和菓子街道 佐屋路 神守~佐屋 津島 あかだ・くつわ

akada-main-pic.jpg

弘法大師がもたらした悪病平癒の妙薬

 弘法大師(774~835)が津島を巡錫した際、この地で疫病が流行しており、庶民が苦しむ姿を哀れんだ大師は津島牛頭天王社に薬師如来を奉安し病気平癒を祈願されたと伝えられている。

 津島神社は牛頭天王と呼ばれており、牛頭天王は薬師如来の化身であるから、津島神社は古来、難病治癒ご利益があるということは、津島散策のページでも触れた。ではなぜ、わざわざ弘法大師が登場して最初からそこにいるはずの薬師如来を伝えたのかは、少々疑問ではある。しかし、この辺りの神話やら神通力やら杖のひとふりやらについては、深く考えないでおこう。

 とにかく、言い伝えによると、弘法大師が訪れて以来、津島神社境内にあった神宮寺に薬師如来が祀られるようになったのだという。江戸時代末までは日本は神仏習合であったため、津島神社境内にも4つもの寺があった。現在、そのひとつであった宝寿院に薬師如来は安置されており、「厄け薬師」として親しまれている。

 さて、弘法大師が津島神社に伝えたのは、薬師如来信仰だけではなかった。悪病退散の祈願を込めて神前に供え、参詣した人々にもを分けたという菓子が、津島神社の供饌菓子として伝えられたのだ。それが、直系1.5センチほどの小粒の揚げた米団子「あかだ」である。

 「あかだ」の語源は、梵語の「阿伽陀(アカダ/アキャダ)」にある。仏教と共に日本に伝来した万病に効くもしくは不老不死の丸薬で、薬師如来が左手に持つ薬壷の中身も「阿伽陀」であるといわれており、そこから、この油菓子も「あかだ」と呼ばれるようになったという。

 また、「阿伽陀」の異名が赤団子であるとか、揚げた色が赤っぽかったため赤団子と呼んでいたとかいわれており、それがいつしか「あかだ」と略されるようになったとの説もある。

 昔の薬というと、なんとか胆だとかなんたら丸だとかいった丸薬が思い浮かぶが、「阿伽陀」もそういった、黒々としたいかにも苦そうな薬だったのだろうか。弘法大師が米を使った菓子を置き土産にしてくれたのは、幸いだった(といっては不謹慎か)。

 以後、津島神社の春秋懸祭では、神前の御供米を社家社僧が分け合って、それぞれ油団子に製して、悪疫防御の懸団子(あかだ)として一般諸人にも授与していた。年齢の数だけこれを食せばその年は厄病にかからないとか、夏の流行り病の時に食べると治ると言い伝えられていたため、諸人はこぞってこの供饌菓子を求めたのだという。

 江戸時代になると、地家の民家もこれに真似て油団子を製するようになった。それが、今も門前の「あかだ」の店々に伝わっているものである。元禄7年(1694)に刊行された『津島叢書 張州雜志抄』の中の「津嶋産物」の項目にも「阿伽陀」があり、その由来や製法、病に効用のあることなどが事細かに記されている。

 伝説はともかく、「あかだ」は、お供米を活用できる上、日保ちもするため、神社側にも参拝者側にもかっこうの授与品だったといえるかもしれない。油で揚げる菓子は、奈良時代に遣唐使によって中国から伝えられたとする「唐菓子」を系譜に持つものだ。

 つまり、同様に油をで揚げる京都の「清浄歓喜団」や奈良の春日大社の神饌菓子「ぶと」と並んで、「あかだ」は日本における菓子の原型を伝える貴重な菓子なのだ。

 江戸時代、津島神社を詣でた人々は、門前で津島土産に「あかだ」を買い求めた。油で揚げた「あかだ」は保存が効くため、遠路への土産には適していた。紀州の殿様からも注文があったという記録もあり、旅の非常食とても重宝されたのではないかといわれている。

