和菓子街道 伊勢街道 津

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伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ
  安濃津の浦と城に支えられた津の今昔

 江戸橋で、関から下ってきた伊勢別街道と合流し、細長く伸びる町並みを南下する。途中、JR津駅の東を通るが、この少し先(南)辺りでは、その昔、「柄杓餅」なるものを名物として売っていた店があったという。参宮者にとっての一番の旅道具といえば、柄杓。やはり、お伊勢参りの客をもてなした餅菓子だったのだろう。今は残念ながら、跡形も残っていない。

 しばらく行くと、参宮道右手に曹洞宗の中本山・四天王寺。寺伝によると、推古天皇の勅願により聖徳太子が建立したというが、江戸時代の寛政9年(1797)刊の『伊勢参宮名所図会』には、天平9年(737)に聖武天皇の勅命で諸国に建立された四天王寺のひとつである、と記されている。また、境内から発掘された瓦から、7世紀頃の創建ではないかとの説もある。いずれにしても千年以上の歴史を誇る古刹で、境内には元文2年(1737)に建てられた芭蕉文塚や、織田信長の生母・花屋寿栄禅尼の墓など、見所も多い。

 四天王寺をあとにし、塔世橋を渡ると、参宮道は津の心臓部へと入っていく。ちなみに、新しい塔世橋の西詰めには、古い石製の塔世橋が部分的に残されている。これは、石橋には、生々しい弾痕があるが、これは津の街が第二次世界大戦の空襲に遭った時の悲惨な記憶を風化させないように残しているものである。

 「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と『伊勢音頭』で唄われる津は、古くは安濃津と呼ばれ、中国の歴史書にも「日本三津」のひとつとして記録されているほど重要な港であった。ただ、室町時代までの安濃津は、津の市街地よりも少し南に行った阿漕の海岸付近を指していた。天然の良港であったが、明応7年(1498)の伊勢湾大地震で港が決壊すると、少し北の岩田川河口の津港に移ったといわれている。

 古くから良港を中心に栄えた津は、津藩主藤堂家の城下町としての側面も併せ持つ。参宮道の西700メートルほどのところに位置する津城は、戦国時代に築城されたものを、慶長13年(1608)に入城した藤堂高虎が大改修した。北の安濃川と南の岩田川を天然の大外堀とし、近年の発掘によって確認された400年前の内堀は、幅約80メートル、江戸城の約2倍もあったということが判明しており、堅固な城であったことが伺える。現在では石垣と再建された三層櫓、高虎像のある公園として整備されている。

 参宮道は、津城址より少し東を行く。23号線を横切って綴れ折に道を進むと、恵日山観音寺の五重塔が見えてくる。元明天皇の御代の和銅2年(709)、安濃津の浦で漁をしていた漁夫の網にかかった聖観世音菩薩を本尊とし、現在でも津観音として親しまれている。かつては41棟もあったという堂宇のほとんどが戦火で焼かれてしまったが、本坊ともいうべき大宝院は境内西(道路を挟む)にかろうじて残っている。大宝院の本尊は阿弥陀如来(別称「国府阿弥陀」)で、伊勢の天照大神の御本地仏でもある阿弥陀仏に参拝しなければ片参りになるといわれ、参宮者はこぞって大宝院に参ったのだそう。

 津観音の正面から出てすぐに伸びている門前町のアーケード街が、参宮道である。旧町名の書かれた石碑に助けられながら進むと、岩田川に差し掛かる。江戸時代の岩田橋は今より50メートルほど下流にあり、東の江戸はしに対して、岩田橋は西の見附とされていた。現代は国道23号線になっている岩田橋を渡ってしばらく行き、斜めに東寄りに進むと閻魔堂に達する。お堂の中には1.97メートルの巨大な閻魔様。天和2年(1682)に彫られたものという。お堂の隣には、弁財町というこの辺りの町名の由来でもある市杵島姫神社(弁財天)が鎮座する。

