石薬師宿を出て、国道と田んぼを縫い進みながら道をゆくと、わずか3キロ弱で東海道45番目の宿場、庄野へと行き着く。他の宿場町より少し遅れて寛永元年(1624)に設置された庄野宿だが、文化12年(1815)には人足・伝馬を半減されている。当時から既に寂れた様子だった庄野は、今も石薬師に負けず劣らず静かな集落だ。
しかしながら、古い家々が続く通りは宿場町らしい佇まいを見せ、のどかな雰囲気の中を散策することができる。古い民家を利用した庄野宿資料館には、実際に使われていた高札や古民具などが展示されており、自由に見学することができる。本陣や問屋場跡の碑を確認しつつ進むと、あっと言う間に宿場町を通過してしまう。宿外れの川俣神社にある樹齢数百年のスダジイは、今も昔も変わらず庄野を見守ってきた巨木だ。
そんな寂しい庄野宿にも、旅人に人気の名物があった。焼米(やきごめ、火米)といって、まだ成長しきっていない青米を生のまま焙烙(ほうろく)で炒り、籾殻をとって拳くらいの大きさの小さな俵に詰めたものだ。かつては家々でこれを売っており、街道を行く旅人が土産に買い求めたという。
香ばしく、そのままぽりぽりと食べても、水に戻して炊いて食べてもよい便利な焼米は、今で言うところのインスタント食だったようだ。日持ちも良かったため携帯食としても重宝されたのだろう。しかし、明治に入ってからは宿場の衰退と歩調を合わせるように、焼米を作る家も徐々に少なくなり、今では完全に途絶えてしまった。
焼米以外にさして取り上げるべきものもなかった庄野ではあるが、雨脚に追われるように蓑を被った旅人達が坂道を駆けてゆく様子を描いた広重の東海道五拾三次『庄野 白雨』が、この宿場を有名にしている。驟雨のざわめきが聞こえてくるような秀作だ。
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