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真清田神社
御鎮座: 愛知縣一宮市真清田1-2-1
御祭神: 天火明命
社格: 式内名神大社、旧國幣中社、別表神社、尾張國一宮
御神紋/社紋: 竹の輪九枚笹(丸の内九枚笹)
御由緒: 社伝によると、神武天皇の御代33年の鎮座。古代の地方豪族・尾張氏(物部氏の同
族)の一派が尾張國中嶋郡に移住した際、天火明命を祀ったことが起源といわれる。
尾張氏はこの地を中心に発展、後にその氏名が國名にもなり、日本武尊の妃となる
ミヤズヒメも尾張氏を出自とする。
鎮座の地は木曽川の流域にあり、木曽川の灌漑用水による水田地帯として開けた。
真清田神社によると、社名の由来は清く澄んだ水によって水田を形成していたため、
真清田と名付けられたというが、『延喜式神名帳』には「眞墨田神社」として記されて
いる。
また、「真清」が鏡に関わる言葉であることから、尾張氏と鏡作氏の祖神を併せた神
であるともいわれている。國常立尊、天照大神、月読命、大己貴命を併せて祀ったと
も。この他、御祭神については諸説が挙げられている。
全國で「一宮」を冠する自治体の中でも、市制をひいている自治体は真清田神社のあ
る一宮市だけ。
撤饌: 真清田神社に伝わる「五鈴鏡」(鈴が5つついた鏡)の図案の焼印を押した丸い煎餅(炭
酸煎餅風)、2枚。
真清田神社の桃花祭(4月3日)で練り歩く飾り馬「おん馬」の図案を焼印を押した四角
い煎餅(瓦煎餅風)、2枚。
ぶぶあられ(裏面には「京名物」と記されている)、1袋。
御饌米、1包。
松阪神社
御鎮座: 三重縣松阪市殿町1445
御祭神: 譽田別尊、宇迦御魂神
社格: 式内小社(論社)、旧郷社
御神紋/社紋: 松葉左巴
御由緒: 当地の古代國司・飯高氏が産土神として奉齋していたことが、当社の起源と考えられてい
る。『延喜式神名帳』に記載のある意悲神社は当社の根本であるといわれるが、同市下村
町に鎮座する神戸神館神明社も意悲神社の論社となっている。
当社の建つ杜は古来、「意悲(おい)の森」と称していたが、いつの頃からか転じて「四五百
(よいほ)の森」となった。天正11年(1584)、戦国武将の蒲生氏郷(1556~1595)が近江國
日野より伊勢國松ケ島城に移封。天正16年(1588)に守りを堅固にするため、四五百の森
に築城。当社を城の鎮守神とした。当初は、宇迦御魂神(稲荷様)を祀っていた当社だが、
この時、武家の守護神・譽田別尊を合祀した。江戸時代までは御城八幡とも称された。ま
た、松ケ島の松に主君の羽柴秀吉の拠点である大坂の坂をとって、当地の地名も松坂と
改めた(宇迦御魂神は慶長元年に吉田重勝が松坂城を修補した際に合祀との説も)。
明治41年(1908)、政府による神社合祀令により、氏子地域の17社33座を合祀。現在では
35柱の神々を祀っている。この際、社号も松阪神社と改称。ちなみに、明治以降、大坂が
大阪という字に定着してからは、松坂の地名も松阪に変えられたため、その後に改称した
当社も、松坂神社ではなく松阪神社と称する。
御神木の長寿楠の根元には大きな洞があり、松坂城の天守近くに今もある井戸と繋がっ
ていたという。
本殿は、昭和4年に式年遷宮をした豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の西宝殿を、その翌年に
御下附を受けて造営。豊受大神宮西宝殿を拝戴するのは全国でも当社のみ。当社では
江戸時代より20年ごとに西宝殿を拝戴してきており、昭和5年で8回目。
撤饌: 「福神茶」、15g入り1袋。
松原神社
御鎮座: 神奈川縣小田原市本町2-10-16
御祭神: 日本武尊、
社格: 旧縣社、神饌幣帛供進神社、小田原総鎮守
御神紋/社紋: 三つ巴
御由緒: 近衛天皇(在位:1142~1155)の御代の久安年間(1145~1150)に創建されたと伝えられ
る。これとは別に、鎮座地が東海道と甲州への道の分岐点に当たることから、道祖神とし
て祀られていたものが起源で、更に漁民の信仰が加わったとする説もある。
後醍醐天皇(1318~1339)の頃、境内に真鶴が棲みついたことから、鶴の森明神とも称さ
れていた。その後、後奈良天皇(在位:1526~1557)の御代の天文年間(1532~1554)に、
山王原村の海中より十一面観音が出現し、当社に祀れるようにとの神託があったため、当
社に祀った。このため、社号も松原大明神と改名したといわれる。
明治2年(1869)に松原神社と改称、現在に至る。
撤饌: 「かつおぶしパック(かつおぶし削りぶし)」(小田原市栄町・久津間製)、5g入り1袋。
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