和菓子街道 東海道 小田原1

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江戸からの旅人が最初に出会う城下町、小田原

 箱根峠という東海道中最大の難所を隣に控えた小田原は、本陣を4軒も擁する大きな宿場町だった。しかし、実際の小田原は、宿場町という以上に、城下町として栄えたというべき町のようである。そんな小田原の祖とも言われるのが、北条早雲だ。早雲の子孫である北条氏(または後北条氏)は、1590年まで関東一円を支配した。現在も、小田原から箱根にかけて、北条氏や早雲にちなんだ地名などが多く残っている。

 そして、早雲が築いた小田原城を後に陥落させたのが、豊臣秀吉である。日本で最も堅固な城として知られた小田原城は、城攻めが得意な秀吉をも悩ませた。そこで秀吉が思いついたのが、兵糧攻めだ。敵城を包囲し、補給路を断つことで城内の備蓄物資が尽きるのを待つという攻城戦で、小田原城が落ちるまでに半年を要したという。

 その後、江戸時代には東国の押さえとして小田原藩が成立。1686年以降は、明治になるまで代々大久保氏の城下町となった。城下町として武家や町民の居住地が広がり、相模国の中心として諸国商人が往来した小田原。「♪小田原提灯ぶら下げて~」の歌でもお馴染みの小田原提灯や、小田原漆器や木象嵌(もくぞうがん)、鋳物、などの伝統工芸や、干物や蒲鉾作りなど、北条時代から江戸時代にかけて発展した技術は、今も小田原の重要な産業として守られている。

 そんな小田原は、菓子作りが盛んな町としての顔も持っていた。幕末に城主の大久保氏が茶の湯を好んだことから、優れた菓子職人が集まったという。今でも小田原には菓子屋が多いが、江戸時代から続いているという店は、意外なほど少ない。そんな中、昔と変わらず営業を続けているのが、有名な「ういろう」と、知る人ぞ知る「松坂屋」である。

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 ・ういろう 「ういろう」

    薬か菓子か…本家本元、小田原ういろう → click!

 ・松坂屋 「笹梅」他

    小田原の茶道家ご用達の老舗菓子店 → click!

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 ・寄り道コラム

    小田原メダカの話 → click!

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その他のおいしい立ち寄り情報

橋本
  料理: ざるせいろ(630円 )、天せいろ(1260円)
       北条皿おろし( 1160円)、大名御膳(2100円)他
  住所: 神奈川県小田原市栄町1-13-37
  電話: 0465-22-5541
  営業時間: 11:00~19:00
  定休日: なし

 小田原城へと続く御堀端通りに面して建つ橋本は、天保年間(1831~1845)創業の老舗蕎麦屋だ。もっとも、現在地に移転してきたのはほんの5、6年ほど前。五代目という現当主の代になってからのことだ。

 それ以前は、かつての小田原宿の中心地で、本陣などが集まっていた本町近くの松原神社裏にあったという。宿場時代には繁華だったその辺りは、今では寂れてしまったため、現在の小田原の観光拠点である城の近くに越してきたのだという。

 江戸時代の創業といえども、時代の流れと共に常により良い素材を追求してきた橋本では、現在は北海道母子里産の蕎麦粉や、土佐鰹や屋久さばで出汁をとった蕎麦汁を使うなどのこだわりを見せている。蕎麦粉は石臼で挽き、店の2階にある蕎麦打ち場でご主人自ら手打ちしている。しこしことコシのある蕎麦は細めに切られ、喉越しが良い。

 この他、特選大名御膳など割烹料理と蕎麦のセットなど、バラエティに富んだメニューが揃っている。豆腐屋から取り寄せている豆腐プリンなど、デザートにも力を入れている。



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壽庵
  料理: 宿場そば(1600円)、北條そば(940円)
       天せいろ(1310円)他
  住所: 神奈川県小田原市栄町2-1-26
  電話: 0465-22-2862
  営業時間: 11:00~20:00
  定休日: なし

 小田原駅前から伸びる繁華な錦通りに入ってすぐの所に、ちょっと目を引く大正建築の店がある。白壁に黒い柱の二階家の壽庵(ことぶきあん)は、大正10年(1921)、小田原駅開業の翌年に出発した蕎麦屋だ。

 明治末期、初代の大垣浅吉さんは三重から横浜に出てきて英語の勉強をしていたが、箱根で英語のできる警察官を募集していることを聞きつけて志願し、宮の下駐在所に勤務することになった。その頃の箱根は外国人の観光客が多く、英語を話す駐在さんは箱根の七名物のひとつに数えられるほど評判になったという。