 この先、結城神社や津八幡宮のある八幡町を経て、茶店や蕎麦屋、妓楼などが軒を連ねていたという藤枝町へ。側面に松・扇・梅が浮き彫りにされた思案橋という小さな石橋を渡ると、香良洲神社への参詣道である香良洲道との分岐点に出る。23号線、紀勢本線を跨いで静かな旧道を行くと、寛永9年(1632)まで利用されていた伊勢古道が後方右手から合流してくる。ここが、伊勢古道との追分の三叉路である。この辺り、垂水の集落右手には寺が続く。

 途中、延喜式内社の片樋宮(加良比之神社)への参道口を示す石碑に出会う。この神社は、天照大神を奉じた倭姫命が伊勢への途上で立ち寄った壱志藤片片樋宮であるといわれている。こういった伝承からも、伊勢へと続くこの道沿いの集落が、古くから開けていたことが窺える。ちなみに、この辺りは藤方と呼ばれ、中世から近世にかけて製塩が盛んに行われていたという。藤潟の字が当てられたこともあり、「潟」の字や製塩が行われていたことから、昔はこの辺りまで海が迫っていたことが分かる。今は海岸線は1キロ以上東だが、昔の旅人は磯の香りを楽しみながら歩いたのだろう。

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・玉吉餅店 「やがら」「けいらん」他

    郷土の味を伝える町の餅屋さん → click !

・お焼屋 「地上の星」「相傳 塩羊羹」他

    門前町の茶店から出発した老舗和菓子屋 → click !

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その他のおいしい立ち寄り情報

川糖屋菓子舗
  菓子: かすてい羅饅頭(1個105円)、上生菓子(各1個137円)他
  住所: 三重県津市栄町1-952
  電話: 059-228-3587
  営業時間: 9:00~20:00
  定休日: 第2、第4日曜日

 四天王寺のすぐ近くにある川糖屋菓子舗は、創業明治5年(1872)。高田本山の御用菓子屋でもあり、地元では名の通った菓子屋だ。元は川戸屋と名乗っていたが、後に砂糖を使う商売ということで、「戸」の字の代わりに「糖」を当てるようになったという。漢字が変わってからも店名の読みは変わらず、「カワトヤ」だ。ちなみに、初代の名前は渋谷平五郎。元の苗字が川戸だったが、結婚して妻の渋谷姓になった。

 川糖屋は、元は伊勢街道に面して店を構えていたが、近年の周辺の土地開発に併せて創業以来の商いしていた明治の建物を取り壊して店舗を建て直した。更にその際、店の表裏も入れ替えて、正面が23号線に面するようにし、裏口が伊勢街道側にくるようにした。そのため、今でこそ伊勢街道に背を向けて立っているが、昔は街道を行く人々を相手に商売をしていた店なのだ。

 街道沿いの和菓子屋とはいえ、明治に入ってから始めた店だけあって、当時からハイカラなものを多く扱っていたようだ。例えば、カステラ。初代の頃からの人気商品という川糖屋の「かすてい羅」は、今も健在だ。

 その「かすてい羅」を利用して二代目が考案した「かすてい羅饅頭」は、川糖屋の看板菓子だ。名前の通り、ふんだんに卵を使ったカステラ生地を使った饅頭だ。ほっくりした皮の中は、水分少なめの漉し餡。はほろりと口の中で崩れ、舌の上に乗ると、絹ごしのように滑らかだ。中も外もしっかり甘い、和のような洋のような菓子だ。

 この他、和菓子としては、季節の上生菓子や、小豆餡と抹茶餡の2種類をひとつの種に詰めた「俵最中」などがあるが、実は川糖屋の店の半分を占めるのは、洋菓子コーナーだ。先代である三代目の頃から始めたという洋菓子は種類も豊富。四代目は和菓子・洋菓子の両刀使いだ。

 素人目には、もしかしたら洋菓子の方がよりお得意なのかな、とも思ったが、なにぶん、今回は残念ながら洋菓子を試さなかったため、勝手なことはいえない。また津を訪れることがあったら、洋菓子の方も頂いてみたいところだ。

