近鉄名古屋線の踏み切りを渡ってすぐのところに、鎌倉時代に建てられたという「北の端の地蔵」がある。お地蔵さんの胴体に6體の菩薩が彫られているというが、お地蔵さんは大きな赤いおべべを着せられていて、菩薩の姿を見ることはできない。
この地蔵堂の向かいにある「役行者神変大菩薩」にもお参りして、いよいよ白子方面に足を向ける。この辺りの家々は、町の防御目的のために道に対して斜めに建てられているため、家々の正面がギザギザな鋸歯のように道路に食い込んでいるように見える。
家並みから少し外れて、江島神社に寄り道を。江戸時代、白子では伊勢街道一帯の有数な問屋や廻船業者、型売商人が多く活躍していた。中でも、江戸百万人の衣類を手がけた三井(松坂)をはじめとする伊勢商人の多くは、完成品を白子の港に集めて船で江戸に送り出していたため、江戸の荷受問屋は白子の江島神社に常夜灯や絵馬などを多く献上した。
神社には今も、当時の絵馬が多数残されており、古くは天正年間(1573~92)のものまである。この小さな神社には、白子に集った伊勢商人たちの歴史が詰まっているともいえる。
江島神社を出て、少し寄り道をして、近くの公園内にある家康が伊賀越えの際に隠れた小川孫三の納屋跡を確認。更に、神社前にある沖の廻船の目印とされた文政3年(1820)の常夜灯をはじめとする3基の常夜灯を見てから、街道に戻る。
街道と江島神社参詣道との角には、江島神社の社標(大正15年)。警察署(後に税務署)跡、旧河芸郡役所跡、高札場跡などを見ながら、静かな町並みの続く街道をゆく。
今でもかつての反映の名残なのか、今でも旅館の多い白子の町には、二階の戸袋に鏝絵(こてえ)のある旧旅籠や老舗和菓子屋なども三権される。宿場情緒が多分に残された町だ。散策の途中、「伊勢型紙資料館」に立ち寄るのもいいだろう。
伊勢型紙とは、着物の生地に柄や文様を染めるために使用される型紙の一種で、古くから白子の名物になっている。柿渋で3、4枚重ねて張り合わせて厚くした和紙に細やかな模様を彫り込りんでいく、高度な技術を要する染色工芸だ。精緻で優美な模様が愛され、裃や小紋の着物などに広く用いられた。
資料館は、紀州藩の保護の下、伊勢型紙の問屋として財を成した商家・寺尾家の屋敷を修復したもので、市の文化財に指定されている。館内には型紙の行商に用いた書類などの古文書や見本帳などが展示されており、また、型紙彫りの実演も行われている。
資料館を出て、古い家々が建ち並ぶ町を散策し、小さな川を渡って白子宿をあとにする。川を渡ってすぐ、右手には久留真神社。『伊勢参宮名所図会』には、「式内、祭神呉服部織姫(くれはとりおりひめ)といへども、説詳らかならず。今は勝手大明神と伝」と紹介しているが、現代人にとっては「くるま=車」の神様にも見えてしまう。
この辺りまでくると、民家の玄関に、「笑門」の札のついた正月飾りのある家が多く散見される。伊勢地方の風習で、毎年年末に新調される正月飾りは、1年間を通して玄関に飾ったままにしておくらしい。
堀切川の支流を渡り、寺家の集落に入ると、右、左、右、左と、道をジグザグに折れながら進む。最初の角を曲がって突き当たったところには「子安観音」。別名「白子観音」と呼ばれる観音寺で、平安の頃、海から鼓の音がするので漁師が網を投げ入れたところ、鼓に乗った白衣の観音が現れたため、これを安置したことが創建の由来という。
子安観音ということで婦人の妊娠祈願寺となっているが、むしろこの寺を有名にしているのは「不断桜」だ。冬でも葉をつけたままで、花や葉が年中耐えないことから、この名がついた。(しかし、過去3度、冬に白子観音を訪れたことがあるが、その都度、不断桜は左の写真のような状態だった)
平安京のころ、称徳天皇が禁庭にこの桜を召したところ一夜で枯れてしまったため、元の場所に戻したところすぐにまた枝葉が生い茂った、という伝説もある。また、先に述べた伊勢型紙は、元々この桜の葉の虫食いの様子からヒントを得て考案されたとも伝えられている。
白子観音を出て、所々に置かれた道標を頼りに歩みを進める。型紙彫りに使う刃の砥石を均した跡が残る道標もあり、ここにもこの地の文化を見つけることができる。
ジグザグの街道を抜け、堀切川にぶつかったところで右折、川の右側をしばらく進む。国道23号線と一緒に川を渡り、今度は川の左側を行く。次の橋の手前で左折すると、磯山の立場に入る。連子格子の家々の間を真っ直ぐ伸びる静かな旧道だ。一旦23号線と合流、ほどなくして左折して再び旧道に入り、近鉄の線路を越えると東千里の集落だ。
道が旧道らしく自然にカーブしたところには、甕釜冠(かめかまかぶり)地蔵堂。屋根の上には、露盤の代わりに瓦でできた竈(かま)を置いた不思議なお堂だ。
ここでは、伊勢詣でをする参詣者たちの無事を祈って、茶の接待がなされてたという。伊勢街道沿いでのお接待が、まだ生きていた時代の話だ。
ここを起点に、伊勢街道と分岐して海の方に伸びている道が「巡礼道」と呼ばれる別ルートになる。巡礼道は伊勢街道と少し距離をおきつつ平行して走る道で、この先、江戸橋の手前で伊勢街道に合流することになる。
東千里にも見所は多い。聖徳太子草創といわれる信光寺、親鸞の弟子西念房が創設した本福寺などに参拝しながら、町を散策する。千里駅付近で線路を渡り、23号線を通り越して、道が突き当たったところで左折。大蔵橋で田中川を渡ると、次なる宿場町・上野に辿り着く。





・大徳屋長久 「小原木」
紀州の殿様が海運問屋に作らせた菓子 → click!