 しかしその後、浅吉さんは地元で起きた強盗事件に巻き込まれて負傷。犯人は逮捕するも、名誉ある退官をすることになった浅吉さんは、国府津駅前での和菓子屋経営を経て、小田原駅の開業に遅れること1年、小田原に移転し、蕎麦屋を開いた。

 なぜ、和菓子屋から蕎麦屋かというと、国府津時代に親しくしていた達磨屋という蕎麦屋の繁盛ぶりをよく知っていたからだそう。屋号は、妻の壽壽(すず)さんから一文字頂いた。腕利きの宮大工に建ててもらった店はたちまち繁盛したという。もちろん、腕のいい蕎麦職人も大勢雇っていた。通訳を志したり、箱根の駐在に志願したり、菓子屋から思い切って蕎麦屋に鞍替えしたり、大正時代にあえて古風な構えの店を建てたりと、時代の流れを読む目を持っていたのだろう。

 その後、火災で二度に渡って店を焼失するも、壽庵はいつも浅吉さんが建てた大正浪漫の荘厳な店を再建したり、補修して維持してきた。市の条例で、鉄筋コンクリートでなければ新築許可が下りなくなった時も、あえて修繕という形をとることによって、味気ない近代的な建物に変えることを拒んだという。

 現在、壽庵を守るのは三代目の大垣博正さんと、ご長男で四代目の徹晃さんだ。京都の老舗蕎麦屋「尾張屋」で修業した徹晃さんは、古いものを損なうことなく、新しいアイディアも積極的に取り入れている。現在、壽庵の一番人気は「宿場そば」。小田原が東海道の九つ目の宿場町だったことからヒントを得て徹晃さんが考案したもので、九つの味が楽しめる変わり蕎麦だ。ネギが日本橋で、海苔が品川、とろろが…と、小田原までの道中を思い出しながら、小さな椀子をひとつずつ手にとって頂くのも、楽しいのでは(どの具材がどの宿場、という決まりはないようだが)。

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旅籠茶屋・小伊勢屋/料理茶屋・古い勢
  料理: 小伊勢屋…「雪」会席(3150円~)他
       古い勢…ランチサービス(各800円)、うな玉丼(1000円)、あじ天丼定食(1100円)他
  宿泊: 1泊2食7500円~
  住所: 神奈川県小田原市本町3-12-26
  電話: 0465-22-5106
  営業時間: 11:30~21:00 (ランチは月~土11:30~15:00)
  定休日: 火曜日

 小田原市内の国道一号線、つまり旧東海道に面して建つ料理旅館「小伊勢屋」は、小田原宿の中心として栄えた本町のこの場所に、400年以上も営業を続けている小田原でも指折りの老舗だ。元々は旅籠/料理旅館のみの経営だった小伊勢屋だが、近年になって敷地の一部に茶屋風の食事処「古い勢」を増設した。

 江戸時代ならいざ知らず、箱根登山鉄道が観光客を箱根まで一気に運んでしまう時代になった今、小田原に宿をとる人は減少している。良心的な宿泊料の小伊勢屋であっても、そのあおりを受けないわけにはいかなかった。そこで、宿泊客のみならず、観光客や地元の人でも気軽に食事を楽しめる茶屋を設けたというわけだ。

 古い勢の店内は、鰤漁で使われた親舟の櫂、船体、網ひもなどを内装にほどこし、鰤漁が全盛期だった頃の小田原の雰囲気を伝えている。天ぷらや蕎麦、鰻といった定番の定食メニューが中心だが、お薦めはアジの天丼定食。

 小田原の肉厚で大きなアジは、小伊勢屋の板前が小骨を1本1本抜いて丁寧に下ごしらえ。衣の中にアジの旨みがしっかり閉じ込められていて、しっとり、ふんわり。他ではちょっと味わえない逸品だ。旅館の板前仕事が光る料理を、茶屋価格で楽しむことができる。

 ところで、小伊勢屋は旅館や料理屋とはまた別の顔も持ち合わせている。小伊勢屋の尾崎家は、時代が進んで全てにおいて新しいものを求めた明治~昭和初期にかけても、率先して小田原の歴史遺産の保存を呼びかけていた家柄だ。

