和菓子街道 東海道 原

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富士山を最も美しく望める街道で一番小さな宿場町

 沼津から次の宿場町、原までは、一里半(約5.9キロ)の距離を、果てしなく続くかのように見える道を西へ進む。今でこそ街道は海から少し距離のあるところを走っているが、かつては左手に千本松原と海、右手に富士を仰ぐ気持ちの良い道だったのではないだろうか。

 JR東海道本線の線路をまたいで辿り着く原宿は、本陣1軒に脇本陣はなしという、東海道中最も小さな宿場だった。しかし、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と歌に唄われた原宿は、街道一小さいけれど、富士山を間近で見られる眺望は街道随一として世に知られていた。

 この一節に登場する白隠とは、貞亨2年(1685)にこの地に生を受け、出家後、諸国行脚の末に原に戻って松蔭寺の住持となった禅師で、500年に一度の名僧と言われた臨済禅中興の祖である。

 原宿には往時を偲ばせるものはあまりないが、松蔭寺の玄関と茶室は渡辺本陣から移築されたものである。松蔭寺山門左手にある擂鉢松は、「台風で折れた松の雨よけに」と岡山藩主池田氏から譲り受けた擂鉢を白隠禅師が松に被せて以来、そのまま大きく育ったという奇木だ。

 現在の擂鉢は昭和60年に取り替えられたもので、松の上の方にちょこんとのっかっているのだとか(松が大き過ぎて見つけるのは難しい)。本来の擂鉢は寺で保存し、年に2回一般公開している。

 富士山と白隠禅師は紛うことなき原の名物であったが、食べ物にもちゃんと原名物はあった。かつてこの辺りには、富士山の麓まで伸びる浮島ガ原という湿地帯が広がっており、鰻がたくさんとれたという。特に、原と吉原の間にあった柏原の立場の鰻蒲焼が有名だったようだ。

 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の中にも、お金の持ち合わせがなかった弥次さん喜多さんが、原では蒲焼の匂いを嗅ぐだけで、蕎麦を食べて我慢したというエピソードが書かれている。

 原宿を出てからは、万葉歌人の山部赤人が「田子の浦ゆうちい出てみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」と詠った名勝、田子の浦の面影を探しながら、吉原の宿を目指す。

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suehirodo-monaka.JPG大正創業で現在3代目の末廣堂の 「すり鉢もなか」(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

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