和菓子街道 東海道 箱根

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天下の険、箱根を越えて駿河入り

 小田原から、箱根の水を全て集めて流れる早川に沿って歩くと、湯本に辿り着く。箱根というと、まず誰もが思い浮かべるのが温泉だ。日本人は昔から温泉が大好き。東海道から外れて、「塔之沢道」を通って箱根七湯巡り(塔之湯、気賀湯、底倉湯、宮下湯、堂ヶ嶋湯、塔之沢湯、湯本湯)を満喫した旅人も多かった。

 箱根と一口に言っても、その範囲は広い。箱根八里とは、小田原から箱根宿までの四里八丁(16.6キロ)、箱根宿から三島までの三里二十八丁(14.8キロ)を指す。箱根道は、東海道中最高の標高を誇る箱根峠(849メートル)を越える難所であり、しかも宿場間の距離も非常に長かった。そのため、ところどころに立場や集落が発達し、旅人の休憩所とされた。寄木細工の木地師の集落、畑宿もそのひとつである。畑宿はこの他にも、鮎、餅、団子、酒、雑煮といった名物があったようだ。

 畑宿の集落と芦ノ湖までの間の旧道沿いにある甘酒茶屋の辺りも、昔は小さな集落になっていた。名物は、甘酒。現在も1軒のみが残って、経営を続けている。

 芦ノ湖が見えてくると、箱根宿はもうすぐ。ただし、その前に厳しいことで知られた箱根の関所が控えていた。まさに、心身ともに旅人を疲労させる難関だ。今では関所跡が復元され、一観光スポットになっているが、関所資料館を覗くと入鉄砲や出女を取り締まるための道具の数々が展示され、当時はさぞものものしい雰囲気だったであろうと想像してしまう。

 無事に関所を越えた箱根宿に入って祝いをし、峠を越えて、三島までの箱根西坂を揚々と下っていった。今も至るところに石畳が残る箱根道は、現代の東海道歩きのハイライトのひとつだ。厳しさもまた、旅の思い出の1ページ。箱根を無事に越えると、いよいよ静岡県。なんとなく自分までステップアップできたような気分になる。

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 ・甘酒茶屋「甘酒、力餅」

    旅の疲れを癒す甘酒の味 → click!

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その他のおいしい立ち寄り情報

茶屋 竹屋
  料理: 道中そば(600円)、鴨つけざる(900円)、
       雲助だんご(よもぎ入り2本300円)他
  住所: 静岡県三島市山中新田34
  電話: 055-985-2306
  営業時間: 10:00~17:00
  定休日: 水曜日 (月1、2度連休あり)
  URL: 鰻工房竹屋 http://www.unagitakeya.com/menu.html

 箱根西坂を下って山中新田に出ると、国指定史跡の山中城址が右手に見えてくる。小田原に本城を置いた北条氏が永禄年間(1558~157)に築城した中世最末期の山城で、天正18年(1590)に秀吉の軍勢によって1日で落とされたという歴史を持つ。城の跡が畝となって残っており、美しい景観を作っている。

 その山中城址の向かいに、竹屋という茶屋がある。かつて、ここ山中新田辺りには40軒あまりの旅籠や茶屋があったというが、現在はこの一軒が営業を続けているのみだ。

 もっとも、江戸時代には道路の反対側(山中城址側)で旅籠を営んでいたという竹屋も、街道が廃れると共に店を畳み、平成8年(1996)に茶屋として復活したばかりの新しい店だ。今では、現代の旅人相手に、蕎麦や団子を供している。

 竹屋の名物は、雲助団子。竹屋の手前、旧道の石畳から車道に出る辺りに、徳利の形を浮き彫りにした墓がある。西国大名の剣術指南役だったにも関わらず、酒好きが高じて国を追われるほどのしくじりをして、箱根に流れてきた松谷久四郎の墓だ。

 久四郎はやがて、この辺りの雲助(人足)達の間で親分として慕われるようになったが酒で寿命を縮め、この地に葬られた。この雲助の親分にちなんで名付けられたのが、雲助団子である。

 名付け親は、竹屋の女将さんの孫。この団子が考案された当初、まだ小学校低学年だったその子が、「どうせなら、雲助団子って名前にすればいいのに」と提案してくれたのだそう。山中新田では、小学生も雲助に親しみを感じているのだろう。地元の歴史が小さな子供達にも伝わっていることが、なんだか嬉しい。

 雲助団子は、白玉粉と米粉を1:1の割合で混ぜ、蓬を加えて練った生地を蒸し上げた手作り団子。さらし餡と甘口の醤油餡がかかっていて、女将さんお手製の皿に乗せられている。

 蓬は、春になると女将さんが近くで手摘みして、下茹で処理をしてから1年分を保存したものを使っている。お正月から3月頃までは、期間限定で蓬餅を味わうこともできる。他にも、道中山菜蕎麦などがメニューにあるが、蕎麦は女将さんの親戚が手打ちしているものだという。

 竹屋の女将さんは陽気な人で、旅人を暖かくもてなしてくれる。話が弾んで、つい長居してしまうと、コーヒーやらお餅やら色々出してくれる太っ腹母さんだ(ご好意に甘えてはいけません。ちゃんと食事代と共にお勘定を払いましょう)。

 「この辺りはね、お米がとれない土地だったんですよ。とれたのは、もっぱら麦。すぐそこの芝切地蔵さんにお供えするのも、小麦まんじゅうでしょ」(女将さん)

 芝切地蔵というのは、竹屋より少し下った旧道沿いにある小さな祠のことだ。山中新田の旅籠に泊まった巡礼が、急な腹痛で命を落とした。いまわの際に残した言葉は「故郷の相模が見えるように芝塚を積んで祠を建て、私を地蔵尊として祀って下さい」だった。