その他のおいしい立ち寄り情報
白子おはらぎ紀行
江戸時代の白子の食べ物の名物といえば、白子そうめん。古文書などに、白子名産のそうめんを江戸表の大名(紀州徳川家か)にお中元として送ったことなどが記されているらしいが、現在はそれがいかなるものだったのか、皆目分らなくなっている。
しかし、江戸時代には庶民の口には入らなかったであろうものの、現代にまで伝わり、今では白子名物として親しまれている菓子がある。白子を中心に作られている郷土銘菓「おはらぎ」だ。
その由来は別ページの「大徳屋長久」のページで詳しく述べているが、大徳屋の初代が紀州候のお供で上洛した際、小原(大原)の小原女(大原女)にヒントを得て作ったといわれている菓子だ。ぷつぷつと空気穴が開いた皮の様子が、白子観音の境内に咲く不断桜の虫食いの葉にも似ていることから、両方の意味合いがない交ぜになって伝えられるようになった。
ここでは上記の大徳屋長久をはじめ、白子内でおはらぎを作っている4軒のそれぞれのおはらぎについて触れておきたい。4軒の店は、いずれも白子宿内の伊勢街道沿い。互いに数百メートルずつ距離をおいて店を構えている。白子散策の折に、それぞれの店に立ち寄って、おはらぎの食べ比べをするのもまた一興だろう。
(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)


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大徳屋長久 → 特集ページ参照
菓子: 小原木(1個78円)他
住所: 三重県鈴鹿市白子1丁目6-26
電話: 059-386-0048
営業時間: 8:00~18:30
定休日: 水曜日
【コメント】
菓名は「小原木」。他店に比べ、皮は若干大きめ、かつ厚めで、そのためよりむっちり感が
あるように思われる。冷めた状態で頂くと、皮の弾力が増しているようにも感じられる。
焼色や4軒中で最も濃い狐色。
中の餡は皮の大きさの割には少なめか。大納言小豆の存在感は大きく、しばらく口に
含んでいると、艶やかで上質な粒がころころと舌の上で転がる感じ。餡の水分は4軒中、
最も少ない。全体的に甘いとはいえ、他店のものよりあっさりめか。
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久住屋菓舗本店
菓子: 大はら木(1個75円)他
住所: 三重県鈴鹿市江島本町7-13
電話: 059-386-0142
営業時間: 8:00~19:00
定休日: 月曜日
【コメント】
幕末の文久年間(1861~1863)に創業、現当主で四代目という久住屋。こちらも、元は
廻船問屋だった。ここでは「大はら木」と呼んでいる。全て手焼き。女将さん曰く、
「どこが元祖ということはない。昔からこの地方で作られてきている菓子です」とのこと。
餡には小豆を使用。小豆独特のかすかな渋みを残した潰し餡で、米飴で甘味をつけて
ある。コクはあるがくどさはなく、比較的さっぱりとした後味。4軒中で最も水分量が多い
ように思われる。皮は縁の方は香ばしく、餡の沁みた中心部はしっとりとしていて、
変化を楽しむことができる。
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美鈴屋
菓子: 御はら木(1個70円)他
住所: 三重県鈴鹿市江島本町36-9
電話: 059-386-1484
営業時間: 不定(8:30頃~17:00頃)
定休日: 不定休
【コメント】
白子に入ってすぐ、伊勢街道から江島神社に向って海方向に曲がる角にある店。
戦後、三重県内の別の場所で菓子屋をしていた親戚筋で修行し、更に東京でも菓子職人
としての修行を積んだ中村勲さんが、50年ほど前に開業、現在も活躍中。
息子さん達は優秀な成績で学業を修め、それぞれ東京などで国際的な仕事をしている。
女将さんは「恐らく私たち一代限りでしょうねぇ」ともらしつつも、息子さんたちの活躍に
大いに満足されている様子であった。
菓銘は「御はら木」。大納言小豆がほろほろと口の中でほぐれる餡は水飴がきいている
のかコクがあり、こってり、ねっとりとしたお味。皮は4軒中、最も薄く、焼きも控えめ。
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