和菓子街道 東海道 興津

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古関から宿場、別荘地へと変遷を遂げた興津の町

 かつては「東海道の親不知」と言われた薩った峠を下りきり、興津川を渡ると、ほどなくして東海道17番目の宿場町、興津宿に到着する。街道右奥にある宗像神社は、地名の由来ともなっているオキツヒメを祭神とする社だ。女神を祭っていることと、杜が女性の姿に見えることから「女体の森」とも呼ばれた神社で、海から見ると、こんもりと茂る杜がひときわ目立つため、沖に出た漁師の目印にもなっていた。

 街道に面して置かれた宗像神社の鳥居を過ぎて西進すると、身延山道との分岐点に大きな髭題目の碑が立っている。食いしん坊の観点では、興津の海で獲れたあわびは、この道を通って甲州まで運ばれた、ということになる。今ではすっかり甲州名物となったあわびの煮貝は、興津を出発点にしているのだ。

 ちなみに、かの『東海道中膝栗毛』には、弥次・喜多のコンビが興津宿内で「あやしげなる茶屋」に立ち寄って、きな粉団子もどきの糠(ぬか)団子を食べてしまうという話が出てくる。もちろん、今の興津にはそんないい加減な茶屋はない。

 むしろ、今の興津にあるのはおいしい店ばかりだ。

  ・髭題目の裏手にある「もちや」 (興津中町、電話0543-69-12489)の草餅

  ・茶問屋・山梨商店が運営する和カフェ「茶楽」 (興津本町158-1、電話0543-69-2301)

  ・表面はカリッ、中はもっちりとした皮が特徴の「興津のたいやき屋 伏見」(昭和36年創業) (興津中町198-1、電話0543-69-1343)

  ・「鰺の押し寿司」で有名な割烹旅館「大和」 (興津中町178、電話0543-69-0041)

 などなど、興津で訪れたい店はたくさんある。(食べ物の写真はクリックすると大きくなります)

 さて、食物談義から宿場散策に話を戻そう。風光明媚で知られた清見潟に面した興津は、古代には坂東への備えとして清見ヶ関が設けられるなど、早くから街道の重要拠点として目されてきた。

 江戸時代の興津は、本陣2軒、脇本陣2軒を擁する宿場町として賑わった。明治以降は、冬も暖かな避寒地として、伊藤博文や井上馨、西園寺公望など、歴史教科書でもお馴染みの重鎮が競うように別荘を建てたことで全国的に知られた土地だ。

 前述の清見ヶ関跡にある清見寺の創建は、7世紀の白鳳時代。東海道屈指の古刹に相応しく、石段を登った上にある山門には「東海名区」と書かれた扁額がかけられている。山門から先は、JR東海道本線の線路の上にかかる跨線橋を渡って境内に入る。

 境内には、徳川家康が接木したと伝えられる臥龍梅や、豊臣秀吉縁の鐘楼、江戸中期の天明年間(1781~1788)に造られた五百羅漢などが散在する。五百羅漢の中には自分に似た顔、知人に似た顔が必ず見つかると言われるが、果たして…。

 清見寺を出てからは、次なる江尻宿を目指して単調に国道一号線を進む。波多打川、庵原川、藍染川と越えてゆけば、やがて江尻手前の「ほそいの松原跡」が見えてくる。

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その他のおいしい立ち寄り情報

潮屋

  菓子: 宮様まんぢう(14個入り315円~、化粧箱入り25個575円~)
       あげまんぢう(10個500円~)他
  住所: 静岡県清水区興津本町27-1
  電話: 0543-69-0348
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 火曜日
  URL: http://www.miyasamamanjiu.com/

 現在の興津宿内の菓子屋を調べてみると、「うしおや」とよばれる菓子屋が3軒ばかり見つかる。そのうちの1軒は「潮屋本店」といい、明治元年(1868)の興津宿の町割り図中では、脇本陣水口屋の東隣の「菓子屋治三郎」と記されている。おそらく江戸時代から続いていたと思われるが、残念ながら後継者がなく廃業して幾年。現在は店もない(なぜか電話番号だけは残っている)。この潮屋本店の親戚筋で、明治30年(1897)に創業したのが興津宿の中ほどにある「潮屋」だ。さらに、近年になって潮屋から暖簾分けした「うしほや」は、宗像神社の近くに店を構えている。

 さて、今回この興津のページで紹介したいのは、明治年間創業の「潮屋」である。こちらの名物は、なんといっても「宮様まんぢう」。その名の通り、宮様がお召し上がりになった菓子だ。四代目の当主に当たる若旦那・小澤智弘さんの妹さんが、色々とお話を聞かせてくれた。

 明治時代、気候がよく、冬は温暖で過ごしやすく、夏は海水浴が楽しめることで知られていた興津には、明治以降は元勲や素封家たちの別荘が数多く建てられた。京都から宮家の人々が静養に訪れることも少なくなく、今はギャラリーになっている脇本陣の水口屋には、そういった貴人が使用した食器や旅道具などが展示されている。

 有栖川宮も興津を訪れた宮様のひとりだった。そして、清見寺に滞在していた有栖川宮に献上されたのが、前述の潮屋の宮様まんぢうだ。地元の麹店「木嶋こうじ店(こうじや長兵衛)」(現・六代目)の手作り米麹を使って作る酒種を使って、昔ながらの製法で作られる酒蒸し饅頭で、皮は薄めながら、ほのかに酒の香りがして、しっとりとした漉し餡とよくなじむ。酒種由来の酒成分が餡に染みるため、餡はかすかに酸味をおびて、独特の風味を出している。この饅頭を召された有栖川宮はたいそう喜び、以来、興津を訪れる宮様方のお好みとして、宮様まんぢうが献上されるようになった。

