和菓子街道 東海道 吉原

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アーケードの吉原宿、今昔物語

 原宿からの真っ直ぐ道が終わり、JR東海道本線の線路を越え、新幹線の高架を潜ると、旧東海道は北西へと進路を変える。方角が変わることにより、これまでずっと右にあった富士山が、ここにきて急に行く手の前方左に見えるようになる。「左富士」の名所だ。

 今では製紙工場が建ち並ぶこの辺りには、富士の頂にかかる雲ならぬ煙突からの白い煙が青い空にたなびいている。しかし、徐々に富士山に向かって歩を進めるのは気持ちがよいものである。

 道はやがて、『平家物語』の中で語られる「平家越」の舞台、和田川へとさしかかる。富士川の戦いで、源氏と対峙していた平家は、かつては沼地だったというこの辺りに潜んでいたが、水鳥が飛び立つ音を源氏の襲撃と勘違いして逃げ出してしまったという逸話が残る場所だ。近くには、『竹取物語』のかぐや姫が生まれたとされる竹薮も残っており、この辺りが平安の昔から物語に語られた古い土地であることを窺い知ることができる。

 目指す吉原の宿場町は、岳南鉄道の手前、商店街に入った辺りが入口になる。アーケードが続く吉原宿には、残念ながら昔の面影はほとんど残っていない。40年ほど前に、当時の行政(富士市)が吉原の旧道沿いに延びる商店街を防災街区に指定し、全店が強制的に鉄筋コンクリートに建て替えさせられた。

 それまでは、吉原は江戸時代の面影を色濃く残した町並みで、それぞれ個性を競うような粋な木造建築物が軒を連ねていたという。しかし、本陣を含め、そういった建造物は全て取り壊され、移築さえされなかった。

 住民の一部はこの政令に猛反対したが、時代の流れには逆らえず、吉原の町は今のような姿に形を変えた。一軒だけ、断固として政令に従わなかった店があったが、数年後に老朽化のため改築を申し出たところ、市から許可が下りず、そのまま朽ちてしまったという。歴史的遺産を重んじる風潮になった今は、行政側も含めた多くの人々が後悔を禁じえないようだ。

 古いものがほとんど一掃されてしまった吉原だが、創業天和2年(1682)の老舗旅館、鯛屋與三郎は今でも健在で、旅館業を営んでいる。鯛屋もご多分にもれず40年前に鉄筋コンクリートに建て直されて今に至っている。清水の次郎長の定宿で、山岡鉄舟もしばしば訪れたという鯛屋は、今では間口も極めて狭いが、それ以前は、現在隣にある靴屋も鯛屋の一部で、相当大きな旅籠だったという(靴屋は今も鯛屋に間借しており、2階は鯛屋の客間が続いている)。

 玄関を入ってすぐ目につく大名の宿札は、本陣から譲り受けたものだ。また、終戦直後、懇意にしていた地元出身の宮内庁官僚が、天皇による「終戦の勅旨」の原本を鯛屋の当主に預け、現在もその貴重な原本がこの旅館で大切に保管されている(希望者には複製を配布)。

 鯛屋旅館にはこの他、多くの歴史的資料が残っており、平成18年3月11日にオープンする館内の展示室にて一部を一般に公開することになっている。
 宿泊料は素泊まり3500円~、1泊2食付5300~と良心的。築40年という「古さ」はあるものの、ご主人一家はみな親切で、疲れた旅人を温かくもてなしてくれる家庭的な宿である。
(鯛屋:静岡県冨士市吉原2-3-21、電話0545-52-0012)

 吉原の商店街を抜けてしばらく行くと、間の宿・本市場に至る。この辺りではかつて、白酒造りが盛んだった。白酒とは、酒にもち米と米麹を仕込んで塾成させ、できたもろみをすり潰して作った酒で、白く濁り、甘かったという。甘酒に酒を多めに足したものといった感じだったのだろうか。白酒を飲んでほろ酔い加減になった昔の旅人は、本市場を出て平坦な道を進んで富士川に辿り着くと、「道中一番の早川」とも言われたその流れの速さに肝を潰し、酔いも一気に覚めたのではないだろうか。

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ukiyoe-yoshiwara.jpg葛飾北斎画『東海道中五十三駅狂画 吉原』にはもろみを石臼で挽く様子が描かれている。 (豊橋市二川宿本陣資料館提供) (絵の写真をクリックすると大きくなります)

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その他のおいしい立ち寄り情報

きよせ
  菓子: 宿場小まんじゅう(15個入315円~、化粧箱は24個入り570円)他
  住所: 静岡県富士市吉原2-4-6
  電話: 0545-52-1190
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: なし

 吉原のアーケード街の中にあるきよせは、創業明治22年(1889)で、吉原に数ある菓子屋の中でも老舗のうちに数えられる一軒だ。現当主で四代目だが、先代の頃に例の防災街区問題が勃発し、先代も政令に反対した商店主のひとりだったという。

 「以前の吉原には見事な建物が沢山ありましたが、今はそれもなくなって、残念ですね。でも、今から昔の生活をしろと言われても無理ですし、どちらが良かったのか、分かりません」
としみじみと語る四代目のご主人。

 しかし、商店街の人々にとっては、更に深刻な問題が他にもあった。吉原付近の製紙工場による地下水の汲み上げで、かつては豊富にあった湧き水がほとんど出なくなってしまったのだ。きよせで以前使っていた井戸も、今は枯渇してしまった。

 「昔は朝起きると近くの和田川まで顔を洗いに行って、ついでに沢蟹を捕まえて帰ってきて味噌汁を作ったものです。今ではコンクリートで囲われて、川べりの土もないくらいですが、その頃の和田川はとても綺麗でしたからね」(ご主人)

 鉄筋コンクリートや製紙工場などの近代化の弊害を、生活の様々なところで実感しているという。

 そんなきよせのご主人が、10年ほど前に考案したのが「宿場小まんじゅう」だ。黒糖を加えた生地がふわっと柔らかい、一口大の可愛らしい饅頭で、気付いた時には食べ終わってしまっているほど口当たりも軽い。重曹で膨らましてあるのか、どこか懐かしい「レトロな」味がする。

 宿場小まんじゅうはあくまで近年の創作であり、実際にそのようなものが江戸時代の吉原にあったわけではない。しかし、昔のものがどんどん消えていくこの町で、ここに宿場があったことを忘れないで欲しいという願いが込められたこの饅頭は、少々大袈裟ではあるが「小さな希望の饅頭」なのである。

kiyose-komanju.JPG(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

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