関宿を出た後、室町時代の大絵師・狩野元信がその美しさを絵に留めようとするも断念して絵筆を捨ててしまったという逸話の残る筆捨山を見上げながら、曲がりくねった山道を上っていく。やがて辿り着くのは、東海道48番目の宿場町、坂下だ。
難所の鈴鹿峠の麓にあって、気象の変化も激しかった坂下宿では、慶長16年(1611)に幕府が定めた人馬駄賃も、他の宿場に比べて割高だったという。3軒もあった本陣のうち、大竹屋は街道一の大家として旅人の憧れのお宿だったと言われている。難所を控えた坂下は、物産の集積地として重要な宿場だった。道幅も広く、往時は活気に溢れていたという。
しかし、今ではかつての喧騒はどこかへ消えうせ、広すぎるくらいの道を挟んで両側に、数十戸の民家が転々と建つ小さな集落になってしまった。ところどころに本陣などのあった場所を示す石碑が建っていることが、唯一、ここが確かに宿場町だったことを知る手だてだ。
見所と言えば、集落手前に近年になって建てられた鈴鹿馬子唄会館、法案寺に移築された松屋本陣の玄関、片山神社、といったところか。そして忘れてはならないのが、鈴鹿山そのもの。急峻なことで知られた鈴鹿峠だが、高さは箱根の半分。一息に上ってしまえば、さほど苦も無く越えることができる。
かつては、鈴鹿を越えて行く馬子が馬につけた鈴の音に合せて唄った「鈴鹿馬子唄」がこだましていたのだろうか。今ではあまりにも静かで、鳥の羽ばたく音や風が樹を揺する音が一際大きく聞こえるばかりだ。
標高300mの鈴鹿峠の頂上は、江戸の頃には立場になっており、堺屋や伊勢屋など数件の茶屋が並び、ぜんざい餅や甘酒を売っていたという。峠を上ってきた旅人にとっては、一息つけるありがたい場所だったのだろう。今はその名残すらないが、峠の杉林を過ぎると眼前に見渡す限りの茶畑が開け、ほっとした気分になる。この先、国道まで下りきったら、ひたすら次の土山宿を目指すことになる。
HOME


