和菓子街道 姫街道 三ケ日

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道中奉行管轄外の市野宿と公道姫街道

 「いやになります三ケ日泊まり 一夜明くれば本坂峠」

 昔々の戯れ歌が伝えるように、三ケ日宿は本坂峠を目前に控えた旅人が、身も心も難所に備えるべく一夜の休息をした宿場町だった。

 三ケ日宿の入口、高札場を過ぎてすぐのところには、江戸から71番目の一里塚があり、更にその先に今は普通の民家にしか見えない旧旅籠・千鳥屋を見て進むと、やがて問屋場前に出る。この辺りが宿場の中心で、数軒の旅籠が軒を連ねていたようだ。

 三ケ日宿内には、小池脇本陣をはじめ、今もところどころに古めかしい家が散見されるが、現役で商いをしている最も古い店はというと、おそらく酒屋「日野屋」(浜松市北区三ヶ日町三ヶ日727-1、電話053-524-0013)だろう。

 創業は文化7年(1810)。滋賀県蒲生郡(現日野町)から浜松に出てきて酒造りを始めたが、天保3年(1832)に浜松を襲った大火で焼け、三ケ日の現在地に移ってきた。

 現在は既に造り酒屋ではないが、七代目のご隠居と八代目が中心になって酒屋を経営している(地酒『姫街道』などを販売)。店の一角にはちょっとしたギャラリーがあり、江戸時代からの大福帳や酒壷などが展示されている。

 ちなみに、三ケ日名物の「大福寺納豆」は、ここ日野屋でも求めることができる。明代の中国から伝来したと伝えられている大福寺納豆は、味、見た目ともに浜納豆(東海道「浜松宿」参照)とほぼ同じ。

 というより、浜納豆の元が、大福寺納豆だったといっていいかもしれない。強いて違いを挙げれば、浜納豆には生姜と山椒(皮もしくは実)が使われているが、大福寺納豆は山椒の中皮(辛皮)のみが使われている。

 大福寺納豆は現在も、三ヶ日の山中にある大福寺の僧侶によって手作りされている。毎年4月くらいから大豆を仕込み、夏の間に熟成させて、10月から翌年4月頃まで販売される。大福寺でも求めることができるが、日野屋をはじめ、町内の食料品店などで販売される(525円/140g)。

 街道に話を戻そう。三ケ日は、宿場としての規模は非常に小さく、長さは5丁(約545メートル)、天保14年(1843)頃の人口はわずか467人だったようだ。あっさりと宿場町を通り過ぎ、下り坂を行く。釣橋川、宇利山川を過ぎると今度は上り坂。数年前までこの辺りにあったという街道松は、今は姿を消してしまった。

 道なりに左にカーブして進むと、明治14年(1881)の鞘堂に収められた大正5年の常夜灯があり、ここからほどなくすると国道362号と一旦合流することになる。この辺りを地元では「ダンノー」と呼ぶそう。

 ダンノーは「駄荷野」の意で、ここで人馬駄荷の継ぎ立てを行ったのだ。ダンノーで右に進路をとるのが姫街道だが、左に行くと春先ならば見事な菜の花畑に出会えるので、寄り道をお薦めしたい。菜の花畑の後で姫街道を西進すると、ほどなくして今度は左手に梅林が見えてくる。こちらにも寄り道。やはり姫街道は花がよく似合う。

 しばらく362号に沿って進むと、日比沢公民館前に秋葉常夜灯があり、更にその先にはかつては女性の産後の血の道の妙薬で知られた華蔵寺がある。

 小さな寺だが、朱塗りの四足門がなかなか粋だ。境内には仏を浮き彫りにした本坂道の道標が置かれている。この道標が元々置かれていたのは、寺を出てすぐのところにある三叉路付近。古代の板築駅のあった場所だ。

 板築駅は、天長10年(833)~承和10年(843)という短い期間に存在しただけの古代駅だ。ここより南の猪鼻駅が災害で崩壊したため、臨時でここに駅が設けられたという。浜名湖北岸が東海道(官道)とされていた時代の話だ。

 道路を挟んで板築駅跡の向い、高台のみかん畑の脇にあぜ道のようなものがあるが、これがどうやら、姫街道のようだ。もっとも、この道はひどく荒れていて、かつ途中で寸断されているため、どこにも行き着かない。上ってみるも、すぐに362号に引き返して進むことになる。

 この先、一旦国道と別れてからすぐのところに、江戸から72里目の本坂一里塚。街道右手、つまり北側の塚は原形を留めていて樹も茂っている。

 資料によると南塚は消失しているというが、見ると、ちゃんと盛り土があり、樹も植えられている。どうやら復元したようだ。北塚の下には6体の馬頭観音を安置した祠があり、中央の一番大きなものは文久3年(1863)建立だ。

