和菓子街道 東海道 大津2

大津宿の続き・・・

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その他のおいしい立ち寄り情報

大津菓子調進所 鶴里堂
  菓子: 比叡杉羊羹(小豆、抹茶各1本525円)
       祭菓子十三題(各1個294円、13種入り1箱3780円、同化粧箱入り4200円)他
  住所: 滋賀県大津市京町1丁目2-18
  電話: 077-523-2662
  営業時間: 9:00~18:30
  定休日: 第1・3日曜日

 大津はその昔、「鶴の里」と呼ばれていた。比叡の山から望むと、琵琶湖に沿った大津の里が細く弓なりになっており、その形がまるで鶴が翼を広げて飛び立とうとする姿に似ていたことから、このような風雅な名がつけられたのだという。今でこそ開発が進み、湖岸の描く景色も変わってきたが、「鶴の里」と呼ばれた頃の大津を今に伝えているのが、京町の鶴里堂だ。

 旧東海道筋、札の辻(京町交差点)の南東角辺りに店を構える鶴里堂は、その店名もさることながら、味においても京菓子に並び称された「大津菓子」の伝統を守り続けている和菓子屋だ。「大津菓子調進所」という冠からも、大津の菓子司としての誇りを感じる。戦時下、皇室来県の際には御用菓子屋となり、その頃供給が制限されていた砂糖も特別待遇で供給を得て営業を続けることを許可された。鶴里堂の釜の火こそ大津菓子の伝統のともし火とも言え、それが今日まで絶えずに守り伝えられているということになる。

 鶴里堂の菓子の数々は、湖都大津や周辺の風物に因んで作られるものが多いが、特に名高いのが「比叡杉羊羹」だ。明治29年(1896)の創業以来、「鶴里堂の羊羹」として親しまれていた家伝の本練羊羹を、包丁を入れなくても食べられる太さにしたもので、ほっそりとした丸太様のその形から、大津を見下ろす霊峰比叡山の千年杉に見立てている。小豆を使った黒いものと、抹茶を練り込んだ鮮やかな緑のものの2色があり、杉の幹と葉さながらで、見た目も清涼で美しい。

 この他、毎年10月に行なわれる大津祭の曳山に因んだ「祭菓子十三題」も興味深い。大津の市中を絢爛と彩る各町の曳山は全部で十三基。各曳山からは無病息災を願う縁起物の粽がまかれ、それを拾うのもこの祭りの楽しみのひとつになっている。この粽は中に菓子が入っておらず、食べられないお守り用の粽だが、このお守り粽に因んで、祭りの期間中は大津市内の各菓子店で食べられる粽も販売する。鶴里堂でも大津祭の際に食べられる粽を作るが、これとは別に、数年前に考案した「祭菓子十三題」が期間限定で販売されるのだ。

 「祭菓子十三題」とは、饅頭や練りきり、羊羹などを使った生菓子13種の総称だ。十三基それぞれの曳山にまつわる謂れやからくりが、愛らしい和菓子に姿を変えて箱に収まっている。ここまで表現するのに要した時間は、実に16年という。伝統を新しい形で伝えていく役割を、きちんと果たしている菓子屋である。

(「祭菓子十三題」各種のアップは下の写真をクリックして下さい)

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kakuri-matsurikashi.jpg(お菓子の写真はクリックすると大きくなります)

kakuri-tanu.jpg西行桜狸山(鍛冶屋町)
kakuri-yutate.jpg湯立山(玉屋町)
kakuri-sessho.jpg殺生石山(柳町)
kakuri-ebisu.jpg西宮蛭子山(白玉町)
kakuri-kakkyo.jpg郭巨山(後在家町・下小唐崎町)
kakuri-jingu.jpg神宮皇后山(猟師町)
kakuri-ryumon.jpg龍門滝山(太間町)
kakuri-genji.jpg源氏山(中京町)
kakuri-saiomo.jpg西王母山(丸屋町)
kakuri-sekisho.jpg石橋山(湊町)
kakuri-shojou.jpg猩々山(南保町)
kakuri-tsukimiya.jpg月宮殿山(上京町)
kakuri-komei.jpg孔明祈水山(中堀町)

角安本舗
  菓子: 瀬田しゞみ (1個137円)、しじみちゃん (5個入158円)他
  住所: 滋賀県大津市瀬田2-3-11
  電話: 077-545-2394
  営業時間: 9:00~19:00
  定休日: 月曜日 (祝日の場合は翌日)