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清観堂
  菓子: 千鳥焼(10個入り1袋735円~)、不老柿(1個126円~)他
  住所: 三重県津市東丸之内20-1
  電話: 059-227-6388
  営業時間: 9:00~18:00
  定休日: 水曜日

 津の中心部を走る伊勢街道が、岩田川手前で一部消滅している箇所がある。百貨店「松菱」裏手辺りから国道23号線を渡す岩田橋までの辺りだが、道が失われる直前の曲がり角に、創業明治15年(1882)という老舗和菓子屋「清観堂」がある。創業者の喜三郎翁から数えて四代目となる現当主が店を預かっている。

 清観堂が創業当初から製してきたというのが、「千鳥焼」という菓子だ。 俳聖・松尾芭蕉が津の阿漕で詠んだ「月の夜の何に阿古木に啼く千鳥」という句に因んで菓銘が付けられたという。愛らしい千鳥型の菓子で、手に取って軽やか、口に入れてなお軽い。「焼」とはいうものの、実際には焼き菓子ではなく、つなぎに地場産の伊勢芋を使っていら粉(もち米が原料)を成形し、乾燥させたものだ。サクサクとした歯ごたえ、軽い口当たり、あっさりとした甘さ、豊かな風味、口どけのよさ。どれをとっても上品にできている。

 もうひとつ、千鳥焼と並ぶ清観堂の代表銘菓といえば、「不老柿」だろう。肉桂風味の菓子で、干し柿の形に似せてある。粉糖をまぶして焼いた生地の外はさっくり、中の黄身餡はしっとりとしている。ほんのりとした甘さが舌に心地よい。創作当時としては斬新な菓子で、まずは菓子ありき、その後、見た目から名がつけられたのだという。

 今でこそ「津銘菓」として知られているこの菓子、実は清観堂のみのオリジナルではない。昭和40年代、愛知・岐阜・三重に点在する東海地方の菓子店7軒で勉強会を行った際、共同で考案した菓子なのだ。当初は全店同じレシピで製していたというが、次第に各店の個性が出てきたのだという。7軒の今の味を食べ比べしてみたい気もするが、今は閉店してなくなってしまった店もあるというから残念だ。

 清観堂の不老柿は、上質な卵黄をしっかりと練り込んであるため、まろやかな口当たりになっている。粉糖に混ぜた肉桂がアクセントになっているものの、黄身餡の風味を邪魔しない程度で、バランスがよい。お茶はもちろん、コーヒーにも合うため、お使い物にも日常使いにも重宝されるのだろう。千鳥焼も不老柿も、日保ちするので旅の途上で買い求めるには便利がよさそうだ。

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菓子館とね(刀根菓子館)
  菓子: 不老銘菓『梅干』(9個入730円~、万古焼小瓶15個入1950円~、伊賀焼小瓶18個入2450円~)
       四薫詞(1個135円)他
  住所: 三重県津市本町26-20
  電話: 059-226-4343
  営業時間: 8:45~20:00
  定休日: 水曜日
  URL: http://www.tonekashikan.co.jp/

 梅干といえば酸っぱいもの。見るだけで口の中からじゅわじゅわっと湿ってくるものだが、津にはちょっと変わった梅干がある。食べてビックリ、甘いのだ。ほんのり酸っぱさもあるものの、いわゆる塩漬けの梅干とはまるで別物。創業明治43年(1910)の菓子館とねが作る菓子、その名も「不老銘菓『梅干』」は、正真正銘の和菓子なのだ。

 この梅干、上に赤紫蘇の塩漬けまでのせて、まるで漬物の梅干気取りだが、国産梅の梅肉入を練り込んだ美しい紅色の羊羹生地で白餡を包み、粗目砂糖をまぶしたもので、いわゆる「もどき」菓子だ。上に乗せた赤紫蘇の塩気が甘さを引き立てており、まさにいい塩梅。

 昭和14年、初代の刀根三之助が創案したというこの菓子は、幕末に活躍した津出身(生まれは江戸の津藩邸内)の漢学者にして儒者・齋藤拙堂の代表作『月ヶ瀬紀勝』にヒントを得て生まれた。齋藤拙堂が本書で紹介している奈良の月ヶ瀬梅林は、当時から知られた梅の産地で、当店初代の三之助もその地を訪れる機会に恵まれ、拙堂と同様に梅林の美しさに感動したのだという。