 一里塚から先は未舗装の道を行く。もっとも未舗装の姫街道はすぐに終わってしまい、再び国道と合流。ここから本坂の集落となり、久しぶりに人里に出た感を受ける。

 集落の中には、本坂関所跡の案内板を見つけることができる。気賀に関所が置かれる前の室町末期までは、ここに関所があったようである。

 集落の高台には、空海・嵯峨天皇と共に三筆と称された平安時代の書家・橘逸勢を祀る橘神社が見える。謀反の疑いをかけられた逸勢は、伊豆に流される途中、この地で病死してしまう。逸勢には娘があり、父の後を追って板築駅までやってきたが、父の死を知ると尼になって墓の近くに草庵を結んで父の菩提を弔った。死後、逸勢は罪を許され、娘もその遺骨を京に持ち帰ったという。

 橘神社から姫街道に戻り、石積みの土台が残る高札場跡と、その横の文化4年(1807)の秋葉常夜灯と鞘堂を見て、本坂の集落に別れを告げる。

 国道を横切って小さな大師堂に祀られた2体の弘法大師にお参りすると、いよいよ姫街道最大の難所・本坂峠に差し掛かる。ここからは森の中に入り、道も石畳となっており風情満点。だがこれは、昭和34年頃の電話線敷設の際に、ケーブルを押さえる目的で設けられた石畳で、古い時代のものではない。

 本坂峠への上りは、のっけからかなりの急坂だ。すぐに息が上がる。一旦森から出て国道を横切り、再び木々の中に続く荒れた姫街道を行く。

 左手には、鏡岩と呼ばれる巨岩。昔は鏡の如く磨かれた表面に姿を映すことができ、女性はここで化粧を直したのだとか。今は苔むしていて、とても鏡の役を果たせそうに見えない。

 道というより、出水の跡のような“窪み”がうねるように続いている。森を抜けて再び出会った国道を斜に渡り、またしても森の中へ。そしてここからが、本坂峠名物の「椿のトンネル」の始まりだ。

 背の高い椿の原生林が、トンネルのように石畳を覆っている。毎年2月下旬から3月上旬にかけて、無数の椿の樹が、女性の腕のような細い枝の先に大きな赤い花をつける。命を終えた花は、そのままの姿で足元の石畳の上に落ち、石畳を緋毛氈に変えてゆく。

 頭上に、足元に目を奪われながら石畳を上っていくと、やがて静岡県と愛知県の県境に出る。標高382メートル。ここが、本坂峠の頂上だ。

 江戸時代、峠には、大名行列が通る際にはこの地の領主の命によって臨時の茶屋が設けられたという。その後、幕末から明治にかけては茶屋が常設されていたようだ。

 ここからは、当然ながら下りとなる。急な坂を下りていくと、弘法大師が喉を潤したと伝えられる弘法水があり、更にその先にはくねくねと曲がる「嵩山七曲」の悪路を下って行く。

 茶屋場跡、座禅岩、腰掛岩などを身ながら進むと、今ひとたび、国道に出会う。国道を横切って植林地帯に入っていくが、この辺りは粗大ゴミの不法投棄地帯と化しており、姫街道の悲しい現状が浮き彫りとなっている。

 憤懣やるかたなき思いで、ゴミで一層狭くなっている道を歩いて行くと、やがて林も終わり、嵩山の一里塚跡に辿り着く。ここまで来ると、峠の下り坂も終わり、平坦な道になる。山道の最後の名残を楽しみつつ、姫街道中4つめの宿場・嵩山の集落へと入っていく。

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その他のおいしい立ち寄り情報

入河屋
  菓子: 甚作饅頭(1個80円)、みかん最中(1個126円)
  住所: 静岡県浜松市北区三ヶ日町下尾奈83-1
  電話: 053-525-0902
  営業時間: 8:00~19:30
  定休日: 不定休
  URL: http://www.irikawaya.co.jp/

 三ケ日宿を東西に横断する姫街道が乎那の峯を経て南北に走る伊奈街道と交わる三ケ日宿の十字路・四辻には、古色然とした旧旅籠が建ち、今も街道が賑わった往時の雰囲気を残している。その四辻の一角に明治18年(1885)から店を構えていたのが、菓子屋の入河屋だ。もっとも、四辻の店は2007年に入ってから閉店し、今は入河屋の事務所が残るのみ。以前からあった尾奈支店(天龍浜名湖鉄道奥浜名湖駅近く)が今は本店となっている。

 入河屋が創業当時から五代目の現当主に至るまで変わらず作り続けているのが、初代の名を冠した「甚作饅頭」だ。ふっくらとした蒸し饅頭で、北海道中薮農園から直送される「北の乙女」という小豆の餡を使用。卵と牛乳の風味の効いた白生地には漉し餡、カラメルで茶饅頭風に色づけした茶色生地には粒餡がそれぞれ入っている。また、さつま芋餡入りの「甚作饅頭Jr.」もある。

 甚作饅頭は創業以来の伝統の味だが、現在、入河屋で最も人気が高いのが「みかん最中」だ。ご存知、三ケ日特産のみかんをイメージした最中で、「姫手亡」という白豆の餡に質の高い無農薬の三ケ日みかん果汁を練り込んだ餡は、爽やかなみかんの香りが口いっぱいに広がるすっきり味。みかんの季節以外でも求められる三ケ日土産として、誰にでも喜ばれる逸品だ。



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