 江戸から明治にかけての最盛期には、「あかだ」の店が神社周辺に7、8軒あり、そぞれの店の軒先で1枡、2枡といった具合に「あかだ」を枡で計って売っていたという。江戸末期の川柳にも「あかだ桝いれるやいなや山になり」と詠まれている。

 数軒あった「あかだ」屋の中でも、特に人気があったのが「近江屋」だった。江戸時代の文献によると、参道沿いに店があったわけでもないのに、わざわざみな、遠回りして近江屋を訪れたのだとか。「昼夜をわかたず作るといへども、なかなか手がまハらず、売切せし事、度々也」との記述から、その評判の高さを知ることができる。

 もうひとつ、「あかだ」よりずっと後になって津島神社門前の名物に加わった油菓子がある。天保11年(1840)に尾張藩主に献上されたという「くつわ」でだ。

 元々は、神社の神事「茅の輪くぐり」で使う茅の輪の形を真似たものだったが、むしろ馬の轡(くつわ)の形にも似ていたため「くつわ」と呼ばれるようになったという(馬といっても、津島神社の神馬の轡である、との説も)。現在のようにはっきりとしたわっか状になったのは、明治に入ってからのことらしい。

 砂糖を加えて作る「くつわ」は、「あかだ」よりもぐんと「お菓子らしい」といえる。「くつわ」は、近江屋弥三郎が最初に作り始め、すぐに他の「あかだ」屋でも作られるようになった。こちらも津島土産として人気が高く、「あかだ」と共に参詣者が買い求めたという。

 かつては門前をにぎわしていた「あかだ」「くつわ」の店も、後継者問題などから時代と共に減っていき、次々と店を畳んでいった。近江屋も戦後までは頑張って店を開いていたが、数十年前に遂に廃業してしまったという。今では津島神社の東の鳥居前に3軒が残るのみである。

 そして、この3軒並んだ「あかだ」「くつわ」屋の中で最も小さな店構えで、誕生も最も遅かったものの、古来の製法を最も忠実に守りけているのが、「あかだ屋清七」である。

 「あかだ屋清七」の創業年は、天宝11年(1840)ということになっている。実際にはもっと古いのかもしれないが、文献などがないため、定かではない。ただ、遅くとも「くつわ」が登場した頃には店をやっていただろうということで、「くつわ」が生まれた天宝11年を創業年としているのである。清七はその頃の過去帳に見られる当主の名である。

 「あかだ屋清七」では毎朝4時頃、まだ暗いうちから起き出して、5時にはもう「あかだ」もしくは「くつわ」の仕込みを始める。小さな作業場では、工程の違いなどから両方を一緒に作ることはできないため、日によってどちらかを作る。

 「あかだ」は、うるち米の粉に黒胡麻を混ぜて熱湯でこね、綱状に延ばし、指先ほどの大きさにちぎって丸めたものを、菜種油で40~45分ほどかけてじっくりと揚げていく。この作業を1日4回ほど、繰り返す。揚がった「あかだ」は一晩冷まして、カチンコチンに固まったら完成だ。

 「どうぞ」と試食を勧められて、1粒頂いた。手作りらしく、ころんと丸い形はどれも不揃いで、中にはでこぼこっとしたものもある。それにしても、とにかく堅い。いきなり歯を当てると、歯が折れるのではないかと心配になる。こめかみがりりっとするくらい、堅い。

 とりあえず、口に含んで舌の上でしばらく転がした後、恐る恐る、奥歯を当ててみることにした。ごりっという歯応え。砕けてからは、ばりっばりっと更に噛み砕いていく。すると、素朴な米の旨みと揚げ物としての香ばしさが、じんわりと口中に広がっていくのがわかる。米の甘味こそあるが、砂糖などは入っていないため、ほとんど「味がない」というひともいるほど素朴だ。

 幸か不幸か、この「あかだ」に関しては「食べやすいものは本物ではない」のだと「あかだ屋清七」六代目の岡田貞雄さんはいう。それに、全て手作りで量産できないため、「商品」としてははなはだ頼りがいがない。