 その月ヶ瀬から梅を取り寄せて製したのが、菓子の梅干だったのだ。残念ながら今では月ヶ瀬から充分な量の梅を得ることができず、和歌山県田辺市産の梅を仕入れているという。その梅で漬物(梅干)を作り、裏ごししてピューレにしたものを羊羹に練り込んでいる。中の白餡は手亡豆製。

 漬物が病の万能薬といわれることから、菓子の梅干も「不老銘菓」と謳っている。梅のアルカリ成分は確かにこの菓子にも含まれているので、あながち不当ともいえまい。健康によいというものさることながら、味がよいことから、茶人の間でも評判で、地元の茶会の席にもよく上るという。

 また、盛夏には冷たく冷やしたお茶の中に菓子の梅干を加えて頂いてもおいしいのだそう(筆者はまだ試したことがありません)。冷蔵庫できりっと冷やして頂いてもいいそうで、色々な頂き方で楽しめる菓子のようだ。

 梅干の入っている器がまたいい。通常の梱包でも売られているが、やはりオススメしたいのは、同じく三重県の四日市産の万古焼や、伊賀上野山の伊賀焼の器入り。陶器の入れ物に入っていると、益々、漬物の梅干に見えてくる。器は後で小物入れや花入れなどとして再利用できるのも嬉しい。

 ところで、菓子館とねの話を少々。三代目となる現当主・刀根大士さんは、スイスやフランスで修行を積んだ経験のある洋菓子職人。そのため、現在とねはすっかり和洋菓子の店となっている。また、全国の菓子コンクールなどで優秀な成績を収めた菓子職人を多く雇っており、個性的な新商品の開発にも余念ががない。未来の四代目も7年間の外修行を経て、実家のとねの職人の中に加わっている。店内に並ぶ和洋菓子は実に200種以上。月替わりの菓子も多く、見ているだけで楽しく、何度でも足を運びたくなる店だ。

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tone-shikunshi.jpg蘭、竹、菊、梅の草木「四君子」をもじって、白波寄せる伊勢の浜辺、蛤貝、千鳥、松風の音を餡で表現した菓子『四薫詞』は、柚子餡、白餡、粒餡、漉し餡の4種の餡入り最中。

サンカドー(三華堂)
  菓子: 江戸時代のカステヒラ(1箱700円)、クッキー唐人さん(各種1袋260円。4種類1セット900円)
  住所: 三重県津市大門23-1
  電話: 059-226-4884
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 水曜日

 創業は大正12年(1923年)、現当主の阿部真三さんで二代目。老舗というには少し若い店ではあるが、実はこのサンカドーこそ、津市内で初めてケーキを出した店なのだ。現在も洋菓子を中心とした品揃えだが、特に注目したい菓子がふたつほどある。

 ひとつは、いわゆるカステラ菓子。江戸時代末期、津藩の藤堂家に仕えていた家老の中川蔵人政寛(政挙)が、江戸に在府中に記した日記が残されている。この中で中川蔵人は、「カステヒラ」という焼き菓子を食べたことに加えて、その配合までに書き残してくれている。この配合表を基に、地元の歴史勉強会の協力を得てサンカドーが数年前に再現したのが「江戸時代のカステヒラ」だ。

 砂糖は原糖に近いものを使用しているため、褐色の肌になっている。卵も、現代の一般的なカステラより少なめ。実に素朴で、生地の蜜っぽさが大事になっている現代のカステラよりも、ずっとさっぱりとした仕上がりだ。

 サンカドーで気になるもうひとつの菓子は「クッキー唐人さん」。ここでの「唐人さん」とは、江戸時代の外交使節「朝鮮通信使」のことを指す。朝鮮通信使であるため、厳密には唐=中国の人ではないのだが、当時の庶民にとっては、東洋系の外国人はみな「唐人さん」だったのだろう。

