三重県の老舗和菓子屋を取材していると、よく「赤福さんの創業が何年で、うちはその何年後…」というような言葉を耳にする。全国的に知られた伊勢名物「赤福餅」の老舗、「赤福」の創業は遡ること約300年前の宝永4年(1707)。三重県ではどうやら、この創業年がひとつの老舗の基準になっているようだ。
そんな赤福よりも、更に4年早く桑名で暖簾を上げた菓子屋がある。「とらや饅頭」で知られる「とらや老舗」だ。桑名宗社の桜門前、つまり街道よりひとつ西側の通りに面して店を構えるとらやは、創業宝永元(1704)年。十一代目当主の安達仁兵衛さんは、数年前にこの名を襲名したばかりの45歳(平成18年当時)だ。
「元は、年始生(としお)という名でしたが、先代が亡くなって、仁兵衛の名を襲名したのです。名刺上だけでなく、戸籍上でも名前を変更したので、色々と手続きが大変でした」
襲名というのは形だけで、実際の名前は別にあるというケースはよく聞くが、とらや老舗の安達家では、代々、仁兵衛の名を法的に襲名しているという。300年の歴史があって、変わらず人々に親しまれている銘菓があって、その名は江戸時代の文献にも登場する、といったような“証拠”を提出して初めて、襲名による名前変更の認可が下りるのだそう。
とらや饅頭についての記述が見られる文献というのは、桑名藩の下級武士であった渡部平太夫・渡部勝之助の親子の間で交わされた交換日記『桑名日記』『柏崎日記』のことだ。江戸時代も終わりに近づいた天保10年(1839)、渡部勝之助は桑名藩の飛び地領である柏崎へ、陣屋の年貢高をはじく勘定人として赴任することを命じられる。この時、勝之助は養父の平太夫と互いに日記を書いて交換し、それぞれの生活の様子を伝える約束をした。
約10年に渡って綴られた渡部親子の日記の一部に、とらや饅頭のことが触れられているのだ。「今度、土産にとらや饅頭を持っていく」などといったようなことが記されている。当時から既に、とらや饅頭は評判の良いお使い物として重宝されていたことが分かる。
桑名城にもほど近いとらや老舗だが、城への御用であったかどうかは分からないそう。
「城下の菓子屋ですし、『桑名日記』『柏崎日記』にも登場するくらいですから、武士もとらや饅頭を食べていたことは間違いないでしょう。この通りのすぐ裏手には船着場があって、周囲には遊郭が建ち並んでいましたので、遊郭でも食べられていたかもしれません。昔は竹皮に包んで出していたようで、東海道を通る旅人の土産にはなっていたのでしょうね」(仁兵衛さん)
『桑名日記』『柏崎日記』は桑名市博物館が所蔵する文献だが、とらや老舗には古い時代のことを伝える資料などはほとんど残っていないという。
三菱などの大きな工場のあった桑名は大空襲に遭っており、この辺りも焼け野原になった。また、伊勢湾台風の被害も甚大だったようだ。現在のとらや老舗の建物も戦後に建てられたもの。かろうじて、元禄時代からの過去帳や木彫りの虎を従えた看板、螺鈿細工を施した菓子箱、嫁入りの投げ餅用の箱(この地方では婚礼の際に餅投げが行なわれた)などが残る程度だ。
余談ではあるが、明治19年(1886)創業の名古屋の納屋橋饅頭(当初の屋号は「伊勢屋」)も、とらや老舗で修行した職人によって始められたのだと、聞いたことがある。仁兵衛さんにそれを問うと、やはり同じような話は耳にしたことがあるが、文献などがないため、確かなことは言えないとおっしゃっていた。
戦争や天災をかいくぐり、多くを失いながらも生き延びてきたとらや饅頭だが、今でもその人気は揺るぐことなく保たれている。市内のさる料亭の女将さんも、「日常使いのお饅頭なら近所のお菓子屋さんで済ませることもありますが、上等な進物にはとらや饅頭を使います」と話していた。