 「機械化すれば量産もできますが、味や食感が変わってしまいます。うどんにしたって、手打ちと機械製では、コシも風味も格段に違いますよね。このお菓子は、津島の文化財、つまり先祖の遺産として指定された貴重なものです。その作り方を変えてしまっては、文化財を台無しにしてしまうことになります」

 貞雄さんのいう「文化財」というのは、昭和54年に施行された津島市の「先祖の遺産を守り育てる条例」に基づくもの。「有形無形を問わず、歴史的価値を有するもの」を指定する制度で、いわば、ユネスコの世界遺産の津島版だ。

 「あかだ」と「くつわ」は共に、この指定を受けている。確かに、形を変えてしまっては文化財として残す意味がない。鉄筋コンクリートの法隆寺をありがたがるようなのだ。だから、「堅くて歯が折れそう」といわれようと、「味がない」といわれようと、「あかだや清七」ではかたくなに、古の製法を守り続けているのだ。

 店を訪れたのは、丁度「くつわ」を作る日だったので、その工程の一部を見せて頂いた。うるち米の粉ともち米の粉に黒胡麻を混ぜて熱湯でこね、蒸篭で蒸してから砂糖を加えて餅のように搗き、ひとまとめにする。それを作業台に乗せて、手でこねるようにしながら細い紐状に延ばしていく。

 傍らに、茶碗が置いてあるのが気になった。訊ねてみると、中身はお茶ではなく、油だそう。生地が手につかないようにするため、時折、この油で手を湿らせて、生地を伸ばしているのだという。伸ばした生地は適当な長さでちぎって、くるくるっと2重の輪を作る。直系4センチほどのわっかだ。これをしばらく風通しして軽く乾燥させた後、菜種油で15分ほど揚げる。

 生地は団子の生地のようなものなので、乾燥させたところで熱が加われば柔らかく伸びて、互いにくっついてしまう。くっつかないよう、揚げる時は片時も離れず、太く長い箸でほぐしていなければならない。熱いし、根気がいる。わっかが浮いてきて、い茶色になったら揚がり終わり。ざるにあけて冷ます。

 揚げたてを頂いて口に頬張ると、まだ少し柔らかだ。これが1晩寝かすと、かちこちに固まって堅くなる。堅いが、細い紐をくくってわっかにしたものなので、ぽきっという感じで折れるため、「あかだ」ほど歯にはこたえない。こちらもやはり手作りだから、丸の大きさも不均一だし、ぐにゃっと曲がったものや、くっついたまま揚がってしまうものもあるが、それもお愛郷だ。

 「あかだ屋清七」では、1日に2000~3000個の「くつわ」を作る。早朝から仕込んで、揚げ始めるのが11時頃。揚げ終わるのが日によって2時半から、遅い時は4時頃までかかるという。その間、ずっと、熱い油の前にかかりっきりだ。津島神社の参拝客が多くなる正月などは、この倍以上、作らなくてはならない。何せ手作りだから、それこそ息をつく間もないほど忙しくなるという。

 この大変な手作業の陣頭指揮をとっているのは、貞雄さんの妻の良子さんだ。
「うちは女手でもってきた家系なんです。私は勤め人でしたので、店のことは全て、妻に任せきりでした。退職後、店に入ってから、こうして広報マンみたいにこの津島の伝統菓子を伝えているわけです(笑)」

 東京での大学時代、弁論部に所属していた貞雄さんは、選挙事務所に詰めていることも多かった。そんな折に出会ったのが、全国で鳴らした選挙カーのうぐいす嬢だった良子さんだ。良子さんに惚れ込んだ貞雄さんは、彼女をふるさと津島に連れ帰った。

 生まれも育ちも東京の良子さんとしては、嫁ぎ先が江戸時代から「あかだ」やら「くつわ」やらといった奇妙な菓子を作っている店とあっては、戸惑いも多かっただろう。乗馬や社交ダンスを楽しむ都会生活が肌身についた良子さんは「慣れない職人仕事を、何度やめようと思ったことか…」ともらす。それでも、会社勤めをする貞雄さんに代わって、先代を手伝いながら「あかだ」「くつわ」作りを習得していった。