 先々代の尾崎亮司さんは、明治37年(1904)に保勝会を結成。当時、時流となっていた小田原城のお堀埋め立ての反対運動を呼びかけたり、北原白秋等を招いて足柄史談会を発起、曽我城前寺の調査などを行うなど、歴史保存に尽力を注いだ。その一方で、御幸の浜会場花火大会と燈籠流しなどの行事を企画開催(大正12年)するなどして、町の発展にも大きく貢献している。現在、小田原にお堀が残っているのは、昭和3年に亮司さんが新たに結成した「城跡壊滅反対同盟会」の反対運動の結果によるものである。

 老舗として小田原の歴史を大事にしようという想いは、先代や十八代目に当たる現当主の尾崎紀昭さん、既に若旦那として経営に携わっているご長男にも受け継がれている。旧旅籠「住吉屋吉衛門」の建物を利用して小田原の文化を伝承する「なりわい交流館」で行なわれる行事や、歳時の飾りつけなども、折に触れて小伊勢屋の古い資料などが活用されている。

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だるま
  料理: えび天丼(1680円)、松定食(2630円)、季節の特別料理(3780円)他
  土産: 自家製まぐろ角煮(150g950円)他
  住所: 神奈川県小田原市本町2-1-30
  電話: 0465-22-4128
  営業時間: 11:00~21:00(19:40LO)
  定休日: 月1回不定期、年始

 小田原市民会館前にさしかかると、なにやら旨そうな天ぷらの匂いがしてくる。つられて足を匂いの方に向けると、そこにはどっしりとした構えの料亭が。明治26年(1893)創業の料亭、だるまだ。重厚な造りのこの建物は、国の登録有形文化財にも指定されているらしい。物々しい玄関の引き戸を開くと、意外にもそこは、広いホールの食堂になっている。ホールだけでも100席以上はあろうか、店内はとにかく広い。雲流を模った壁や宮大工の仕事を思わせる天井などは、さすがに老舗の風格を醸している。

 ホールでは食堂の形式をとっているため、予約なしでも気軽に立ち寄ることができる。もちろん、だるまの魅力は有形文化財で食事できるというだけではない。ニの宮沖合に大型定置網を持つ網本直営の料亭とあって、ここで供される魚料理はどれも絶品。刺身よし、寿司よし、天ぷらにしてもよし、である。シーズンオフであっても、昼間から行列ができるほどの盛況ぶりが、この店の実力を物語っている。

 食堂とは別に、二階や別館には座敷もあるが、こちらは2名以上から要予約。



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柳屋ベーカリー
  土産: あんぱん(各種1個150円~)他
  住所: 神奈川県小田原市南町1-3-7
  電話: 0465-22-2342
  営業時間: 8:00~16:00
  定休日: 日曜日、祝日

 旧東海道(国道一号線)沿い、筋違橋近くに和風な店構えのベーカリーがある。いや、和風と言うのは間違いで、観光地にありがちな和風に見せかけて新しく造った建物なんかではなく、歴とした古い建物なのだ。

 そして、最近になって建造物だけ買い取ってベーカリーにしたのでもなく、大正10年(1921)の創業以来、ずっとこの場所でパン屋を営んでいる店なのである。もっとも、創業当初の店は大正12年(1923)の関東大震災で倒壊してしまったため、今の建物はその直後(大正12年中)に建てられたものなのだそう。

 店内も昔の造りをそのまま活かしていて、番台があったと思われる場所の上、天井近くには立派な神棚が据えてある。売り場は狭く、客はパンが並べられた硝子ケースに沿って1列に並んで順番を待つ。今時のパン屋さんとはちょっと様子が違うようだが、これはこれでおもしろい。

 一番の人気商品はなんといっても「あんぱん」。掌サイズの小ぶりなあんぱんは、こんがりと茶色く焼けた極薄の皮に包まれた餡が主役。漉し餡や粒餡、桜白餡、金時豆の餡などバリエーションも豊富だ。

 おいしいと評判で、お昼過ぎには売切れてしまうこともしばしば。小ぶりだからと、つい色々試してみたくて沢山買っていく欲張りさんが多いのだろう。欲張りさんに負けたくない人は、予約して取り置きしておいてもらおう。

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ちん里う
  土産: 三年漬梅干(120g、819円~)、小町梅(120g、830円~)
       しそ巻梅干し(115g、819円~)、梅納糖(7粒入1100円~)他
  住所: 神奈川県小田原市栄恵町1-2-1
  電話: 0465-22-4951 (フリーダイヤル0120-30-4951)
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 毎月第2水曜日
  URL: http://chinriu.co.jp

