和菓子街道 東海道 小田原2

小田原宿の続き・・・

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その他のおいしい立ち寄り情報

美濃屋吉兵衛商店
  土産: 金印塩辛・糀入/生漬(各170g、840円~)他
  住所: 神奈川県小田原市栄町2-7-38
  電話: 0465-23-6633 (フリーダイヤル:0120-181308)
  営業時間: 9:30~19:00
  定休日: 年始のみ休業
  URL: http://www.minoya450.co.jp/

 提灯に蒲鉾など、数ある小田原名物のひとつに数えられるのが糀入りのイカの塩辛。その元祖とされるのが、創業450年の美濃屋吉兵衛商店だ。イカの塩辛の誕生は、今から遡ること280年ほど前の逸話が今も伝えられている。

 亨保(1716~35)の頃、梅干しなどを売る漬物屋だった美濃屋の五代目の主人は、無類の酒好きで知られた吉兵衛という人だった。その頃、既に五代目だったというから相当の老舗だが、店名は北条時代に初代が美濃の国から小田原にやって来たことに由来するという。北条氏の城下町形成で集められた職人のひとりだったのだろう。

 漁師ももてあますほど小田原沖でイカが大漁となったある年のこと。ほろ酔い加減の吉兵衛が調子づいて大量のイカを全部買い取ってしまった。家に持ち帰ったはいいものの、酔いが醒めてみると、とても食べきれる量ではないイカの処分に困り果てた吉兵衛。漬物屋だけに、とりあえず保存しようとイカを刻んで塩をふり、甕に入れて放置しておいた。その後、1週間ほどしてから蓋を開けて食べてみたが、塩辛くてとても食べれた代物ではなかった。

 吉兵衛、半ばやけっぱちになって「塩辛いのなら糀で甘くしてやれ」と、イカの塩漬けの中に糀を投げ入れて再び蓋をした。しばらくして甕を開けてみると、意外というか思惑通りというか、糀が発酵して塩辛さは飛び、旨みのあるまろやかな味になっていた。旨いものができたと、早速、店頭に並べてみたところ、飛ぶように売れ、以来、「塩辛」と名付けられて美濃屋の看板商品になったとさ。

 古くから漁業が盛んだった小田原は、今でこそ造り酒屋は1軒のみになってしまったものの、かつては酒蔵も多く、糀も手に入りやすかったのだろう。もちろん、海際なだけに塩も豊富にあった。偶然とはいえ、イカの塩辛はいわば必然的に生まれたと考えてもよいのではないだろうか。

 考案以来、たちまち人気を呼んだ美濃屋の糀入りイカの塩辛は、保存食ということもあり、すぐに小田原土産の定番になった。沼津の大平村の名主だった安藤家に伝わる江戸後期(安永7年以降)の古文書には、安藤家が江戸出府の折に、沼津を知行地として江戸に住んでいた旗本から、小田原の名物である「いかの塩辛」「鰹のたたき」「しそ巻小梅」「粕漬小梅」などを美濃屋吉兵衛で購入してきて欲しいと頼まれたことが記されている。塩辛はきっと、酒好きの弥次さん喜多さんにとっても絶好のつまみになったのではなかろうか。

 江戸時代には筋違橋町に店を構えていた美濃屋だが、今は南足柄に工場を置き、小田原駅に近い錦通り店をはじめ複数の販売店がある。また、スーパー銭湯やアミューズメント・チェーンを展開するなど、多角経営をしている。飲兵衛の先祖を持ったことが幸いした、特異な例と言えるようだ。

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古清水  ※2008年夏をもって廃業しました。
  宿泊: 1泊2食(9000円~)、1泊朝食付き(5500円~)、素泊まり(4500円~)
  住所: 神奈川県小田原市本町3-5-27
  電話: 0465-24-0336

 小田原宿に4軒あった本陣のうち、江戸寄りの清水本陣(箱根寄りにもう1軒別の清水本陣があった)の跡地は、今では小さな児童公園として整備されている。本陣の敷地は広大であったが、丁度、この公園がある辺りが上段の間だったという。

 清水本陣跡  清水本陣と一口に言っても、実は大清水、小清水というふたつの施設からなっており、大清水が本陣の役割を、小清水が脇本陣兼旅籠の役割を果たしていたようだ。本陣家業は決して楽なものではなく、大名が宿泊する際には、かえって出費が多くなってしまったほどだった。

