和菓子街道 東海道 藤枝 紅家

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藤枝一の老舗と十返舎一九の接点とは…

 上の絵図は、藤枝市内在住の個人が所蔵する天保13年(1842)の藤枝宿の様子を描いた『東海道藤枝宿往還家並絵図』(『藤枝市史』資料編3 近世―付録より一部転載)である。この絵図の右端に近い辺り(上伝馬町)に注目してもらいたい。紙の皺が多く見づらくて申し訳ないが、江戸側から京に向けて歩いた場合の街道右手、つまりこの絵図では往還の上側に、「明神宮」への参道に赤い鳥居が描かれているのがお分かりになるだろうか。

 その鳥居から右隣8軒目に「菓子屋 久右衛門」の文字が見られる。上のようにこの図を正面から見ると逆さに書かれてある文字だが、その箇所のを拡大して天地を回転させたものが右の拡大図である。この「菓子屋 久右衛門」(赤枠部分。クリックで拡大できます)こそ、現在も藤枝で菓子屋を続けている飯塚氏の「紅家」だ。

 前述の通り、この絵図は天保13年に描かれたものであるが、「菓子屋 久右衛門」の店は、更に古い明和元年(1764)の『朝鮮人上伝馬宿泊図』(市内個人蔵)にも同じように記されている。しかし、そればかりではない。市内の西光寺にある古い過去帳に「元和二年 上伝馬 久右衛門父」「寛永九年 柴草 久右衛門母」と記されているのも、同家の先祖である。

 元和2年(1616)といえば、徳川家康が75年の生涯を閉じたまさにその年だ。柴草(または芝草)とは、上記の天保13年の絵図に描かれた久右衛門の店付近一帯の地名を指している。このことからも、寛永9年(1632)にも、やはり同じ上伝馬辺りに店を構えていたということが分かる。

 更に、藤枝で最も古いとされていた墓のひとつも、同家の先祖からの墓であったことが分かっている。西光寺にはかつて、阿弥陀如来の姿をした同家の墓があった。商人文化が華やいだ元禄の頃(正確には元禄2/1689年)に建立されたこの墓は、寺の本尊と同じ姿をしていたこともあり、霊験あらたかとして近隣の人々から篤く信仰され、賽銭も絶えたことがなかったという。この墓は現在、伊豆修善寺に移転した同家の本家筋の菩提寺に移されている。

 江戸時代初期から菓子屋を営み、近年まで代々久右衛門を名乗ってきた飯塚家だが、過去に二度ほど大火に遭って古い文献などはほとんど焼失してしまっており、確かな創業年や現当主が何代目かといったことは分かっていない。

 ただ、口伝によれば、久右衛門方では代々田中城に菓子を納めていたとされており、江戸時代を通して格式の高い御用菓子司であったことを窺い知ることができる。

 久右衛門方がいつの頃から「紅粉屋」の屋号を持つようになったのかも判然としない。飯塚家に婿入りしてきた現当主の飯塚正さん曰く、おそらく江戸後期になってからではないかという。また、紅粉屋と書いて「べにや」と読ませていたというが、その名の由来も分かってはいない。

 「お化粧品を扱うお店などに紅の字が多く使われたようですが、なぜ菓子屋であるうちが紅粉屋なのかよく分からないのですよ」と、奥様で飯塚家を継いでいる久仁子さんも口を揃える(余談ではあるが、久仁子さんの名にも「久」の字が使われていることにお気づきだろうか)。

 幕末の混乱を経て時代が明治へと移ると、田中城は廃され、紅粉屋久右衛門もお城の御用がなくなった。これを機に、紅粉屋の飯塚家は藤枝を引き払い、新天地の伊豆修善寺に移転して、かの地で菓子屋を再開したという。

 しかし、数年後には飯塚家の弟が望郷の念を捨てられず、再び藤枝に戻って菓子屋を開いた。その際に、紅粉屋で「べにや」と読ませるのは難があるとして、「紅家(べにや)」と漢字を一部改めた。

 ところが、藤枝に舞い戻った分家はすぐに主を亡くしてしまったため、家を継ぐために本家から妹が呼び寄せられた。これが現在、藤枝の上伝馬にある紅家の飯塚分家である。現在の店は、明治時代になって旅籠の高砂屋が解体され、紅家も含めた3軒の店がその跡地を分譲で買った場所に建っている。本家筋の修善寺の店は、今でも紅粉屋として営業を続けており、両家の間では昔と変わらず懇意な行き来が保たれている。

 紅粉屋、そして明治以来の紅家では、どんな菓子を作っていたのだろうか。残念ながら、この辺りのことも記録が残されておらず、はっきりとしたことは分からないようだ。「昔を知っていらっしゃるお客様は、紅家では大きな饅頭を作っていたとおっしゃいます」と久仁子さん。どれほどの大きさだったのかは分からないが、「とにかく大きかった」ようで、値段も一般の饅頭よりもずっと高かったという。その他、昔は藤枝郊外にある清水寺の縁日になると、紅家の切り山椒が売られていたと記憶している人もいる。

 時代に合わせて作る菓子も変わってきているという紅家だが、現在の代表銘菓はというと、宿場町の菓子屋らしく、東海道にちなんだ「弥次喜多まんじゅう」だ(※実際の商品名は「喜」の代わりに「七」を3つ使った字)。酒素の良い香りがする酒まん、よもぎを混ぜた緑の生地が鮮やかな草まん、味噌独特の風味が昔懐かしいみそまんの3種類がある。

 藤枝に留まらず、全国的にも通用する名の菓子を作ろうと、ご主人が15年ほどまえに考案したのがこの弥次喜多まんじゅう。実は後にこの饅頭が縁で、紅家にとんでもないお宝がやってくることになろうとは、ご主人も久仁子さんも思いもよらなかったという。そのとんでもないお宝というのは、なんと、弥次さん喜多さんの生みの親である『東海道中膝栗毛』の著者・十返舎一九の「すりこぎ」だ!

