター越しに、六代目のご主人・佐藤初さんと語らう常連客も多い。おそらく、この界隈では今、一番オシャレな食事処なのではないか。

 バーカウンターの他にも、巴川を眺めることのできる掘りごたつ式の席、アンティーク家具を置いたテーブル席「大正の間」、格子戸の奥の「大海の間」、床の間のある「楠の間」など、テーマ別に雰囲気の異なる部屋がある。私と相方は、巴川の見える席に陣取った。

 この日お目当てにしていたのは、くすのき楼で力を入れているという豆腐料理と、「ちょっと変わってるんですよ」と聞いていた「楠楼の親子丼」。しかし、親子丼は本日は素材が揃わないため出せないとか。それならば、他にこの店らしいもの、もしくは清水・江尻らしいものをと、改めてメニューに目を通す。

 目をつけた「鯨の竜田揚げ」や、海苔・桜海老・しらす干をあしらった「楠風浜辺の豆腐」、生湯葉を豆乳鍋で頂く「生湯葉のしゃぶしゃぶ」などは残念ながらこの日は用意できないそう。そこで、メニューを取りにきた若い店員さんにお薦めを聞いてみると、「くみあげ豆腐は是非、お試し頂きたいです。あと、個人的にはエイヒレがお薦めです」と言うので、まずはそのふたつを。

 あとは、メニューには載っていないが、この日はヒラメの昆布〆やシラガ(小ぶりのタチウオ)の干物、ご飯ものではあんかけ生湯葉丼もできるというので、その3つもお願いした。それから、清水産というフルーツトマト。

 日によって良い素材の入荷がなければメニューにあっても出さないものがあったり、逆に良い物が入ればメニューになくても出す。味にこだわる店なのだなと、期待しながら料理を待つ。窓の外には、夜を吸い込んだような漆黒の巴川が静かに流れている。

 くみあげ豆腐が運ばれてきた時は、ちょっと驚いた。だって、薄いオレンジ色なんだもの。店員さんに聞くと、どうやらこれは南瓜の色らしい。くすのき楼のくみあげ豆腐は、自家製豆乳に南瓜の裏ごしやグリーンピース、トウモロコシなどを混ぜ込んだ豆腐をすくったものなのだ。豆腐はもちろん毎日手作りされており、プレーンの日もあるが、日によって何味の豆腐になるかは分からないので、出てくるまでのお楽しみ、というわけだ。

 「堅い豆冨はうまくない」とご主人がこだわるだけあって、柔らかく、滑らかな豆腐は、大豆の甘味と南瓜の甘味が優しく溶け合い、実に美味。醤油や塩などをつける必要はない。これだけで充分、夜まで待った甲斐があったと思った。

 その他、昆布だしの効いたあんかけ生湯葉丼もさっぱりとしていて頂きやすいし、自家干しにしたシラガも程よい塩加減でいける。昆布の風味が移ったヒラメの昆布〆も、ぷりぷりっとしていて甘味がある。やはり元は老舗料亭、きちんとしたものを出してくれる。

 下戸の私は飲めないが、日本酒や焼酎の取り揃えも豊富だ。自家製の梅酒や、関西の夏の定番飲み物「ひやしあめ」を使ったオリジナル日本酒カクテル「冷やしあめ純米サワー」などもある。毎年7月16日の新盆には巴川で燈籠流しが行われ、店内からはその様子を眺めることができるそう。幻想的な夜の巴川と出会えるくすのき楼、お薦めです。

(料理の写真はクリックすると大きくなります)

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割烹旅館 玉川楼/リバーサイドイン玉川
  料理: 会席料理(5000円~+奉仕料+税) ※要予約、2名~。
       ※料亭部門の営業は07年3月31日まで。7月末に昼のみ営業のレストラン部門を新設予定(07年3月現在)。
  宿泊: 1泊素泊まり5775円~(朝食+840円)
  住所: 静岡県静岡市清水入江1-2-17
  電話: 0543-66-1284
  営業時間: 予約次第
  定休日: 予約次第
  URL: http://www.tamagawa-rou.co.jp/

 東海道を渡す稚児橋より、ひとつ南の柳橋。この橋の袂に、背の高い塀を廻らせた玉川楼がある。雑誌などでも時折紹介されている老舗料亭で、創業は江戸時代末期に遡ることができる。

 元は江尻宿の中心、今でいう清水銀座で鰻屋として始まった玉川楼(現在の春田眼鏡店はその跡地)。店名の由来は、当時、清水にあった「玉川」という名の地酒からとったものだとか。