 大津市に入りってしばらく行くと、左手に建部大社の大きな杜が見えてくる。ここまで来ると、瀬田の唐橋はすぐ目の前だ。その前に、ちょっと寄り道して寄りたいのが、和菓子屋の角安本舗だ。

 角安本舗の創業は、明治23年(1890)に当家の次男・平松安次郎が独立して菓子屋を開いたのが始まり。どういういきさつがあったのか、次男である安次郎が生家の古い家で商いをすることになり、長男は近所に大きな店を新しく建ててそちらで本家として菓子屋を始めたという(その店は近年、当主が亡くなり廃業した)。それ以前に平松家がどんな商売をしていたかは分からないそうだが、とにかく、兄弟で別々に和菓子屋を始め、その後も仲良く互いの店を行き来していたようである。

 角安という店名は、東海道の脇往還である信楽道との追分角に安次郎さんの店があったことからつけられた。「角の安さん」と呼ばれて親しまれていたのだろう。

 歩いて旅をする人がまだまだ多かった明治中ごろのこと。唐橋辺りは大変な賑わいで、角安も旅人相手に甘い物を売っていたようだ。しかし、戦争を経て、時代はすっかり変わってしまった。華やかだった明治・大正の頃、どんな菓子を作っていたのかも分からないという。

 そんな角安本舗の現在の名物菓子は「瀬田しゞみ」。その名の通り、シジミの形をした最中だ。琵琶湖に注ぐ瀬田川は、川底が砂地になっており、その水深20m以内の所に棲息するシジミは、古来、黄疸や肝臓病の特効薬とも言われ、珍重されてきた。

 味噌汁の具などとしてもお馴染みのしじみだが、実は大変な滋養食なのである。江戸時代に出版された食の百科事典『本朝食鑑』でも称賛され、東海道を通って京の都にも運ばれ、市中には振り売りが瀬田のシジミを売る声た響いていたという。

 角安の「瀬田しゞみ」は、瀬田川(琵琶湖)名物として知られるそのシジミをお菓子で表現しようと、四代目の現当主・平松康一さんが考案したものだ。シジミの姿をした最中皮の中に隠れているのは、小豆餡を包んだ求肥。餡の中に求肥を入れた最中はよく見かけるが、その逆はちょっと珍しい。しっかりと甘みをつけて炊いた粒餡と、滑らかな求肥の食感が好評で、様々な賞も受賞している。

 シジミを模った菓子でもうひとつ人気があるのが「しじみちゃん」だ。かわいらしい名前だが、親指の先ほどの小さな落雁で、見た目もかわいらしい。麦粉を使ったものと、黒豆の粉を使ったものの2種類があり、それぞれ違った味と香りを楽しむことができる。「瀬田しゞみ」も「しじみちゃん」も、手軽な瀬田土産として喜ばれそうな菓子である。


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辻末製菓舗
  菓子: たにし飴(1袋140g200円~)他
  住所: 滋賀県大津市神領1-12-11
  電話: 077-545-0021
  営業時間: 9:00~18:30
  定休日: 月曜日

 角安本舗にもほど近い、辻末製菓舗。明治初期(恐らく10年前後とのこと)から四代続く和菓子屋で、創業当時から朝生や駄菓子類など製してきた。今でも大福や丁稚羊羹なども置いているが、この店の代名詞は「たにし飴」だ。元々、卸として飴類は多数作っていたが、店の、そして瀬田の名物となって残ったのがたにし飴だった。

 黒砂糖と粗目糖、水飴を合わせて作った飴に肉桂油と芥子の実を加えたもので、タニシのエキスが入っているわけでは決してない。飴の世界では、棒状に伸ばした飴を手ごろに切って丸めたものをドングリ、烏帽子のように三角に切ったものをタニシと呼ぶのが常。このたにし飴は、辻末三代目の主人が琵琶湖のタニシを三角飴にひっかけて売り出したもので、ピリッと辛いニッキの独特の味が特徴だ。

 「昔からのお客さんのご要望もあって、たにし飴を作り続けています」

と、四代目のご主人。今も、昔ながらの製法を守り続けている。かなり強めのニッキ味が思い出となっている人も多いのだろう。シジミにタニシに、瀬田のお土産は角安と辻末の2軒ですっかり揃ってしまいそうだ。


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下村製菓所
  菓子: 飴 (各種1個10円~、1袋210円~、柄付キャンディ1本20円~)
  住所: 滋賀県大津市中央2-6-27
  電話: 077-522-4836
  営業時間: 9:00~18:00
  定休日: 日曜日 (不定休あり)