 村人達はその遺言通りに塚の上に祠を建てて、巡礼が亡くなった7月19日を縁日と定めてその霊を慰めた。その際にお供えしたのが、小麦まんじゅうだ。昔は各家でこのまんじゅうを作って、それぞれ地蔵尊にお供えしていたが、やがてその味が良いと評判になり、村人以外の参拝者にも振舞うようになったという。

 腹痛で亡くなった巡礼ということで、芝切地蔵は腹痛を治めるご利益があるとされ、江戸時代には多くの参拝者が訪れた。現在でもそのご利益話は後を絶たないという。小麦まんじゅうも、一時は途絶えていたが、最近になって地域で復活させて、縁日には公民館で販売されている(2006年の縁日は7月16日)。

 別れ際に、女将さんが近くの宗閑寺に立ち寄ることを勧めてくれた。
「寺の裏に、キリシタンのお墓が沢山あるから、見ていくといいですよ。この竹屋のおじいさんも昔はキリシタンの仲間に入っていたらしいですよ」

 そう、ここ中山新田は、江戸時代には隠れキリシタンの里だったのだ。宗閑寺には、隠れキリシタンの墓とされる墓石がいくつもある(このページ中ほどにある8枚×2段の写真の内、上段最右の写真もそのひとつ)。

 山中城落城と隠れキリシタン、つながりはないとは思うが、戦国時代から江戸にかけて、山間の静かなこの集落に何か熱いものがあったのだと感じずにはいられない。

※追記
2009年4月より、竹屋さんの敷地内に設けられた鰻工房で焼いた鰻を、竹屋さんの店内で頂くことができるようになったそうです。
鰻を焼かれる職人さんは竹屋さんの女将さんのご子息で、三島の老舗・桜家さんで20年ほど鰻職人として勤められていたのだそうです。
以上、「三島の渡辺」様からの情報です。
詳細は、「三島の渡辺」様が管理されている竹屋さんの応援サイトをご覧下さい。
ご子息の参入により、竹屋さんのメニューなど変更があったと思われますが、未確認です。
いずれ再訪して、情報を更新したいと思っておりますので、それまで古い情報で申し訳ありませんが、何卒、ご了承下さいませ。


(料理の写真をクリックすると大きくなります)

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takeya-yomogi-udon.JPG道中そば
takeya-kamo-tsukezaru.JPG鴨つけそば
takeya-kumosuke-dango.JPG雲助団子
takeya-yomogimochi.JPG蓬餅

 【追記】(2006年07月18日)

 街道歩きをして以来、何度となく足を運んだ地だが、未だ巡り逢えていないものがあった。山中新田の芝切地蔵の縁日に売られるという「小麦まんじゅう」だ。

 去る16日、芝切地蔵の縁日に、箱根西坂は山中新田を訪れた。芝切地蔵は腹痛などの病気治癒や子宝のご利益があることで知られ、遠方からはるばる参拝に来る信者も少なくないという。

 この日も、小さな山間の集落は、いつになく賑やかだった。石畳風の舗装を施した旧道沿いには、浮世絵を配した灯篭が立ち並び、縁日らしい風情をかもしていた。前夜にはこの灯篭に灯が燈り、幻想的な景色を作り出していたという。

komugi-manju.JPG小麦まんじゅう

 目的の小麦まんじゅうは、元々は地元の家々でこしらえて、芝切さんの参拝者に売っていたものが一時途絶え、数年前に地域の人々の呼び声で復活したものだという。昨年までは地元住民の共同作業で作っていたようだが、今年からは事情が変わり、三島の菓子屋に作ってもらうことになったのだという。「芝切」の焼印のみ、地元の人たちで押したのだそう。ひとつ100円也。

 その名の通り、小麦粉で作った蒸し饅頭で、女性の拳骨くらいはありそうだ。ずっしりと重く感じるのは、餡が隙間なく詰まっているためだけではなく、厚めの皮の重さもあるからだろう。蒸しなおして食べると、ちょっと皮の厚めのあんまんのようだ。

 ところで、芝切さんにお参りして、饅頭を買った後、地元の人からこんな話を聞いた。かつての山中新田の名物は、この小麦まんじゅうだけではなく、「寒ざらし団子」なるものもあった、というのだ。どんなものか聞いてみると、意外にも簡単な答えが返ってきた。

 「寒ざらし団子なら、そこの売店で売ってるよ」

 さっそく、その売店とやらに急行した。売店というのは、特に店名があるわけでもないようで、実際、「山中城跡案内所・売店」という看板がかかった休憩所のようなところだった。とはいえ、中には厨房もあり、ちょっとした食事も出せるようになっている。

 寒ざらし団子は1皿6個入り300円で売られていた。持ち帰り用もあるようだ。蓬を練りこんだ上新粉の団子を素揚げして、味噌ダレ+きな粉、抹茶塩がかけてある。

 この食べ方はこの「売店」のオリジナルらしいが、寒ざらし団子はこの山中新田や遠くは御殿場の辺りでも昔から作られていた団子で、上新粉を冬場の寒気にさらして作ったことからこの名がついたという。素朴な、昔ながらのお団子だ。

 饅頭と団子ばかりで肝心の芝切さんのお参りを忘れてはいないかと糾問されそうだが、そこはぬかりなく、はじめにきちんと参拝させて頂いた。お蔭様で、少々食べ過ぎても胃痛は起こっていない。ありがたいことである。



(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

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shibatsuka.JPG芝塚
kanzarashi-dango.JPG寒ざらし団子

【追記】(2009年02月12日)
  上記の「小麦まんじゅう」は、現在は休止中。
  縁日の時だけとはいえ、人手不足などの理由から、饅頭まで準備することができなくなったとのこと。
  いつか再び、再・再現されることを期待したい。