 宮様まんぢうは500円玉くらいの小粒饅頭だが、これは明治後期に、まだ幼かった明治天皇第六皇女常宮昌子内親王と第七皇女周宮房子内親王の両内親王のために小さく作らせたためと言われている。また、昭和の頃には、昭和天皇の第二皇子・常陸宮には特に贔屓にされ、たびたび御用邸に届けていたという。

 菓名も、当時の宮内省から直々に賜ったものだ。宮様やら宮家云々という名のつく物は畏れ多いとして、ことごとく名を変えたという第二次世界大戦中にも、宮内省から直接頂いた菓名ということで、宮様まんぢうはそのままの名で通すことを許されていたそう。

 そんな由緒ある宮様まんぢうだが、比較的早い時期から庶民の口にも入るようになったようだ。潮屋に残されている古い菓子の料金表には、「宮様まんぢう 壱籠 金弐拾銭以上壱円?」と記されており、当時はこの小さな饅頭が籠売りされていたことを伝えている。

 ちなみに、宮様まんぢうを油で揚げた「あげまんぢう」もお薦め。蒸篭で饅頭を蒸すと、どうしても雫が落ちて皮がゆるくなってしまうものがいくつか出る。味は変わらないものの、見た目が売り物にはならない。潮屋の小沢家がこの「不良品」を食べてみようとあれこれ工夫してみたが、素揚げしたものが一番おいしく、近所の人たちにもおすそ分けしたところ、思った以上の評判を読んだ。そこで、商品化したというわけ。

 衣をつけて揚げた饅頭の天婦羅はよく見かけるが、こちらのあげまんぢうは素揚げで、よりさっぱりとしている。油がなじんだ餡も甘みが増すように感じられる。茶色くなった表面はかりっと香ばしい。皮が薄いからこその食感だ。通常の宮様まんじゅうは抹茶や煎茶によく合うが、あげまんぢうの方はむしろ、コーヒーやミルクのお供にぴったり。小さな紙袋に入れてくれるので、スナックのようにつまみながら街道歩きするのも良さそうだ。

(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

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岡屋
  料理: 道中弁当(2000円)
       コース(昼4620円~、夜5775円~)他  ※全て要予約
  お土産: 持ち帰り用あわび飯(1300円)他  ※全て要予約
  宿泊: 1泊2食付9450円~
  住所: 静岡県静岡市清水区興津本町6
  電話: 0543-69-0018
  営業時間: 11:30~19:00(予約時に相談)
  定休日: 月曜日

 明治元年(1868)に作成された興津宿の町割図を見ると、街道の海側、東から2軒目に「岡屋弥左衛門」という店があったことがわかる。今も興津駅にもほど近い街道沿いに暖簾を上げている「岡屋」だ。前述の図正式には旅館分布図ということになっているが、旅館に限らず宿内の店は畳屋から銭屋、油屋まで全て記録されている。江戸末期の慶応年間に創業した岡屋も、当初は茶店を商っていたようだ。そう教えてくれたのは、六代目の女将さん。細面で、凛とした美人だ。

 明治時代以降は旅館として興津を行く旅人を迎えてきた岡屋は、割烹料亭として利用することもでき、醤油漬あわびを贅沢に使った「あわびめし」(予約すれば持ち帰りも可能)など、海鮮を中心とした興津の味を楽しむことができる。中でも、街道ウォーカーにお薦めなのが「道中弁当」。名前からして心惹かれる弁当だが、値段も手ごろな上、静岡おでんや黒はんぺん、桜海老やしらすの揚げ物、茶飯・しらすご飯、まぐろ角煮など、静岡名物を一度に味わうことができる嬉しい内容だ。

 しかし、この弁当の主役はやはり「興津鯛」だろう。興津鯛とは、甘鯛に塩をして軽く日干しにしたもののことで、古くから伝わるこの地方の名物だ。江戸時代に書かれた『馬琴道中記』にも「このあたりもみじめずらし興津鯛」という句が掲載されている。甘鯛には皮の色によって白・赤・黄の3種類があるが、興津鯛に使われるのは最も高級な白甘鯛の、それも脂ののった30センチ以上ある大きいものだけだ。

 興津鯛という名の由来には諸説がある。『駿国雑志』という書物によると、年の瀬も迫った12月13日、江戸城のすす払いがあった日、食膳に出された甘鯛を見て、将軍徳川家康が側に仕えていた興津の局という奥女中に「これ、興津、鯛か?」と尋ねたことからこの名がついたとされているが、他にも、家康が実際に興津を訪れて食べたとか、駿河に滞在した家康に、興津の局が鯛を焼いて出したとか、家康は関係なく単に興津で獲れる鯛だからだとか、いわれは様々だ。

 ともあれ、昔は興津沖でよくとれた白甘鯛も、今では漁獲量が減り、貴重な魚になった。興津に住んでいる人でも、しょっちゅう興津鯛を食べるというわけにはいかないようだ。

「名物尽くしの道中弁当の中に興津鯛を入れて欲しいというご意見が多く、ほんの少々ではありますが、入れさせて頂いております」(女将さん)

 興津鯛は鱗も柔らかなため、鱗を取らずに松かさ焼きにして出すのが一般。

 「皮ごと頂くのが、当地での昔ながらの興津鯛の食べ方です。皮を残される方が多いですが、皮もお煎餅のようにぱりぱりと召し上がって頂きたいですね」

 塩をしただけの興津鯛は、昨今では自然の恵みの天然食として改めて脚光を浴びるようになってきたとか。昔と変わらぬ興津の味を、歴史を感じさせる老舗で是非、ご賞味頂きたい。

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okaya-dochu-bento.JPG(料理の写真はクリックすると大きくなります)