 「うちが弥次喜多まんじゅうを作っているということで、十返舎一九の子孫の方が喜んでくださって、これを譲って下さったのです」そう言いながら久仁子さんが、問題のすりこぎをおもむろに取り出した。すりこぎというと山椒の木で作るものが多いが、一九のすりこぎは桐製。ほの白い木肌で、充分使い込んであるらしく、先端が丸くなっている。手にとってみると思いのほか軽く、すべすべとした肌触りだ。

 大のとろろ好きだったという一九は、このすりこぎを大事に、それは大事にしていたとみえ、自身の著書でも折に触れて愛用のすりこぎについて触れたり、扇面にすりこぎの絵を描いたりしていたという。

 現在藤枝に在住している一九の子孫の手元には、元々、一九愛用の茶碗にすりこぎ、そして過去帳という3つの家宝があったが、茶碗は行方知れずになってしまっている。せめてすりこぎは大切にしてくれる人の下に置いてもらいたいと、紅家に持って来たのだという。

 「最初にこのすりこぎを頂いた時は、そんなに大事なものとも思わず、ぞんざいにその辺りに置いておいたんです。そうしたら、しばらくして十返舎一九を研究されているという団体の方々が、展示会に出品したいので貸して欲しいとおっしゃってきて。その方たちがご丁寧にこのような桐の箱まで作って下さったんですよ」(久仁子さん)

 それまでは、菓子作りの道具や骨董品をところ狭しと並べた店の棚に無造作に置いてあったのだという(店に現在展示されている骨董の数々は近年買い求めたもので、火災後に残ったものは数点の浮世絵と銭函、菓子の焼印や木型などの古い道具類くらいだそう)。

 なんとものんきな話だが、飯塚ご夫妻の人柄に触れると、なぜだか「さもありなん」と微笑ましく思えてくる。久仁子さんがその価値に気づいてからは、一九のすりこぎは飯塚家の家宝として大事に保管されている。一九もその子孫も、これで本望だろう。

 ひょんなことから飯塚家に家宝をもたらした弥次喜多まんじゅうと並んで、紅家にはもうひとつ銘菓と呼ぶに相応しい菓子がある。「長寿柿」というめでたい名のその菓子は、干し柿に白餡を詰めて羊羹に潜らせたものだ。表面には餅を凍らせて細かく砕いた氷餅がまぶしてあり、軒干しの干し柿に白い粉がふいたかのような景色を作っている。

 この菓子もまた、15年ほど前にご主人が考案したもの。関ヶ原の合戦の頃、この地の寺に立ち寄った家康に、五十海村の藤八という男が柿を献上した。これが大変おいしかったため、家康は大いに喜んで、羽織袴を褒美として与え、この柿を藤八柿と呼ぶようにと命じたという。藤枝に残る逸話だ。

 紅家のご主人は、関ヶ原の合戦に勝ち抜いて天下を統一し、長寿を全うした家康にちなんでこの菓子に長寿柿の名をつけたのだそう。柔らかく熟した柿の果肉と、ほんのり甘く口どけのよい白餡の組み合わせは絶妙だ。

 この他、かつての藤枝名物だったという瀬戸川団子を復活させた「瀬戸川だんご」も、夏季限定で販売している。瀬戸川と言えば瀬戸の染飯が有名だが、このような菓子もあったのだと初めて知った。実はまだ夏に藤枝を訪れたことがないため、賞味する機会を得ていない。次回は是非、瀬戸川だんごを求めて藤枝一番の老舗、紅家にお邪魔したいと思っている。

(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

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  【追記】(2009年02月12日)
    上記の「弥次喜多まんじゅう」は、取材後、大幅に内容が変わった(パッケージは同じ)。
    現在の「弥次喜多まんじゅう」は、「酒好きの弥次さんごのみ 酒まん」と、「菓子のおいしさを
   知っている喜多さんごのみ みそまん」の2種類で、草まんは今はない。酒まんはほのかに酒
   の香りがする優しい味、みそまんは隠し味の醤油が味噌の風味を引き立てており、コクのある
   味だ。どちらも瑞々しい漉し餡入り。ふんわりとした皮と、しっとり滑らかな餡で、以前のものよ
   りも、より上品な仕上がりになっている。
    大きさも、以前は比較的大振りな饅頭だったが、現在のものは5cm×3cm、重さ32gほどと小
   ぶりで、一口でもいただける大きさだ。
    何より、以前は丸い饅頭だったが、現在のものは俵型になっている。例の十返舎一九のすり
   こぎをイメージして、少しだけ細長く形作ったのだそう。

new-yajikita-manju.jpg新しくなった「弥次喜多まんじゅう」。

店舗情報

紅家
  菓子: 弥次喜多まんじゅう(8個入630円)、長寿柿(1個230円~)他
  住所: 静岡県藤枝市藤枝4-1-9
  電話: 054-641-9071
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 水曜日
  URL: http://www.beniya.p-kan.jp/