和菓子街道 東海道 石薬師

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采女、日本武尊の伝説の地を経て石薬師宿へ

 四日市を出て、日永の追分で伊勢海道と別れて近鉄内部線沿いに東海道を進むと、道はやがて、采女の里に入る。その昔、とある采女(下級女官)が宮中でちょっとした失敗をおかし、天皇を怒らせてしまった。しかし、機転をきかせてお詫びの歌を詠んだところ、天皇はいたく感心し、褒美まで与えた。その采女の郷里が、そのまま采女と呼ばれるようになったのだという。奈良時代から地名が残っている古い土地だ。

 古い民家が多く残る采女の里の西外れから、道は急な上り坂にさしかかる。傷を負った日本武尊が、剣を杖の代わりにして上ったという伝説の残る杖衝坂だ。街道を旅した松尾芭蕉も、「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」と、この坂の急な様子をユーモアを交えながら詠んでいる。

 杖衝坂を上りきって、何度か国道を横切りながら道を行くと、石薬師の宿に至る。元々、四日市から亀山までの距離が長かったために後から設置された石薬師宿は、極めて規模の小さい宿場だった。現在も昔以上に広がりを見せることはなく、ところどころに格子戸のある古い家を残しながら、小さな集落がそっと営まれている。宿場町の中ほどにある小澤家は、建物こそ明治期に建て替えられたものだが、浅野内匠頭や大岡越前守といった時代劇でお馴染みの人物も宿泊した由緒ある本陣である。

 静かな通りを抜けると、宿場名の由来になった石薬師寺が見えてくる。聖武天皇の頃(724~749年)に創建された古刹で、本尊の薬師如来は弘法大師が一夜にして爪で刻んだと伝えられる石仏である。本尊は秘仏で、年に一度、地元の人々に洗ってもらう「御煤取り(おすすとり)」の時だけお目見えとなる。本尊を拝みたければ、12月20日のお風呂の日に訪れるしかないようだ。

 古くから霊験あらたかな寺として知られた石薬師寺には、江戸時代にも参勤交代中の諸大名が参拝し、道中の安全を祈願をした。現在残っている本堂は、寛永6年(1629)に当時の伊勢神戸城主・一柳直盛によって再建されたものだ。階段の石の角が丸みを帯びているのは、城主の参拝時に支障が起きないよう配慮したものだという。

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