そんな不動の人気を誇るとらや饅頭とは、どんなものか。それは、一口に言ってしまえば「酒素饅頭」。もち米と麹を発酵させて酒素を作り、小麦粉を混ぜて再び発酵。できた生地を薄皮にし、餡を包んで蒸した饅頭で、掌に丁度収まるほどの大きさだ。しっかりと炊きつめた餡は、甘さ控えめで、それいて奥深い味わい。辛党にも好まれているさっぱりとした饅頭だ。
十一代目仁兵衛さんは、名前同様、先祖代々受け継がれてきたこの饅頭の製法を守り続けている。暖簾を譲り受けた時には、酒税法に則って酒母を扱う免許も取得した。
「酒素を作るのには、免許が必要です。酒素がなくては、とらや饅頭は作れません。これが当店の全てといえます」
もち米を炊くところから始まる生地作りには、約1日を要する。その作業が、毎日繰り返される。最も神経を使うのは、湿度の調整なのだそう。発酵させる熱には、炭を用いている。
「かっこいいことを言うと、火力が丁度適していて、水分がほどよく保たれるから使っている、ということになりますが、実際にはずっと炭でやっているから、そのまま変えずに使っているだけなんですよ(笑)」(仁兵衛さん)
饅頭作りの基本を教えてくれたのは、先代よりもむしろ、先々代、つまり九代目だった。戦後から家業を継いだ九代目は、四半世紀に渡ってとらや饅頭を作り続けていた。その後、十代目に家督を譲ったが、十代目が店を預かった期間はそう長くは続かなかった。
子供の頃から祖父や父の背を見て育ち、京都の菓子屋・鍵長でも5年ほど修行を積んで和菓子職人として一人前に育っていた十一代目だったが、家業を継ぐとなった時は、さすがに右往左往したという。
「長男の宿命ですよね(笑)。しかも、一人っ子だからどうしようもない(笑)。生まれた家が桑名でも一番古い店で、何もかもが手作り。そりゃ、大変ですよ」
最初の頃は、麹の発酵もなかなか思うようにいかなかった。しかし、友人である桑名の造り酒屋・後藤酒造のご主人から、麹の発酵に関する「化学」のレクチャーを受け、試行錯誤を繰り返した結果、昔ながらの方法を変えず、かつ自分なりの解釈を加えた工程を確立することができたという。
もち米を主原材料としているとらや饅頭は、冷えれば時期に堅くなってくる。堅くなれば蒸し直したり(炊飯器を使うのがお薦め)焼いたりしてもおいしく食べることができるが、そのままであればせいぜい1日、2日程度しか日持ちしない。家伝の製法を守りつつ、味も変えず、かつ日持ちさせることのできる方法を、現在は模索中だという。
そんな研究熱心な十一代目仁兵衛さんを支えているのは、ご母堂、つまり十代目の夫人である。ご母堂はとらや老舗の安達家に、家付きの娘として生まれ育ち、長年に渡ってこの店の「看板娘」を務めてきた。今も「看板おばあちゃん」として健在だ。
失礼ながら「後継者は?」と問うと、こんな答えが返ってきた。
「ご多分に漏れず、うちも後継者問題に悩んでおります。記事に、“嫁さん募集中!”って書いておいて下さいよ(笑)。古い家柄で、格が違うとか近寄りがたいなんてよく言われますが、そんなことはありません。普通の饅頭屋なんですから」(仁兵衛さん)
饅頭一筋300年。今後もなんとか、とらや饅頭の味と仁兵衛の名を伝えていけないものだろうか。陰ながら応援したいところだ。
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店舗情報
とらや老舗
菓子: とらや饅頭(1個160円~)他
住所: 三重県桑名市本町54
電話: 0594-22-0706
営業時間: 8:00~18:00
定休日: 木曜日
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