 本陣と言えども利益をあげていかなければ、家を守ることもままならなくなってしまう。そのため、「商売ができる」旅籠も経営しており、時にはそこが脇本陣の役目を果たしたというわけだ。

 「大清水は清水家の兄・金左衛門、小清水は弟・伊兵衛が当主として経営に当たり、両者を合わせて清水本陣と呼んでいたようです」

 小清水十八代目に当たる現当主(十七代目も健在)はこう語る。宿駅制度が衰退した頃、小清水は古清水と名を改め(「単に古い宿だから、古いという字を当てたようです」)、現在は旅館として経営を続けている。

 清水家の歴史は古く、江戸期以前は伊豆下田沖で水軍として活躍し、居城も与えられていた武士の家柄だ。今でも伊豆には、清水家にまつわる石碑が残っているという。五代続いた北条時代に小田原に召されるも、北条氏が秀吉に敗れると、当時の清水家当主は腹を切ってしまう。残ったその弟はなんとか小田原に留まることを許され、土地と家を与えられて、江戸時代に入ると本陣職を担うようになったのだという。

 江戸時代には大清水(本陣)に熊本藩主らが宿泊したが、小清水も評判がよかったとみえ、『東海道中膝栗毛』の中には弥次さんが、小田原では「小清水か白子屋に泊まるつもりだ」と見栄を張って言う場面もある(結局、弥次喜多のふたりは留め女に引っ張られて別の宿に泊まるのだが)。

 館内には今も、本陣・脇本陣時代の遺物が多く残されており、宿泊客でなくても頼めば気軽に展示品を見せて頂くことができる。幕末に小田原藩主に仕えた家老の子息の筆による「本陣・脇本陣合同 古清水」の看板や、実際に本陣上段の間で使われていた欄間や襖絵など、貴重な物も少なくない(もっと貴重な物は箱根関所資料館などに貸し出してあるそう)。

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koshimizu-ranma.JPG清水本陣上段の間の欄間

小田原蒲鉾紀行

 小田原は、蒲鉾の町だ。小田原市内には25軒あまりの蒲鉾店があり、組合に加盟している店だけでも15軒ほど。その蒲鉾店の多くが集中しているのが、旧東海道より一歩海側に入った細い通り、通称「蒲鉾通り」だ。かつては「千度小路」または「船頭小路」と呼ばれた通りだが、今ではその名の通り、蒲鉾屋が軒を連ねている。今は風祭に巨大な工場や飲食店、博物館まで設けている鈴廣もかつてはこの辺りに店を構えており、今でも旧店舗が残っている。

 そもそも、蒲鉾の歴史は古く、起源は三世紀頃まで遡ると言われている。神功皇后が、朝鮮出兵の際に魚のすり身を鉾(ほこ)の先につけて焼いて食べたのが始まりと言われ、平安時代に記された『類聚雑要抄』という文献の中にも、貴族の祝賀料理の献立図に蒲鉾が登場している。周囲を海に囲まれた日本では、古くから各地に蒲鉾や竹輪といった魚肉を使った加工食品があり、小田原も江戸時代には既に蒲鉾の産地として知られていた。

 小田原で蒲鉾が作られるようになった時期は諸説あるが、大久保忠信が小田原城主だった天明年間(1781~1788)だという説が有力とされている。小田原から箱根には、鮮魚よりも保存のきく蒲鉾が多く運ばれていたようだ。残念ながら、小田原蒲鉾に関する文献などの資料のほとんどが、関東大震災で損失し、例えばどの店が一番の老舗かといったことを判断するような確固たる証拠はどこにも残っていない。

 基本的な原料は白グチ(イシモチ)と酒、水、卵で、魚肉の割合が多くてしっかりとした歯ごたえがあるのが小田原蒲鉾の特徴。魚の味も濃い(実際、他の産地の蒲鉾よりもアミノ酸の量が多いという)。魚肉の練り具合や調味料の加減によって、「小田原蒲鉾」と一口に言っても、店によって味は様々だ。今でもひとつひとつ手作りしている店もあれば、工場で大量生産している店もある。老舗もあれば、比較的新しい店もあり、地元の人でも好みは分かれるところだという。