 津では、寛永13年(1636)以来、津八幡宮の祭礼(毎年10月)での出し物として、「唐人さん」の行列の様子を真似た(というより、おもしろおかしくデフォルメした)「唐人踊り」が行われている。不思議な衣装を身に纏った踊り手は、ラッパや鉦、笛、太鼓の音に合わせて町を練りながら、おひねりをもらっている家や店の前で立ち止まって一踊りする。獅子舞と同じだ。この賑やかで楽しい踊りは、今では三重県無形民俗文化財に指定されている。市内の分部町に受け継がれてきた伝統であるため、分部町も「唐人さんの町」と親しみを込めて呼ばれている。

 この唐人踊りの唐人さんにちなんだサンカドーのクッキーは、阿部さんを含む津市内の商店主が参加する「あきんどうネットワーク」の面々が意見を交換しあって生まれた。唐人さんのお面の出っ歯を模したという、実にユニークなクッキーだ。味は唐がらし、ガーリック、カカオ、バター(ごま入り)の4種類。特に唐がらしは、唐人さんの「唐」にちなんで、唐辛子入り。唐からしが辛すぎないよう、かといってクッキーの甘みに負けないように調節するのに苦労したそう。ぴりっとした味が、唐人踊り同様、刺激的で楽しいクッキーだ。

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saikado-tojinsan.jpg津祭りでの唐人踊り

平治煎餅本店
  菓子: 平治煎餅(大笠 5枚入り1415円、中笠 15枚入り1260円、小笠24枚入り525円)他
  住所: 三重県津市大門20-15
  電話: 059-225-3212
  営業時間: 9:00~18:00
  定休日: 元旦のみ休み
  URL: http://www.heijisenbei.com/

 日露戦争(1904~1905)後、食べ物を売る店を開こうと志した初代が、桑名市のかぶら煎餅に弟子入り。大正2年(1913)に開業した煎餅屋。現社長・伊藤博康氏で四代目。かぶら煎餅同様、個性的な形の瓦煎餅を作る店で、看板商品は津の阿漕海岸に伝わる昔話から題材を得た「平治煎餅」。

 昔、貧しい漁師・平治は、病に倒れた母の精をつけるために、伊勢神宮御用の禁漁区だった阿漕の浦に夜な夜な漕ぎ出し、ヤガラという魚を捕えては母に食べさせた。母の容態は良くなっていったが、ある晩ついに、警邏に見つかってしまった。急いで逃げたものの、岸辺に置き忘れてきた傘が動かぬ証拠となり、捕われの身となった平治は、簀巻きにされて沖に沈められてしまった…。

 世阿弥作の能「阿漕」などでも有名な話で、お気づきの向きもあろうかとは思うが、「あこぎな奴」など、「強欲な」といった意味で使われる言葉も、この物語から生まれた言葉だ。一般にわ響きの悪い言葉だが、この物語をよく知る津の人々にとっては、「あこぎ」は親孝行の代名詞のようなもの、褒め言葉なのだとか。

 ちなみに、津の西見附・岩田橋の南東約800メートルにある阿漕塚は、平治の霊を慰めるためのもの。現在の塚は天明2年(1782)に建てられたものだ。
平治煎餅は、平治が忘れた笠を模して作られている。笠型の煎餅は創業当初から大・中・小とあり、大ともなると子供の頭に被せて丁度いいくらいの大きさである。今では機械化が進んでいるが、材料の配合などは昔と同じ。卵の風味の効いた、優しい味の瓦煎餅だ。

 平治煎餅本店では、この他、100円に似せたものなど、様々なデザインの瓦煎餅を作っている。中でも気になるのは、毎年1月~2月上旬の期間限定で発売される「福引せんべい」。いわゆるフォーチュンクッキーで、こちらも大・中・小があり、最大のもので直径58センチ、4000円するという代物で、中には縁起物が詰められているのだそう。まだお目にかかったことはないが、是非一度、運試しをしてみたいものである。

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heiji-sembei.jpg(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

