小田原市内を通る旧道、つまり国道一号線沿いに、城かと見まごうような堂々とした店舗を構える店がある。小田原名物の「ういろう」を売る、その名も「ういろう」という薬屋兼菓子屋だ。菓子のういろうは説明するまでもなく、よく知られたういろうだが、ここでは薬の「ういろう」(正式名は「透頂香」)も調剤・販売しているのだ。
店内は菓子を売るコーナーと、薬局コーナーに分かれており、薬局には薬剤師も常勤している。もっとも、ここで調剤するのは「透頂香」などういろうに伝わる漢方薬のみで、一般的な病院の処方箋などは受け付けていない(小田原駅地下街にあるういろうの支店「おだちか調剤薬局」では各処方箋も受け付けている)。
そもそも、ういろうとは何なのか。そこが問題である。ういろうを経営する外郎家(または宇野家)の始祖は、陳延祐という中国の人物である。陳家は支那台州(現中国浙江省)で当時既に千四百余年も続いていた公家の家柄だ。延祐は元の順宗皇帝の頃、大医院並びに礼部員外郎(れいぶいんがいろう)という役職にあったが、元が明に滅ぼされると二朝に仕えることを恥じて日本に渡った。正平23年(1368)のことである。
延祐は筑前博多に入り、官職名の一部をとって、更に官職名と間違えられないよう読み方も変えて、陳外郎(ちんういろう)と名乗るようになった。医術卜筮(いじゅつぼくぜい)に詳しかったことから、将軍足利義満に再三に渡って京に招かれたが、遂に京に上ることを果たさず剃髪して帰依した。
その後、息子の大年宗奇が義満の招きに応じ、外郎家は後小松天皇の時代に京都に移った。朝廷の典医並びに外国信使の接待及禁裏や幕府の諸制度顧問となった宗奇は、幕府の傍らに邸宅を与えられ、手厚く保護された。後に宗奇は朝廷の命で明に一時的に戻るが、その際に霊宝丹という薬の処方を持ち帰った。
その効能は広く知られ、当時、貴紳はこぞってこの珍薬を求め、冠の下に入れて持ち歩いていた。冠の隙間から取り出しては服用することが流行ったが、夏の暑い折に冠の中に薬を入れておくと、頭の熱で薬の表面が溶けて香りを発したため、時の天皇より「透頂香」(とうちんこう)の名を賜った。頂(頭)から透して香る、という意味だ。と同時に、外郎家で作られる薬の意で、透頂香は「ういろう」とも呼ばれるようになった。
宗奇の孫(外郎家四代目)の祖田は徳が高く非凡であったため、時の将軍足利義政に重用され、祖田のふたりの子のうち、長兄の定治(五代目)を足利氏の祖籍である宇野源氏の世継とし、十六菊と五七桐の家紋を与えた。そのため、定治以来、外郎家は宇野姓も持つようになり、今も外郎/宇野家では菊桐の紋を使用している。その定治は永正元年(1504)に北条早雲に招かれて小田原に下り、「陳外郎宇野藤右衛門定治」と名乗り、菊桐紋を門戸に冠した豪勢な八棟造りの家屋を建てて住まわった。
屋根を幾重にも巡らせた八棟造りの建物は、幾度となく倒壊や焼失の憂き目に遭ってきたが、外郎家の子孫は定治の遺言を守り、その都度は建て直し続けてきた。関東大震災(大正12年)以降、しばらく仮店舗の時代が続いたが、平成9年になって現代の八棟造りの建物が再建された。その際に発掘された古い皿などは、外郎家に受け継がれてきた貴重な資料や道具類と共に店の奥にある明治18年(1885)築の蔵の中で展示されている(平成17年夏より一般公開)。
話を500年前に戻そう。小田原での外郎/宇野家は北条氏から特別の知遇を受け、莫大な家禄も与えられていた。八代目光治の頃、豊臣秀吉による小田原攻めが始まり、光治も小田原の陣中軍に加わって籠城した。
小田原落城後、秀吉は北条氏の一族家臣を全て小田原から追放したが、外郎家に限って「誠に由緒深き家柄であるから、城下に留まり存続するように」と命じた。以来、外郎家は野に下って医薬に専心するようになったという。身分は商人となったものの、その後も外郎家は歴代の小田原城主に手厚く保護されたという。
