亀山というとまず思い浮かぶのが、シャープ。しかし、それよりずっと以前からの亀山名物はというと、やはりローソクだろう。全国7割のシェアを誇る亀山の一大産業だ。市内に入ると、いたるところにローソクの絵やロゴが。路面にもローソクを甲羅に立てた笑顔の亀が描かれているのがおもしろい。しかし、このコミカルなイメージも、宿場内のしっとりとした雰囲気に一蹴されることになる。
江戸口門から亀山宿に入ると、昔ながらの細い町並みが迎えてくれる。街の中心部も、どこかひっそりとしているが、それが亀山の気風なのだろうか。寛政13年(1801)の『改元紀行』には「城下の市中賑わひなし」とあり、六万石の城下町としては静かだった往時の亀山の姿を伝えている。いわゆる「飯盛り女」も亀山に来ると少し質が上がったと言われており、全体的に品があったようだ。
宿場時代の街道をイメージした茶色いアスファルト舗装の道を行くと、やがて石川氏の居城だった亀山城跡に残る多聞櫓の黒い影が見えてくる。蝶が舞うような秀麗な姿から「粉蝶城」とも称されていた亀山城。街道から外れて、その城址に上って街を一望するのも一興だ。
ところどころに古い家屋が残る亀山だが、老舗という老舗はあまり残っていない。天保8年(1837)創業という茶舗・村井冨士園くらいだろうか(店の雰囲気は極めて近代的だが)。茶舗があるのは街道を見下ろす高台を通る商店街にあり、現在の亀山はこの辺りが中心になっている。街道筋には、商店がぽつりぽつりとあるのみだ。
静かな町並みを進んで「亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謳われた亀山宿京口門を出て、旅人達は関を目指した。広重の東海道五十五枚中の三代役物のひとつとされている傑作『亀山雪晴』はこの場所から描いたと言われている。現在はかつてここに門があったことを伝える案内板があるのみだが、広重が心に留めたであろう亀山城の方向を仰いで、、往時を偲ぶことはできる。
その他のおいしい立ち寄り情報
瑞宝軒
菓子: 亀乃尾(10個入630円~)他
住所: 三重県亀山市御幸町231-54
電話: 05958-2-3331
営業時間: 6:30~19:00(平日)、8:30~19:00(土日祝日)
定休日: 木曜日
URL: http://www.zuihouken.co.jp
亀山にも江戸時代から続く老舗和菓子屋があると聞いて、旧東海道を逸れてJR関西本線亀山駅前に出た。バスやタクシーが数台待機しているだけのロータリーは静かで、駅前にも人通りはほとんどない。お目当ての店はどこかと、それらしい姿を探してきょろきょろした。一瞬、目の端が「亀乃尾」の文字を捕らえ、その方向に向き直ってみたが、そこにあるのはパン屋さんのようだった。違うな、と判断し、諦めて駅の人に聞いてみることにした。ところが、果たせるかな、そのパン屋さんにしか見えない店こそ、目指す亀山銘菓「亀乃尾」の瑞宝軒だったのだ。
眉に唾を塗りながらも店の中に入ってみた。やはり、パン屋さんだ。いや、洋菓子屋さんかもしれない。とにかく、老舗和菓子屋という言葉からイメージする店とは随分かけ離れているように見える。店名も「ローゼンボルグ」と、「和」とは程遠い。しかし、店の一角に、いわゆる別格扱いのコーナーがあり、そこに噂の亀乃尾が鎮座しているのを発見。コーナーの部分には、瑞宝軒の名もきちんと書かれている。
わけが分からず店の人に聞いてみると、話は以外と単純だった。瑞宝軒の創業は遥か遠く、延亨年間(1744~1748)まで遡る。ローゼンボルグはというと、昭和49年(1974)に開店し、現在ではどちらかというと、このベーカリー&ケーキのお店が中心になっているのだという。時代の流れの中で、老舗と呼ばれる店がどう生き残っていくか考えた時、地元の人が日常的に利用してくれるパンやケーキを売るお店に転身を図る決断をしたのだろう。
しかしその一方で、瑞宝軒の伝統ある亀乃尾も変わることなく作り続けており、今でも亀乃尾はこの店の看板菓子だ。大袈裟かもしれないが、この伝統の銘菓を残すための手段が、転身にあったのではないかとさえ思ってしまう。いずれにしても、転身は成功、この辺りでは数少ない洋菓子とパンが人気を呼んでおり、その傍らで亀乃尾も見捨てられなかったことが嬉しい。
亀乃尾は、初代の角屋留吉が『古今和歌集』(905年頃成立)に見える
亀の尾の山の岩根をとめておつる
瀧の志ら玉千代の数かも
という紀推岳(きのこれをか)の和歌に因んで作った菓子である。この歌は、清和天皇の第七皇子で陽成天皇の異母弟である貞辰親王の叔母に当たる人物の40歳の祝賀の折に詠まれたもので、「亀の尾の山の大きな岩をめがけて落ちてゆく滝の白玉はあなたの千代の数でしょうか」といった意味だ。歌が詠まれた場所は「大井」という場所、現在の京都嵐山付近であるとされており、三重県の亀山というわけではない。しかし、「亀の尾の山」が亀山に通じることから、亀山の地でこの歌にゆかりのある菓子が生まれたようだ。
滝壺の亀の甲に落ちて跳ね散る白玉(水しぶき)になぞらえたという亀乃尾は、亀甲形を模して作ったと言われているが、その姿はむしろ、白玉に近いのではないか。ころんと丸く、3センチほどの大きさだ。もち米を粉にして蒸し、水飴や砂糖を加えながら練り上げて作る求肥で漉し餡を包み、粉砂糖をまぶしてある。
この作り方、どこかで聞いたことがある気がする。そうだ、亀山の次の宿場、関の銘菓「関の戸」と似てはいまいか。粉をまぶした餡入り半生菓子と大雑把に言ってしまうと、ほぼ同じだ。しかし、見た目も味もかなり違う。関の戸が和三盆糖をまぶしていることから薄い枯葉色をしているのに対し、粉砂糖をまぶす亀乃尾は真っ白だ。求肥も亀乃尾の方が厚く、全体的に甘みが強い。
亀山と関。隣り合った宿場町であるせいか、似ているようで似ていないような菓子があるものだ。そう言えば、関には「志ら玉」なる菓子もある。亀山と関。やはり、菓子にも何か関連を感じずにはいられない。関の戸はお大名様の土産物、志ら玉は鈴鹿越えをする旅人のお茶請けとして愛されていたようだが、亀乃尾はどうであったのか。詳しいことはわかっていないが、亀山城を仰ぐ城下町の菓子ということもあり、もしかしたら、お殿様に献上されたこともあったのかもしれない。江戸時代以降としては、大正天皇、昭和天皇に献上されたという由緒がある。
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