生月
  料理: 懐石料理(昼は5250円~) ※2名~、要予約。
  住所: 三重県津市乙部16-10
  電話: 059-228-0151
  営業時間: 座敷・・・予約時に要相談。
          レストラン部・・・11:30~14:00(L.O.)、17:00~20:30(L.O.)
  定休日: 月曜日
  URL: http://www.seigetsu.com/

 津観音にもほど近い、静かな住宅街の中に、堂々とした門構えの店を構える生月(しょうげつ)。明治初期の創業以来、五代目となる現当主まで暖簾を受け継いできた老舗料亭だ。三重県庁のある津の中でも、格式高く、体裁の整った数少ない店の一軒である。

 店名は、平安末期の源平合戦いで、宇治川の戦いの折に一番乗りの功を立てた佐々木四郎高綱の愛馬として知られた名馬にちなんで付けられた。ちなみに、名馬の名の読みは「いけづき」で、他に生食、池月、生唼などとも記される。

 現在、五代目はもっぱら経営に当たっており、料理人は別に雇っている。接客は美人と評判の女将さんが中心になって行っている。建物は戦後に建てられたものだが、欄間など細部の美しい造りや手入れの行き届いた庭など、もてなしの心が隅々まで行き渡っていることが分かる。

 供される料理は、懐石料理のみ。八寸に始まり、刺身、魚の煮つけなど、海のある街らしく、魚介類を中心とした料理になっている。この日は、カサゴの煮つけ、めいたカレイの変わり揚げ、丸豆腐(すっぽんの卵豆腐)と角餅の椀、鮎の一夜干などが出された。鮎には、うるか(鮎の塩辛)とたて酢(たで葉)、伊勢茶の葉の煮物が添えられていた。

 料理を頂いた部屋は、青々とした苔の美しい中庭に面した個室で、掛簾からこぼれ入る初夏の日差しが新しい畳に柔らかく注いでいる。夜ともなると、芸者さんが呼ばれて華やかな宴が催されることもあるというが、平日の昼間は静かで、ゆっくりとした時の流れが感じられる。なんとも、贅沢な時間だ。
 生月はレストラン部門も併設しており、こちらなら予約がなくても利用することができる。サービスランチ各種2100円~と値段も手ごろ。気取らない食事をということであれば、こちらで老舗の味を堪能することができる。

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レストラン中津軒
  料理: メアベア(850円)、ハヤシライス(650円)、エスカラップ・ビーフ(1700円)他
  住所: 三重県津市中央5-5
  電話: 059-228-2748
  営業時間: 11:00~14:00、16:00~21:00(LO 20:30)
  定休日: 日曜日、12月29日~1月3日

 津市の中でも、洋食屋の草分け的存在として知られているのが、「レストラン中津軒」。東京で西洋料理を学んだという初代が、夫人の故郷であった津で、明治44年(1911)に開業した店だ。店は戦後に建てられたものだが、津の空襲で倒壊する以前の建物にできるだけ似せて再建したという。かつては店舗の奥で旅館も営んでいたという大店で、今も厨房へと続く通路は奥深くまで伸びている。

 古き善き時代を描いた映画にでも出てきそうな洋館の外観もさることながら、店内もこれまたレトロ。どこか、ドイツのガストシュテッテのような趣のある店内には、古いカメラが整然と並ぶガラス棚があったり、一昔前のビールのポスターがあったり。レースのカーテンを透かして窓から差し込む日の光が、穏やかな明るさを広々とした店内に注ぎ込んでいる。常連さんらしい、帽子をかぶった老紳士と、マダムが名残惜しげに立ち話をしている。老紳士はきっと明日もやってくるに違いないのに。

 ゆったりとした時間が、確かに流れていることを感じる。そんな中津軒は、創業当時からの「ハヤシライス」で有名。初代の頃から変わらぬ配合で作るデミグラスソースは、三代目の現当主・中田正己さんから既に息子の守寛さんに受け継がれている。丹念に裏ごしを繰り返して作られる中津軒のデミグラスソースには、じっくりと煮込むことでしか出せない熟成した旨みとコクがある。それでいて、決してこってり、どろっとした感じはなく、意外なほどさっぱりしている。むしろ、すっきりとした酸味が印象的なソースだ。