 小田原駅前にあるちん里う本店は、ぱっと見はお土産屋さんといった雰囲気だが、実は明治4年(1871)創業の老舗梅干し店だ。ちん里うの初代・門弥は、嘉永年間(1844~1853)に城主料理人頭御台所目付兼帯として小田原城主大久保忠禮公により京から小田原に招かれ、城内での奉仕はもちろん、将軍家への献上品や小田原を通行する諸大名への接待料理を仰せつかって腕を振るっていた。しかし、明治維新で藩政の世が終わり、城内での職を失った門弥は、小田原に留まって商人に鞍替えをした。その際に、忠禮公から賜ったのが、この「ちん里う」というちょっと変わった店名の元となる中国の故事「孫楚漱石」からとった「枕流亭」(ちんりゅうてい)の屋号である。

 孫楚という人が、自分が出世できないことを嘆いて王武士という古老に愚痴をこぼす。しかし、世捨て人にでもなりたい、という意味で、「石に枕し流れに漱がん(くちそそがん)と欲す」と言うべきところを誤って「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまう。王は間違いを指摘するが、負け惜しみの強い楚は、「耳を洗うために流れに枕し、歯を磨くために石に漱ぐためです」と答える。楚という人の機知に富んだ才覚や、平凡を嫌う風流人らしさが現れたやり取りということで後世にも知られた故事だ。その頭の回転の早さは「流石(さすが)」であるということで、「さすが」という言葉の漢字の語源になっている。また、文豪・夏目漱石も、言うまでもなくこの故事から名前を拝借している。

 創業当時のちん里うの座敷は、床下に小川が流れているという趣向の庭園様式をとっていたため、忠禮公が「床下に伏すれば、小川の流れに枕し耳も洗われんばかり」として、先の故事とかけて「枕流亭」の屋号を授けたというわけだ。「ちん里う」と名を改めた今は、五代目当主が経営に携わっている。ちなみに、国道一号線(旧東海道)沿いにも「ちん里う」という店があるが、そちらは経営的には全く別の店とのこと。

 元藩主御用料理人の門弥が枕流亭で売り出したのは、小田原名物の梅干しをはじめとする漬物だった。明治43年(1910)の「横浜貿易新報」(現・神奈川新聞)の記事の中に、「ちんりう」の砂糖漬が評判だったことが記されている(何の砂糖漬かは不明)。

 そもそも、梅の名所としての小田原は、戦国時代に北条早雲が梅の効用に目をつけ、合戦に備えて梅の木を城内や武家屋敷に植えさせたのが始まりだと言われている。江戸時代には梅漬け(梅干し)は小田原名物として世に知られるようになり、街道を行く旅人が多く買い求めたという。梅干しの酸味は弁当の腐敗を防ぎ、また、気つけにもなったのであろう。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の中でも、弥次さん喜多さんが小田原名物の梅漬け(梅干し)と客引きの口上にひっかけてこんな歌を詠んでいる。

  「梅漬けの名物とてや留め女 口をすくして旅人を呼ぶ」

 昔はどこの家庭でも梅干しを漬けていたため、ちん里う(もしくは枕流亭)はもっぱら、旅人相手に商売をしていたようだ。店内には、大正10年(1921)以来毎年、その年に漬けられた梅干しが詰められた瓶が展示されている(非売品)。最古のものとしては、天保5年(1834)の梅干しまであり、炭化して黒くなった果肉の周りに結晶化した塩が浮いているのが見て取れる。こちらはもちろん、ちん里う製ではない。店の方も詳しくは分からないようだが、恐らく旧家の甕に残っていたものを譲り受けたものであろう。

 市販用の梅干しにはそこまで古いものはないが(古くて10年漬)、代表的な商品としては、3年間かけて自然に枯れさせた塩で、肉厚な小田原産の梅を漬けた「三年漬梅干し」などがある。「昔ながらのいい塩梅」というのがこの商品のキャッチフレーズだが、昔、各家庭で漬けられていたのは、「小町梅」のように赤紫蘇で漬けたものではないかという。今でも、年配の方は好んで赤紫蘇で漬けた梅干しを買っていくそう。この他、紫蘇の葉で梅干し包んだ「しそ巻梅干し」や、完熟梅の甘納豆風「梅納糖」などがある。

 今でこそ口をすっぱくして宿に誘う留め女はいないが、現代の徒歩旅人として、箱根峠越えに備えて昔ながらの梅干しを買い求めておくのもいいかもしれない。

chinryu-uumeboshi.JPG(商品の写真をクリックすると大きくなります)

chinryu-old-umeboshi.JPG(非売品です)

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