※2010年4月、ご主人が他界されました。跡を継がれる方はおらず、奥様もお体が弱いため、閉店の運びとなったそうです。今では数少なくなった手作り飴を昔ながらの方法で作っておられたお店だけに、残念です。御主人の御冥福をお祈り申し上げます。お疲れ様でした。

 旧東海道沿いにある老舗の餅兵のすぐ先の角を琵琶湖方面に曲がると、静かな住宅街の中に、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている飴屋がある。大きな麻の暖簾をくぐって入ると、簡素なガラスケースの上に、いくつものガラス瓶が並べられている。中には、色とりどりにキラキラ光る小さな飴玉、いや、関西風に言うと「飴ちゃん」が入っている。

 おばあちゃんに連れられてやって来たらしい小さな先客が、「これと、これ」とお願いすると、お店のおばあさんが瓶の中のスコップですくって、袋に入れてくれた。オレンジにサイダー、どんぐり、タニシ、ニッキ、イチゴ…飴はどれも、1個、10円。なんとも微笑ましい光景だ。

 ここは、創業明治28年(1895)の町の飴屋さん、下村製菓所。現在は、三代目のご主人である下村善三郎さんと睦恵さん夫妻が細々と飴作りをしている。

 店はほぼ創業当時のままで、売り場のすぐ横の作業場には、使い古したおくどさんがある。訪れた時には丁度、ご主人の飴作りが始まろうとしていた。店が店なら、作業も作業。何ひとつ変わらない、昔ながらの手作りで今も飴が作られている。

 大きな鍋でグラニュー糖を溶かして、135度に保って煮詰めること20分ほど。その間にご主人は水を張った大きな木の桶に金のたらいを浮かべる。飴が煮詰まったら、ここからは大急ぎの作業だ。どろどろの飴を金のたらいに流し込み、少し固まったところで端をはがして折りたたむ。この作業を何度か行なうと、飴がある程度固まって扱い易くなる。

 台の上に移して片栗粉をまぶしてひとつにまとめてから、店の中ほどにある柱の駒に飴をかけて、引っ張っては巻きつけ、巻きつけては引っ張るという作業を何度も繰り返す。こうやって練ることによって、半透明だった飴は空気を含み、どんどん白濁していく。繭からとったばかりの絹のように、真っ白な飴の棒が出来上がったら、再び台に戻って、成形する。

 大根ほどの太さの飴の塊を、ソーセージのように細く伸ばしていく。この間にも飴は冷えてどんどん固まっていくため、作業は小さなストーブのような保温機の下で行なわれる。だから、ご主人の手はいつも真っ赤。オーブントースターの中に手を入れているようなものなのだから、無理もない。それでも、何十年も続けてきた作業だ。ご主人の動きによどみはない。

 伸ばした棒状の飴は、重たい鉄製の飴切りにかける。飴切りの上蓋をさっと動かすと、長かった飴が、丸くなってころころと機械から飛び出してくる。すかさず、睦恵さんが指でつまむように捻って、形を調える。

 できたての、まだほんの少し温かみの残る飴を食べさせて頂いた。白い、ニッキの飴だ。カラカラと歯に当てながら口の中で転がす。手作りの飴というのは、こういうものなのか。ゆっくりと溶けていく飴はどこか柔らかみがあって、決して複雑ではない素朴な甘みが、幼い頃の色んな思い出を呼び起こす。

 1種類の飴を作る作業は1時間ほど続いたが、その間にも、時折お客さんが来ては好き好きの飴を買って行った。小売もしているが、今は京都の菓子屋などに卸す方が主流だという。70歳を越えてもお元気そうなご夫婦だが、息子さんが跡を継ぐ予定は今のところないそうだ。かつてはどこの町にも1軒はあったこんな町の飴屋さんも、今はめっきり少なくなってしまった。下村さんご夫婦には、もう少しだけ頑張っていてもらいたいと勝手な願望を抱いている。

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元祖阪本屋
  土産: 鮒ずし竹皮包み (小1尾約18cm3150円~)他
      ※価格に変動あり
  住所: 滋賀県大津市長等1-5-21
  電話: 077-524-2406
  営業時間: 9:00~18:00
  定休日: 日曜日
  URL: http://www.sakamotoya.biz/