 さて、デミグラスソースといえば洋食屋の命ともいえるが、中津軒ではハヤシライスやビーフシチューやタンシチュー以外の料理にもこれを用いている。「特別料理 メアベア」だ。牛、豚、鶏という3種類の肉と、粗くカットしたたっぷりの玉ねぎを炒め、デミグラスソースを加えてキャセロールに入れ、オーブンで焼いてから玉子焼きを乗せたもので、中津軒以外ではあまりお目にかかれない変わった料理である。肉を3種も使う辺り、確かに「特別」だ。

 何より、気になるのはこの聞き慣れない名前。アルファベット表記では「meyarbeyar」と書くそうだが、そんな料理は、海外に暮らしていた経験のある筆者も聞いたことがない。由来は諸説論じられており、「シェフのベスト料理」であるとも、人の名であるともいわれている。いずれにしても、考案から1世紀も経ち、もはやその語源も定かではなくなってしまったらしい。ただ、名古屋の某老舗洋食屋にも「ミヤビヤ」というメニューがあり、非常によく似た料理である。中津軒の初代が東京で修行したのに対し、名古屋の店のシェフは神戸で修行をしている。このことから、この料理を作る店は当時は各地にあったことが伺え、一時期、この手の洋食が流行したのではないかと推測している。

 不思議なのは名前ばかりではない。味もまた、なんとも不思議なのだ。もちろん、いい意味で。ソース自体は煮込んであるが、具材はあっさり炊きといった感じで、さっと炒められた玉ねぎはしゃきしゃきっとしており、デミグラスソースでありながら瑞々しさまで味わうことができる。上に乗った目玉焼きはもちろん、半熟。ぷつっと白身の薄幕を破ると、太陽のような黄身がろとんと溢れ出る。これを、デミグラと絡めつつ、頂く。すっきりとした酸味のソースも、卵の黄身を絡めることで味にコクが増し、よりまろやかになるのだ。具材はごろごろっとしていて大きく、食べ応えも満天。

 ハヤシライスと大きく違う点は、ライスの上にかけられているのではなく、ソースがそのままキャセロールに投入されている点。具入りとはいえ、ソースを食べている感も否めなくないため、ライス(250円)やミニサラダ(250円)も一緒にオーダーすることをお薦めしたい。

 ところで、メニューの中にもうひとつ、興味深い料理名を見つけた。「エスカラップビーフ」だ。マダムに訊ねてみると、メアベア同様、語源・由来は不明だという。しかし、思い当たるものがある。アルファベット表記は「escalop beef」となっているが、これは十中八九、「escalope」のことだろう。escalopeは、厚切りの肉や魚料理で、仔牛の場合は往々にしてパン粉をまぶしてフライまたはソテーする。つまり、ビフカツだ。マダムに聞いてみたところ、バターでビフカツをソテーしたものだというから、まず間違いなく、escalopeだろう。

 ここで思い出すのが、根室の不思議料理、「エスカロップ」。スパゲッティナポリタンの上にトンカツをのせ、デミグラスソースをかけた料理だが、これも恐らく語源は同じと思われる。30年ほど前に創案された頃には豚肉ではなく仔牛の肉のカツをバターでソテーしたものを使っていたという(ケチャップライス、バターライスなどに絡むエスカロップの薀蓄はこの場では割愛させて頂く)。

 マダムに、根室のエスカロップについても訊いてみたが、「へぇ、そんなのがあるんですか!」と、びっくりされてしまった。どうやら、中津軒のエスカラップは、根室のエスカロップをヒントに生まれたものではなく、純粋に洋食のひとつとして作られてきたもののようだ。今回はメアベアで満腹になってしまったが、次回訪れることがあれば、今度はエスカラップだな…いや、そうすると名物のハヤシライスはいつになるんだ…?などと頭をひねりながら、古びたドアを背に店をあとにした。メアベアにエスカラップ。洋食屋も奥がが深いものだと、つくづく思った1日だった。

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