 「当時は今みたいな計量器なんてないでしょう。枡で粉の量を計っても、人によって微妙に量が違うものだから、最初の頃は思うようにいかなくて。その日の天気や湿度によっても、湯の量を変えたり、こね具合を変えたり…そりゃ大変でしたよ」

 と、良子さん。その苦労はそれこそ計り知れないものがある。病を患って、死ぬ思いで作業場に出たこともあった。頼りの義父母が相次いで亡くなると、作業場は良子さんひとりになってしまった。それでも「自分たちの代で老舗を潰しては申し訳が立たない」と、子育ての傍ら、「あかだ」「くつわ」を作り続けた。

 今では貞雄さんが退職して店を手伝ってくれるようになったし、息子のお嫁さんや親戚も手伝ってくれる。ご夫婦は仲が良く、休みの日には夫婦揃って趣味のゴルフに行くこともあるという。長年の苦労を感じさせない若々しさだ。

 仲睦まじいご夫婦のお話を聞きながら、ばりぼりと「あかだ」「くつわ」を頬張っていたが、ふと、思いつくことがあった。そういえば、最近の子供は堅いものを食べないから顎が細くなっていて、そのうち平安貴族のような下膨れの顔立ちになるだろう、という話を聞いたことがある。この世にも堅い「あかだ」を食べていれば、そんなこともなかろうに。

 そう貞雄さんにいうと、「そうですね。それに、歯を使って堅いものを食べていると、脳にもいいそうですね。実は私の孫が、テレビチャンピオンでして(笑)」と、途端に相好を崩して答えてくれた。

 聞けば、孫さんが人気テレビ番組の「頭やわらかIQ王選手権」でチャンピオンを2連覇したのだとか。更には下のお孫さんや、子供達のお母さん(つまりお嫁さん)まで、「親子なぞなぞIQ王選手権」で優勝したという。これもひとえに、堅い「あかだ」のお陰なだろうか。どうも、弘法大師のお薬は、病気治癒どころか学業成就のご利益までありそうだ。


(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)

tsushima-shrine-torii.JPG

yakushi-nyorai.jpg

akada-closeup.JPG

akada-shop-in-book.jpg江戸時代の「あかだ」屋の様子(『尾張名所図会』部分)(絵をクリックすると大きくなります)

akada-label.JPG kutsuwa-label.JPG

kutsuwa.JPG

seishichi-shop.JPG

making-kutsuwa1.JPG

making-kutsuwa2.jpg

making-kutsuwa3.jpg

making-kutsuwa4.JPG

making-kutsuwa6.JPG

making-kutsuwa7.JPG

making-kutsuwa9.JPG

making-kutsuwa10.JPG

mr.&mrs.okada.JPG

店舗情報

あかだ屋清七
  菓子: あかだ (500円/190g)、くつわ (500円/130g)他
  住所: 愛知県津島市祢宜町1
  電話: 0120-418-928
  営業時間: 7:00~20:00
  定休日: 第2・4水曜日
  URL: http://www.clovernet.ne.jp/~akasei/

その他のおいしい立ち寄り情報

総本家 角屋政右衛門
  菓子: あかだ、くつわ (各500円)他
  住所: 愛知県津島市馬場町7
  電話: 0567-26-2857
  営業時間: 7:30-20:00
  定休日: なし

 津島神社の参道沿い、鳥居に向かって左にある「角屋政右衛門」の創業は天明元年(1781)。現在残る3軒の「あかだ」「くつわ」屋の中でも、最も長い歴史を持つ店だ。天保年間(1830~1843)に亡くなった二代目の政右衛門ほか、代々の当主の名「政」の字があり(例外もある)、店が参道の角にあったことから「角政」と呼ばれるようになったのだそう。

 現在は九代目の佐藤政春さんと十代目の若夫婦が中心となって「あかだ」「くつわ」作りをしている。「角政」では30~40年ほど前に、従来のあかだに醤油を加えて、あられ菓子のように改良した。色は薄い小金色。堅さも他の2軒のものほどではなく、サクサクッという形容が合っている。