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うろこき 田代吉右衛門本店
  土産: 特撰かまぼこ「吉右衛門」(1575円)
       五色しんじょ(白・紅・のり・よもぎ・桜えび/1050円)他
  住所: 神奈川県小田原市本町3-7-17
  電話: 0465-22-1315 (フリーダイヤル0120-659-220)
  営業時間: 9:00~17:00
  定休日: 木曜日

 数ある小田原蒲鉾の店の中でも最も古いだろうと言われているのが、田代吉右衛門本店、通称「うろこき」である。うろこきとは変わった名前だが、漢字にするともう少し分かり易くなる。「鱗吉」。鱗とは、三角形を鱗に見立てた北条氏の家紋(三つ鱗または北条鱗)のことで、魚が原料の蒲鉾屋だから鱗というわけではない。うろこきの先祖が北条氏から家紋の一部の三角形を賜ったことから、田代家では代々、鱗紋を許されていた。その後、蒲鉾屋を立ち上げた際、初代の吉右衛門が自分の名前の吉の字を中に入れたことから、うろこきの屋号を名乗るようになったのだという。

 元々、現在も店のある本町付近で一番大きな魚問屋を営んでいたという田代家は、天明元年(1781)に蒲鉾屋に転身。当時の小田原は宿場町として活気に溢れており、腕のいい職人や料理人が多く集まっていたという。蒲鉾作りの技術も、そういった職人達によって小田原に持ち込まれたと思われるが、そこにいち早く目をつけたのが、吉右衛門だったのだろう。

 当時の蒲鉾は、魚のすり身を練って丸めて蒸すだけだったが、すり身を板に乗せること始めたのが吉右衛門だったという。いわゆる「小田原式板付蒸し蒲鉾」だ。もっとも、板蒲鉾そのものを日本で初めて考案したのが吉右衛門だったのか、それとも他の地に既にあった技術を吉右衛門が流れの職人から教わったのかどうかは、今となっては分からないことである。

 いずれにしても、板に蒲鉾を乗せるというのは、画期的なアイディアだった。すり身の形は整えやすくなったし、蒸し器の中で安定する。何より、板が適度に湿度調整をしてくれるので、蒸しあがった蒲鉾は丁度良い保湿加減になる。

 当初、蒲鉾には小田原近海で獲れるムツやアジ、イサキなどが使われていたが、時代が進むにつれて長崎沖や東シナ海で水揚げされるより高級な白グチをわざわざ小田原まで運んで使うようになったという。当時としては最も早い輸送手段の船で運んでいたとはいえ、小田原に辿り着く頃には魚の鮮度も当然ながら落ちてしまう。

 「昔は、この蒲鉾通り一帯はアンモニア臭かったのだそうです」そう語るのは、うろこきの若き現当主。過去帳などが焼失してしまったため、吉右衛門から数えて何代目に当たるのかは分からないが、六~九代目くらいにはなっているはずだという。

 「小田原の海は、箱根や富士山からの水が溶け込んで、海水の塩分濃度が丁度良い加減になるのだそうです。だから、鮮度の落ちた魚を小田原の海水で洗うと、臭みがとれておいしい蒲鉾ができるのです」(うろこきご主人)

 小田原で蒲鉾作りが発展したのは、漁業が盛んであったという以上に、海水バランスが良かったことや大きな城下町兼宿場町で腕の良い職人が集まっていたことに理由がありそうだ。ちなみに、輸送手段が発達した今は、わざわざ鮮度の悪い魚で蒲鉾を作るということはなくなった。この点に関しては「昔ながら」というわけではないので、あしからず。

 とはいえ、その他の部分ではうろこきは昔ながらの製法にこだわりを持ち続けている。「工場で大量生産している所はミキサーで攪拌(かくはん)してすり身を作っているようですが、うちでは大きな石臼挽きです」と、うろこきのご主人。部分的に機械は導入しているものの、今でも店の奥ではほとんど手作業で蒲鉾が作られている。

 「大量生産は、それができる他社さんにお任せすればいいと思っています。うちには老舗としての役目があると自負しています。伝統を残すためにも昔ながらの製法にこだわっていきたいですね」

 ところで、うろこき製にかかわらず、蒲鉾は一般的に二層になっているのをご存知だろうか。本体部分は白グチを使用し、味に重きをおいているのに対して、上塗りのいわゆる化粧部分はあくまで表面的な外観が大事。上層部の原料は船で運んでくるグチではなく、地元小田原産のオキギスを使用している。