 知人に、鮒ずしが大好物という人がいる。鮒ずしは言わずと知れた近江名物で、近江の人は「鮒ずしがなければ始まらない」らしいが、この知人は東京で生まれ育っている。きっかけは、仕事で近江に赴任したこと。当地で本場を味わって、今では家族もみな、「鮒ずしがなければ始まらない」らしい。酒のつまみには、鮒ずしと決めているのだという。茶漬けも、鮒ずしでなければならぬという。独特の酸味と、発酵食ならではの旨みがあり、一度その味の虜になると、この知人のように病みつきになるものらしい。

 そも、鮒ずしとは何か。別名「琵琶湖のチーズ」とも呼ばれる鮒ずしは、「熟れずし」「馴れずし」とも書く発酵食品「なれずし」の一種だ。そのルーツは大陸にあり、稲作技術と共に日本に伝わったといわれているが、正確な起源や発祥地を特定することはできない。日本においては、平安時代中期の927年に編纂された律令の施行細則『延喜式』にも近江の名産品としてその名が記されている。近江の珍味として、その頃には既に宮中に献上されていたようだ。現代の一般的な「寿司」も、元はこの鮒ずしから発展したものだという。

 なれずしが近江に根付いた理由は、近江の風土にあると言われている。100メートル以上の水深を持つ琵琶湖の魚には泥臭さがなく食用に適していること、固有のニゴロブナが肉厚で、子の大きく鮒ずしに向いていること、近江米が発酵に丁度良い硬さを持っていることなどの要因が重なって、鮒ずしは近江の家々に伝わり、味を競い合って洗練されていったものと思われる。

 4月中旬、産卵期を迎えて腹に卵を抱いた雌のニゴロブナが水揚げされる。鮒ずし作りはここから始まる。上質な子持ち鮒を厳選し、鱗やエラ、内臓をきれいに取り除いた後、腹に塩を詰め込んで桶に入れて塩漬けする。これを「塩きり」といい、数カ月もの間、塩で貯蔵した後、夏の土用の頃に塩蔵から鮒を取り出し、一旦水洗いする。

 塩をとった鮒を、今度は炊き上げた近江米と交互に重ねて漬け込んで「本漬け」にし、重石をして更に数カ月間寝かせておく。「塩きり」での塩加減と、「本漬け」での米の炊き具合に加え、その年年の気温や湿度が大きく味に影響するという。

 大きな鮒であれば再度、炊いた米を足して1年以上漬け込む(再漬け)ことになるが、早いものは年が明ける頃までには完成する。全国各地で活躍した近江商人の家庭では、正月に家の者が一堂に集うと、自家製の鮒ずしを囲んだ。前年の鮒ずしのでき具合について皆で語り合うのも、近江の正月の楽しみのひとつだったのだ。

 発酵食には健康食と言われるものが多いが、鮒寿司も例外ではない。古来、湖都が育んできた滋養食と言われ、乳酸菌とビタミンを豊富に含むことから、病中病後の衰弱や胃腸の病にかかると、各戸で保存している鮒ずしを食べたのだとか。昨今の健康食ブームにのって、鮒ずしが全国に広まる日もそう遠くはないかもしれない。

 今でこそ近江名物として滋賀県内で広く一般に販売されて、滋賀県選定民族文化財にまで指定されている鮒ずしだが、かつてはどこの家でも作られていた郷土料理だ。これを、今日のように外の人でも一般に購入することができるようにしたのが、大津は札の辻にある元祖阪本屋だ。前出の知人が今も大津から取り寄せているというのも、この阪本屋の鮒ずしである。

 江戸時代、本多氏六万石の膳所藩御用料亭を務めた阪本屋。しかし、明治維新の訪れで藩がなくなり、阪本屋も御用が解かれることになった。かつては藩主や客人の諸大名をもてなした一流料亭とはいえ、他との競争を強いられる時代が到来したのだ。そこで、阪本屋の主人は一計を案じた。当時はまだ各家庭でのみ作られていた鮒ずしはまだ一般に商品化されていなかったが、阪本屋ではその味にも自信があった。その自慢の鮒ずしの販売に乗り出したのだ。明治2年(1869)、料亭阪本屋は鮒ずしと佃煮の専門店として分店を開業。これが今日まで続く元祖阪本屋である。

 その後、阪本屋は明治30年(1897)には宮内省御用達となり、また明治36年(1906)の日露戦争凱旋の折に海軍大将東郷平八郎に献上したことから、以降、阪本屋の鮒ずしを「東郷印」と称して販売するようになったという。

