和菓子街道 東海道 蒲原

kambara-main-pic.JPG

旧家連なる蒲原に、雪の降る夜を想う

 江戸時代には「道中一番の早川」と言われた富士川。今でもひとたび雨が降ると水量はぐんと増し、富士川橋の上にまで水しぶきが届くほどだ。その富士川を渡って細い坂道を上っていくと、岩淵の集落に入る。

 岩淵は、富士川から蒲原まで休む所がなかったため、宿駅制度が定められた8年後の慶長14年(1609)に改めて作られた間の宿だ。新しい家と古い家が自然に共存しており、大きく変わることなく、昔からゆっくりと育ってきた集落、という印象を受ける。原から吉原にかけて続いた工業地帯やアーケード街とは一変、居心地の良さを覚える。

 集落の中心には、黒い板壁を巡らせた屋敷。富士川渡船の名主だった常盤家は、富士川を渡ってくる諸侯が休息する小休本陣も勤めていた。安政3年(1856)年に建てられた家屋に近年まで居住していた常盤家の人々は、家屋が国有形登録文化財に指定されてからは近隣に移り住んでいる。家屋は今、無料で一般に公開されている。

 小休本陣から先に進むと、旧岩淵村と旧中之郷村の村境で道は大きく右にカーブする。カーブの両側には、榎の大木が2本。岩淵の一里塚だ。左右の塚が揃って原形を保ち、街道の一里塚の中でも随一の景観だ。

 岩淵の一里塚から先、東名高速道路や新幹線と何度か交差し、上ったり下りたりを繰り返しながら旧道を行く。坂を下りきると、東海道の中でも人気の高い蒲原宿に辿り着く。江戸時代のままのなまこ壁の商家や塗り家造りの民家、大正浪漫を感じるレトロな洋館が点在する家並みが続き、歩を進めるごとにノスタルジックな気分が募る。

 蒲原宿本陣の少し手前、細道を左折して小川沿いを行くと、広重の「蒲原夜之雪」記念碑が建っている。広重の東海道五十三次の連作の中でも最高傑作のひとつと言われる「蒲原夜之雪」は、ここから見た構図で描かれたと言われている。

 しかし、今では広重が見たであろう景色は見当たらない。広重は本当にこの地を訪れたのか、本当に街道を歩いたのかといったことまで疑問視されている。しかしながら、温暖で滅多に雪の降らない蒲原に、あえて雪を降らせた画家・広重の想像力には感服するばかりだ。

hiroshige-kambara.jpg

kambara-masugata.jpg

kambara-sato.jpg

swollen-fuji-river.JPG

lamp-on-riverside.JPG
iwabuchi-hill.JPG

iwabuchi-koyasumi-honjin.JPG
koyasumi-honjin-deck.JPG

iwabuchi-milestone.jpg
thatched-roof-house.JPG

iwabuchi-sekibutsu.JPG
lamp-on-road.JPG

overpass.jpg
kambara-milestone.jpg

water-pipes.jpg
isobe-house.jpg

hiroshige-drawing-site.jpg
kambara-honjin.jpg

igarashi-clinic.jpg

その他のおいしい立ち寄り情報

ツル家
  菓子: 栗の粉餅(1個126円)他
  住所: 静岡県庵原郡富士川町中之郷3251
  電話: 0545-81-0237
  営業時間: 8:00~20:00
  定休日: 火曜日

 昔話をひとつ。江戸の頃、岩淵に音吉という餅好きの男がいた。音吉にはお糸という12歳になる心優しい娘がおり、音吉が富士川で獲ってくる魚をお糸が町で売っては生活の糧にしていた。

 ところがある時、音吉は病に倒れ、漁に出ることができなくなってしまった。月日が過ぎても病は治らず、お糸は自ら野山に分け入って花を摘んで売り歩いた。しかし、その程度の稼ぎでは音吉の好きな餅まで買うことはできない。そこでお糸は、父親に早く元気になってもらおうと、自分で餅を作ることにした。

 山から採ってきた栗を粉にして、丸めたご飯にまぶして音吉に食べさせた。音吉は大層喜んでこれを食べた。お糸は毎日この餅を作って音吉に食べさせたところ、次第に音吉の体調は良くなり、再び漁に出られるまでに回復した。

 お糸が作る餅は村の人々の間でもおいしいと評判になり、みんな栗の粉をまぶしたこの餅を「栗の粉餅」と呼ぶようになった。お糸は一里塚の近くに茶店を開いてこの餅を売るようになり、栗の粉餅は岩淵の名物になったとさ。

 岩淵周辺に古くから伝わるこの昔話には、他にも色々なバリエーションがあるが、基本的には、孝行娘が父親に栗の粉をまぶした餅を食べさせるという話である。かつては岩淵の一里塚周辺に数軒あったという栗の粉餅を売る茶屋も、大正時代には姿を消してしまった。鉄道が開通し、高台の岩淵が取り残されてしまったためだろう。

 しかし近年になって、この伝説の栗の粉餅を復活させた店がある。岩淵から蒲原に向かう途中の中之郷集落にあるツル家(昭和32年創業、現在二代目)だ。

 きっかけは、数年前のお茶壺道中だった。江戸時代に京都の宇治から江戸城まで将軍御用のお茶が大行列に保護されて運ばれた。その行列が大々的に再現され、富士川町でも何かそれに貢献できることはないかということになり、栗の粉餅の復活が決定した。富士川町には4軒の菓子屋があるが、知り合いが役場に勤めていたことから、ツル家が再現菓子を手がけることになった。

 当初はもち粉で作った大福生地に栗の粉をまぶしただけだったという再現栗の粉餅は、見たもきな粉をまぶした信玄餅そっくりだったという。しかしその後、「栗の粉だけの素朴な甘みでは、今の人達には物足りないのでは」という意見もあり、生地に砂糖を加えてほんのり甘くした。中に餡も入れてみた。それでも「栗の粉餅なのに栗は入っていないの?」との声に応えて(実際には表面に既製の栗粉をまぶしてあるのだが)、刻んだ栗を餡に混ぜた。更には、マロン・エッセンスを加えてより「栗っぽく」したのだそう。

 こうして試行錯誤の上、現代版栗の粉餅が完成したのだ。かつての名物が復活して、今では栗の粉餅目当てに店を訪れる遠来の客も珍しくない。富士川の常夜燈や岩淵の一里塚を見て、ツル家に立ち寄って栗の粉餅を買って、蒲原を散策する、というツアーまであるそうだ。

ちなみに、かつて栗の産地だったというこの地は、今はキウイフルーツの産地になっている。

 余談ではあるが、実は蒲原には歴史の古い菓子屋は残っていない。江戸時代創業で昭和まで続いていた「僊菓堂」(吉田家)も今では店を畳んでしまった。この界隈で最も古い店は、大正元年(1912)創業で「富士川の小まんぢゅう」が人気の松風堂だ。

kurinokomochi.JPG(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

tsuruya.JPG