江戸時代の浮世絵などに見られる「ういらう」とは、外郎家が小田原で一般に販売していた薬の透頂香のことである。また、一部の浮世絵に見えるように、外郎家の大店の内には狩野元信の筆による虎の絵が飾ってあったことから、ういろうは「虎屋」とも呼ばれることもあったという。
東海道を往来する諸大名はもとより、庶民もこの薬を求めて道中の常備薬や土産としたことから、ういろうは諸国に知れ渡っていたが、歌舞伎の二代目市川団十郎が登場する有名な逸話が、更にういろうの名を広めた。
二代目団十郎が持病の痰と咳に苦しみ、舞台に立っても口上が言えず役者の道を諦めかけていた時のこと。万病に効く「ういろう」なる薬があることを聞きつけ服用したところ、難病はたちどころに治ってしまった。お礼の意味も込めて団十郎は舞台でういろうの効能を述べる芝居を演じたが(初演は享保3年)、これが歌舞伎十八番として知られる「外郎売」の口上である。
薬のういろう「透頂香」は「仁丹」のような銀色の極小粒の丸薬で、前述の通り今でも市販されており、多くの人が愛用している。しかし、あくまで薬であるため、むやみやたらに服用していいものではなく、薬剤師に相談しなければならない。とはいえ、箱の効能書きを見ると、ありとあらゆる症状に効能がある(つまりなんでもかんでも効く)と記されており、服用数は症状によって2~10粒、症状が緩和されなければ倍量(!)を服用、とある。一番小さい箱で1000円、141粒入っている。140ではなく、141粒、である。
箱の表には「外郎藤右衛門」と書かれてあるが、外郎家では先祖代々この名を襲名しており、現在は二十四代目を数え、未来の二十五代目も既に経営に携わっている。公には外郎姓を、私生活では宇野姓を名乗っているという。
さて、ここまではあくまで薬としてのういろうの話である。しかし、今のご時勢、ういろうと言えば菓子を念頭に浮かべる人の方が遥かに多いはず。菓子のういろうは、外郎家二代目の大年宗奇が朝廷で外国信徒の接待役を勤めていた折に、接待用に自ら作った菓子が始まり。この菓子が評判になり、薬同様、これもまた「ういろう」と呼ばれるようになった。菓子のういろうは、江戸の頃には外郎家で客の接待などに供されてきたが、明治に入ってから一般にも販売するようになった。
ういろうを名物とする地方は日本各地にあり、特に山口県と名古屋のういろうは、この小田原ういろうと本家争いを行なっているが、本家本元はやはり外郎家の小田原ういろうというという見方が有力のようだ。
今でこそ菓子のういろうは白、茶、小豆、黒の4種類があるが、白い砂糖がまだなかった(あるいは非常に貴重だった)時代には、おそらく黒いういろうだけだったのではないかと言われている。黒砂糖、米粉、小豆、澱粉を原料とするういろう(黒)は、しこしことした独特の歯ごたえがある。コクがあるようで、後味は意外なほどさっぱりしている。
店内の菓子販売コーナーではこのういろうの他にも、季節の生菓子などが販売されている。その中でも特にお薦めなのが、外郎家が後小松天皇から賜った菊桐紋を施した餡入りの「菊桐ういろう」だ。棹状の普通のういろうとは味も食感もまるで違うが、柔らかくて上品な味わいの逸品である。
隣接する茶房では、抹茶と季節の和菓子のセットなどの他にも、薬局らしく「薬膳粥」を頂くこともできる。
店舗情報
ういろう
菓子: ういろう(白・茶・小豆・黒/各棹600円)、菊桐ういろう(1箱1500円)他
喫茶室: 和菓子と抹茶セット(600円)、薬膳粥(500円)他
住所: 神奈川県小田原市本町1-13-17
電話: 0465-24-0560
営業時間: 4月~10月 10:00~17:30(日曜日~17:00)
11月~3月 10:00~17:00
定休日: 水曜日、第3木曜日、大晦日、元旦
URL: http://www.uirou.co.jp/
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