 阪本屋では、基本的に創業当時と変わらぬ方法で鮒ずし作りを行なっている。本漬けも、代々の当主のみが行なうという伝統を守り続けている。「鮒ずし」は臭い、という意見も多いかと思うが、阪本屋曰く、手間暇かけて作られる本来の鮒ずしは、発酵の質も良く、異臭を放つものではないという。そもそも、殿様の御膳の一品として出されていたものが、他の食べ物を邪魔するほど臭いはずはないのだ、と。確かに的を射た話だ。しかし、慣れない無粋者には、やはりその一種独特の香りに驚きを禁じえない。これにさえ慣れてしまえば、発酵で骨まで柔らかく食べられるこの鮒ずし、やはり病みつきになるものなのだろう。

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八百与
  土産: 近江かぶらの奈良漬(1個850円前後/g)
       水茄子の糠漬(夏季のみ1個250円)、長等漬(1袋590円~)他
  住所: 滋賀県大津市長等2-9-4
  電話: 077-522-4021
  営業時間: 10:00~19:00
  定休日: 水曜日 (祝日の場合は営業)

 江戸時代から続く簾屋や提灯屋、茶舗などが民家の間にところどころ残っている静かな旧東海道は、札の辻の交差点で道京阪電鉄京津線の線路が走る通りにぶつかり、ここで直角に折れて南へと進路を変える。この札の辻を北側、つまり琵琶湖方面へと向かってすぐ左手に、菱屋町商店街がある。アーケードの商店街を中ほどまで進むと、ひときわ大きな漬物屋が右手に見えてくる。創業は嘉永3年(1850)という八百与だ。アーケードの中にありながら、建物は創業当時のまま。軒の上には、漆喰の虫籠壁が見えている。

 現在は六代目を数える八百与は、江戸時代には精進料理の店だった。店と言っても立ち寄って食事をするような所ではなく、法事などの際に注文を受けて、出張して料理を作るという形態をとっていた。最近、日本でも流行しているケータリングのようなものだ。

 精進料理専門であった八百与で特に評判が高かったのが漬物で、明治時代になると、漬物一本で勝負することに決めたのだという。もっとも、当初はやはり店の戸は閉めたままで、身分の高い人々や豪商相手に、注文された漬物を届けるというやり方を通していたそう。今のように店の戸を大きく広げて、一般に販売するようになったのは、ずっと後になってからのことだ。

 そんな八百与の一番の上顧客はというと、宮内庁大膳寮。つまり、宮家の食卓に上る漬物を納めていたというわけだ。八百与が宮内庁(現・宮内省)ご用達に指定されたのは大正3年(1914)のこと。六代目のご主人に、当時の新聞の切り抜きや、『大膳寮御用達調進』と書かれた専用の大福帳を見せて頂いた。

 「お殿様や士族に献上する際には、その言葉通り献上で、ただで差し上げていたようですが、宮内庁にはきちんと購入して頂いて、東京への運搬量まで支払って頂いていたようです」

 和紙のページをめくりながら、そうご主人が説明してくれた。「千枚漬」や「胡瓜糠漬」と共にこの宮内庁用大福帳に多く登場するのが、「かぶら漬」だ。ここでいう「かぶら漬」は、単なる蕪の漬物ではない。近江かぶらという特殊な蕪の奈良漬だ。

 通常の蕪は丸く、根の先だけがすっと伸びているが、近江かぶらは平べったく、ひしゃげたような格好をしている。カーリングのストーンを直径12センチほどまで縮めたような形だ。八百与の軒の上には今でも昔のままの大きな看板が掲げられているが、そこに描かれた大きな蕪の絵も、この近江かぶらを描いたものである。

 近江かぶらは普通の蕪よりも水気が少なく、奈良漬に適しているという。かつては近江一円で多く作られていたが、今では栽培する農家もほとんどなく、八百与でも1軒の契約農家から仕入れているだけだ。通常は店頭に並べることはないが、頼めば店の奥から持ってきてもらえる。近江かぶらを丸ごと漬け込んだかぶら漬は、ずっしりと重い。琥珀色になった近江かぶらは、しゃきしゃきっとした歯ごたえで、甘みがあって美味だ。近江の伝統野菜を使った漬物は、今となっては八百与でしか手に入れることのできない。大津に来たらぜひ手に入れたい幻の一品だ。

 この他、胡瓜や西瓜の長等漬(奈良漬をもじって地元名をつけたもの)や、水茄子など季節の野菜の漬物もお薦めだが、たくあんや梅干といった一般的な漬物でも、とにかく種類が豊富なので、お店の方に相談して好みに合ったものを求めるとよい。

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