 キスと言えば今でこそ天ぷらなどで人気のネタだが、かつては小田原沖で大量に獲れ、雑魚扱いされていた。身が白くて柔らかいため、蒲鉾の上塗り用に向いていたのだろう。何度も漉して「汚れ」を取り除き、きめ細かく練って本体に上塗りする。「汚れ」と一緒に旨みも一緒に落としてしまうため、蒲鉾の味をみるなら、内側の本体部分を味わって欲しい。

 そして、蒲鉾と並んでうろこきの看板商品となっているのが「うろこきしんじょ」だ。板に乗せない蒲鉾のようなものだが、身が引き締まってプリプリとしていて、濃厚な魚の味が活きている。断面がお魚の形になるように作られていて可愛らしく、お土産にも喜ばれている。

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籠清
  土産: 鳳凰 (白・紅 各1本3570)
       切り出し蒲鉾「籠清の黒」(1本420円)、「さくら」(1本450円)他
  住所: 神奈川県小田原市本町3-5-13
  電話: 0465-22-0251
  営業時間: 8:30~18:30
  定休日: 大晦日、正月三が日
  URL: http://www.kagosei.co.jp/

 蒲鉾通りに立派な二階家を構えるのは、籠清だ。三井物産の創設者、益田孝翁の筆による「加古清」と書かれた古い木製の看板を見上げながら、重い引き戸を引いて店内に入る。

 籠清の創業は文化11年(1814)。今は五代目が代表を務めている。重厚感のある店の造りは、関東大震災後の大正13年(1924))に建てられたもので、高い天井の一部が西洋風に造られている。

 そういえば、小田原の街を歩いていると、あちこちに和洋折衷の建造物を見かける。小田原は、関東大震災で全てを失った。今建っている建造物の多くは、小田原の再生の証なのである。

 籠清の蒲鉾はぷりぷりっとしていて舌触りが良く、味もさっぱりしている。蒲鉾の他にも、さつま揚げやはんぺんなど、様々な魚肉を使った加工食品が作られているが、まずはグチ100%使用の最高級蒲鉾「鳳凰」から試して、基本の味を確認してみて。



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丸う 田代總本店
  土産: 超特選蒲鉾「冨士」(1本2100円)、いさき蒲鉾(1本840、冬~春限定)他
  住所: 神奈川県小田原市浜町3-6-13
  電話: 0465-22-9222
  営業時間: 8:00~20:00 (喫茶9:30~17:00(16:30 LO)
  定休日: 特定日以外はなし
  URL: http://www.maruu.com/

 蒲鉾通りではなく、旧東海道沿いにある丸うは、創業130年という老舗の一軒だ。正式名を「丸う田代總本店」といい、屋号は初代卯之吉(うのきち)の名にちなんでいる。

 卯之吉は蒲鉾通りにある別の老舗うろこきの田代家の出身であるとも言われているが、確かなことは分かっていない。丸うは卯之吉から数えて現社長で五代目になる。

 老舗然とした店舗の一部は、創業当時のままになっており、店の奥にはかつて蒲鉾作りに大活躍した古井戸も残っている。もっとも、現在はここでは蒲鉾などの商品は製造しておらず、焼津の工場でほぼ完全機械化製造している。

 最近では観光バスも乗り入れるほど有名になった。店舗の一角には甘味処もあり、ぜんざいなどを頂くことができる(蒲鉾が入っているわけではない)。また、店内の「かまぼこ伝統館」には、蒲鉾作り絵巻きや細工蒲鉾などが展示されている。



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その他の小田原の老舗

済生堂薬局小西本店」・・・寛永10年(1633)創業の薬屋。初代は関ヶ原の戦いで西軍として戦い、京で斬首された小西行長の弟・次郎左衛門。 
                   (本町4-2-48、電話0465-22-2014)

江島」・・・寛文元年(1661)創業の茶舗。(栄町2-13-7、電話0465-22-2020)

籠常」・・・明治26年(1893)創業の鰹節・削り節屋。(本町3-2-12、電話0465-23-1807)

相田酒造店」・・・明治22年(1889)創業の造り酒屋。(中町1-7-10、電話0465-22-5405)

かのや今井本店」・・・武田の武士を先祖に持つ酒屋。(浜町1-3-22-101、電話0465-24-2002)

山崎ちょうちん店」・・・明治時代創業の小田原提灯専門店。(飯田岡610、電話0465-34-6471)