 昭和6年に巴川に柳橋が架けられるとそれを機に現在地に移転してきて、鰻屋をやめて本格的な料亭となり、戦時中には、大きな軍用港のあった清水において軍人を泊める旅館も兼ねるようになった。もっとも、清水は完封射撃を受けており、玉川楼もやがて全焼。現在も使われている門のみが、戦前から残された唯一の建物だという。

 ところで、実は玉川楼の初代は、この先の追分で有名な追分羊かんの府川家の出である。追分の府川家から分家して、江尻宿で鰻屋を開業したのだ。

 以来、府川家とは親戚関係なのだが、玉川楼では代々、どういうわけか子宝に恵まれず、代替わりするごとに追分の府川家をはじめとする親戚から養子をとっては暖簾をつないできたという。五代目に当たる先代も、追分の府川家から玉川楼に養子として迎えられ、当代もまた、別の親戚の出なのだそう。当代のご夫妻にして初めて子宝に恵まれ、未来の七代目は既に料理人として玉川楼の板場に立っているという。

 広い間口の立派な玄関を入ると、まず目に留まったのが、酒井抱一の手による雛の絵。抱一は言うまでもなく、姫路二代藩主酒井忠以の弟で、江戸琳派の創始者となった絵師である。そんな大物の作品に、思いがけず出会ったものだ。部屋へと案内される廊下でも、所々に著名な絵師や書家の作品を目にし、ため息を何度もついた。

 黒竹の茂る庭を眺めながらの食事もまた、素晴らしいものだった。前菜には、黒塗りのお重が出され、ときめきを想像しながら蓋を開けると、季節(この時は初春)を詰め込んだ可愛らしいお口取りの数々が、期待を裏切らずそこにちょこんと座っている。

 その後も、豊富な漁獲高を誇る清水が近いだけあって新鮮な刺身の盛り合わせや甘鯛の焼き物、タコの酢の物、鍋物、天婦羅などが出され、大満足の料理を頂くことができた。

 料理を載せる敷紙は、絵心のある六代目が自ら描いた季節の絵と俳句が添えられていて、食後のお茶を楽しみながらその絵を愛でた。

 食事の後、六代目のご主人が玉川楼や江尻の歴史について色々とお話を聞かせてくれた。ご主人自身、実は大学では歴史を学び、地元の郷土史家として知られた存在なのだ。

 江戸期以前の東海道が今よりずっと北の山麓を通っていたことや、源頼朝の後継者・頼家に追放された武将・梶原景季一族がこの地で土豪に襲われて絶えたこと、その土豪は手柄を立てたことで篤く守られ吉川家となったこと、江尻城のこと、正岡子規や芥川龍之介など江尻を訪れた文豪のこと、果てはサッカーのことまで、話は多岐に及んだ。

 また、先の酒井抱一の絵の他にも、谷文晁の絵や、隠元和尚、沢庵和尚、勝海舟や山岡鉄舟の書などの所蔵品のことにも話が及んだ。実は、料亭玉川楼は平成19年3月には閉店することが決まっている。

 現在の立派な建物は取り壊してしまうというのだ。その代わり、平成になってから新たに設けたホテル部門「リバーサイドイン玉川」1本の経営に絞り、料亭部門の跡地にはホテルのレストランを設けて、その一部をギャラリーとして所蔵品を随時公開していく予定だそう。

 残念ながらこの日はそれらの貴重な所蔵品を見物することはできなかったが(「予約の時に言ってくれたらお見せできるよう準備しておいたのに」とご主人)、料亭の庭園内にある「持仏堂」の中を拝見させて頂くことができた。

 中に安置されているのは、武田信玄が戦に持って行ったと伝えられる持仏だ。いわゆる携帯用の仏像だが、厨子も含めると高さは1メートルほどもあろうか。

「戦国時代の武将は、こういった仏像を持って出陣したそうです。因果な戦で何人も斬るわけですからね」

 とご主人。この仏像はあくまで「伝武田信玄蔵」と言われているだけで、実際に信玄のものだったかどうかは定かではない。ただ、京都の学者が調べたところ、少なくとも江戸時代初期までは遡ることができ、なかなか立派なものであるらしい。元は三島大社にあったものだが、わけあって先代の頃に大社側から玉川楼府川家に寄贈されたものだという。

 持仏堂は今のご主人が建てた堂だが、これも料亭と共に取り壊し、新たな堂を改めて設けたいと思っているそう。

 玉川楼の新しい店舗は平成19年7月末にはオープンを予定しているとのこと。レストランは昼のみの営業になるそうだが、その折には改めてここを訪れ、貴重な所蔵品を展示したギャラリーを是非、拝見したいものだ。

(料理の写真はクリックすると大きくなります)

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