箱根峠を下って最初に三島を訪れたのは、2004年の初夏だった。延々と坂道を下ってきて、三島大社にお参りして、夕日もほとんど沈みきってしまった頃に、その日の旅を終えた。棒のようになった足を引きずるようにして駅に向かったが、夜の帳が下りた三島の街の中で、なにやら水が流れる音がした。
興味を引かれて水の音の方に近づいてみると、街の真ん中だというのに、滝があるではないか。ゴツゴツとした黒い岩の間から流れ落ちていたのは、小さいけれど、確かに滝だ。疲れて熱さえ帯びていた足をつけたら、さぞ気持ちいいだろうな…そう思い、登山靴と靴下を脱いで、滝つぼと呼ぶにはあまりにも小さな水溜りに足を突っ込んでみた。
思った通り、ひんやりと冷たくて、気持ちよかった。しばらくそこで足をちゃぷちゃぷさせていたのだが、暗闇の中、そんなことをしている自分はよほど怪しいだろうなと気付き、そそくさとタオルで足を拭いて駅に向かったのだった。
次に三島を訪れたのは、同じ年の秋。今度は、あの足を休めた滝のことや三島のことを調べてあったので、日が暮れる前に、迷わず市内の公園に足を向けた。そこで見たのは、ぼこぼこと音を立てて地中から湧いて出る水。実はこの水は、はるばる富士山から下ってきた雪解け水なのだ。
三島には、街の至るところに、清水が湧き出している公園がある。ただし、ぼこぼこと水が湧き出ている様子がいつでも見られるかというと、そういうわけでもない。冬の間は土の下で凍結している水が、夏場の気温の上昇で解ける頃だけ見られる光景なのだ。
三島の街の下に横たわる溶岩流は、スポンジ状の地質になっている。夏場に解け出した富士山の清水は、やがてそのスポンジを満たす。スポンジの容量を越えて行き場を失った水は、岩の間のわずかな隙間から溢れ出て、地上に姿を現す。それが、湧き水の正体だ。
雪解け水が富士山から40キロもの距離を下ってくるのに要する時間は、約80日(100年との説もあったが、近年の調査の結果、80日前後と判明)。解けたり、氷結したりを繰り返しながらゆっくりと下ってくる雪解け水は、地中でろ過され、ミネラル豊富で清らかな湧き水になって三島に辿り着く。
夏に溶けて地上に湧き出る伏流水も、秋が過ぎて再び冬がやって来る頃には、地面の下で固まってしまう。だから、冬の間に三島の公園を訪れても、そこには凸凹で黒々とした溶岩流がむき出しになって広がっているだけ。満水時の洋々と水を湛えた様子とは一変して、そこはまるで地獄の竈の跡みたいだ。
三度目の三島訪問は、2005年の夏。今度は、駅に程近い楽寿園という庭園を訪れてみた。夏の終わりに来たのだから、楽寿園の池は水が満ちているだろう、そんな期待を胸に園内に入ったが、残念。本来、清水が湧き出しているはずの場所は干からびていて、黒い溶岩流が無骨な姿をさらしているだけだった。
園内には一部、水を湛えた池もあったが、それは人工的に水を汲み入れているだけのようだ。水がないのはどうしたことかと、係りの方に訊ねてみた。すると、「今年は昨年と違って、雨量が少なかったんですよ。だから、スポンジがいっぱいにならなかったんですね。昨年は台風が何度もあったから、湧き水も沢山出ていたんですけどね」という返事が返ってきた。
しかし、後日調べてみたところ、どうもこの現象は、雨量の問題だけに限ったことではないようだ。昭和30年代以前は、楽寿園をはじめとする三島の公園はどこも夏になると水で満ち満ちていた。ところが、人口や工場(主に製紙業)の増加などが原因で、地質・地形が変化し始め、結果として湧き水の出方も変わり、今では満水になる年の方が珍しくなってしまったらしいのだ。2004年ほどの雨量ならともかく、平均的な雨量では、もう水は出てこないのだ。市では50年来この問題に取り組んでいるが、未だ抜本的な解決には至っていないという。
市内の公園の湧き水事情が問題を抱える一方で、夏から秋にかけて湧き水が出るという「三島の公園の法則」に従わない場所もある。それは、全長1200メートルほどの柿田川だ。