 かつては7軒もあった「あかだ」「くつわ」屋が3軒にまで減ったということは、それだけ需要が減ったということに他ならない。正月に黒豆を食べる人が減ったのと同じことだろう。老舗としても、対策を練らないわけにはいかなかったのだろう。

 改良のヒントとなったのは、九代目のご主人が子供の頃、味のない「あかだ」に醤油をかけておやつにしていたという思い出。「醤油味にしてからはよく売れるようになりましたよ」と、佐藤さん。

 機械を導入して、大量生産も可能になっている。製麺機のような機械から、むにゅにゅっとひも状の生地が搾り出され、それを切ってそのま揚げているため、形は丸い団子状というより、金太郎飴をカットしたようなといおうか、貝柱のようなといおうか、潰した円筒状といおうか、そんな形である。「くつわ」もまた、均一感のあるキレイな形状である。若干、粉っぽさが口中に残るのもこの店の「くつわ」の特徴か。

 ところで、下の絵は明治17年(1884)発行の『尾三農商工繁昌記』に掲載された「角政」の様子を描いたものである。鳥居に向かって右側に店があるのは、現在とは真逆だが、当時は店の位置が違ったのだろうか。あるいは、描いた人の間違いだろうか。いずれにしても、紛れもなく「角政」と記されている。そして、たいそう大きな店だったようだ。

 図の右端に「團扇所(うちわどころ)」と見えるが、「あかだ」「くつわ」を売る店では、江戸の頃より天王まつりの絵柄を描いたうちわが売られていて、これも津島の定番土産のひとつに数えられていた。今も夏になると、「角政」や向いの「松儀」でも店内に無数のうちわがびっしりと飾られ、夏の風物詩となっている。

kadomasa-in-book.JPG

kadomasa.JPG

kadomasa-akada.JPG

kadomasa-kutsuwa.JPG

(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

松屋儀左衛門
  菓子: あかだ、くつわ (各500円)他
  住所: 愛知県津島市馬場町9
  電話: 0567-26-2075
  営業時間: 9:00-19:00
  定休日: なし

 表参道を挟んで「角政」の向い、鳥居に向かって右側にある店は、「松屋儀左衛門」。「松儀さん」の通称で親しまれている「あかだ」「くつわ」屋だ。創業は「角政」より少し遅い天明(1781~89)の中ごろで、当代で八代目を数える。

 「角政」同様、「松儀」も味なし「あかだ」を醤油味にしてから10年数年が経つ。店のお留守番ばあちゃんこと六代目の加藤雪子さんいわく、「醤油を入れたら味わい出て、食べやすくなるのでは」と客に味付けを勧められたことをきっかけに、改良に踏み切ったのだという。

「松儀」の「あかだ」は、「角政」の「あかだ」よりもしっかりと濃い醤油色がついており、ごりっと堅い。堅さでいえば、「清七」とどっこいどっこいだ。やはり「角政」同様、一部機械を導入しているため、切断面がはっきりとわかる。「くつわ」も、キレイな円形だ。

 「松儀」も夏になると店内の壁という壁に、うちわが飾られる。2年ほど前に訪れた時は、シーズンが終わった直後だったためその様子を見ることができなかったが、余っていたうちわを1枚わけて頂いた。そのうちわを仰ぎ仰ぎして、残りの佐屋路を歩いたものだった。

 写真は、明治38年(1905)に発行された地元雑誌『つしまかこみ』に掲載されたもので、当時の「松儀」が写されている。広い間口の店の姿といい軒上の「庵看板」といい、上に紹介した図会の「角政」に非常によく似ている。位置的には現在と変わらず鳥居に向かって右にあるようだ。やはり、図会を描いた人が「角政」と「松儀」を勘違いしたのだろうか…?よくわからないが、当時の門前の様子を伝える貴重な写真である。

matsugi-akada.JPG matsugi-kutsuwa.JPG

matsugi.jpg

matsugi-in-pic.JPG










(お菓子の写真をクリックすると大きくなります)