三島市の隣町、東郡清水町を流れる狩野川の支流・柿田川では、1年を通して湧き水がぼこぼこと溢れ出る光景を目にすることができる。富士山や箱根の山々に降った雨や雪が地下水となり、三島溶岩流の最南端から突然湧き出して川を成しているためだ。川であるため、湧き水が凍結しないことは分かるが、なぜかこの1200メートルの間に、湧き水が噴出す「湧き間」が集中しているのだ。
柿田川の湧き間からは、1日約70万~100万トンもの清水が湧き出している。これは、380万人の静岡県の人達の1日の生活を潤してもまだ余りあるほどの量だという。水温が年中、15℃に保たれているというその流域は、市街地から車でわずか10分のところにありながら、カワセミやアオハダトンボ、ミシマバイカモといった動植物が生息・自生する自然の宝庫だ。
四たび三島を訪れたのは、2005年の秋の終わりだった。鮎の最後の群れが見られる頃だ。鮎の群れは、子孫を残すための「お見合い」の真っ最中らしく、透明度の高い川の中で、ぐるぐる、ぐるぐると踊り続けていた。その日は、15年もの間、毎日欠かさず柿田川を観察に来ているというボランティアの下川原里見さんからお話を伺うことができた。
下川原さんによると、上流にある工業地帯での揚水量の増加分だけ、柿田川の湧出量が減っているばかりでなく、観光客や釣り人が捨てていくゴミが増え、水質汚染が進んでいるという。柿田川が保護されているのは、公園として管理されているごく一部のみ。岸辺の森や湿地のほとんどが民有地であるため、柿田川を完全に守りきるのは、現状として困難なのだそう。
この現状を打破すべく、下川原さんをはじめとするボランティアの人達が、清掃活動や水質調査と平行して、流域の土地の買い上げに向けて募金活動をしている。「ここに住む動植物の棲みかを守るためにも、私達の子孫のためにも、この川を守っていかなくちゃいけない。柿田川を、手付かずの自然のままの状態で、見守っていきたいんです」と、下川原さん。
伏流水の湧出量が減っているのは柿田川に限ったことではない。市内に点在する公園の池も、50年前とは事情が違ってしまっている。富士山からの贈り物の恩恵にあずかってきた三島やその周辺の町は今、土地の買い上げや清掃活動だけでは解決できない問題を抱えているのだ。
更には、地球温暖化に伴い、富士山の積雪が減ったら、雨量が減ったら、この川は、この街はどうなってしまうんだろう。大切な贈り物を使いきってしまう前に、1日も早く解決への道が開けたらいいのに、そんな風に思った秋の終わりの日だった。
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三島駅にほど近いところにある楽寿園は、自然池泉に富士山の雪解け水が湧き出す小浜池を中心とした回遊式庭園。渇水時にむき出しになる溶岩(三島溶岩流)は、約1万4000年前の富士山の噴火の際に流れ出たもの。三島の街は、この溶岩流の上に広がっている。
三島溶岩流の最南端から湧き出している柿田川。最上流部から狩野川に合流するまでの約1200m足らずの短い川だが、その間にある大小数10カ所の「湧き間」から、絶え間なく富士山の伏流水が湧き出している。水温は常に15℃で、水位も年間通してほとんど変わらない。
柿田川で最も規模の大きな伏流水の噴出口「湧き間」。かつては製紙向上の井戸として利用されていた。井戸の底を見ると、砂を吹き上げて地下水が湧き出しているのが分かる。深くて透明度が高いため、井戸の中はいつもマリンブルー。
こちらは比較的規模の小さな湧き間。川底に突き刺したパイプから水が噴き出している。
柿田川には、カワセミ、コサギ、アオハダトンボ、アマゴ、ウグイといった生き物や、この川だけに見られるキンポウゲ科の水草・ミシマバイカモなどの植物が生息・自生。もっとも、私が会えたのは、写真のオオサギだけだった。
柿田川では毎秋、鮎が群れを成して集い、「お見合い」が行われる。無数の鮎が、澄んだ川の中で、ぐるぐる、ぐるぐると渦を巻きながら、命の踊りを踊り続ける。
この川の鮎は体調25センチ以上はあるが、もちろん保護されているので、決して、釣って焼いて食べたりしてはいけない。
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