【ほ】
豊國神社(大阪)
【御鎮座】 大阪府大阪市中央区大阪城2-1
【御祭神】 豊臣秀吉公、豊臣秀頼公、豊臣秀長卿
【社格】 旧府社
【御神紋/社紋】 五七の桐
【御由緒】
明治12年の創建。元々、明治元年に明治天皇が大阪(当時はまだ大坂)に行幸され、大阪に縁のある豊臣秀吉を奉祀するよう仰せられたことに端を発する。当初は、京都東山の阿弥陀ヶ峰山頂の秀吉の墓の鎮守社であった豊國神社を本社とする別宮として、大阪の中之島字山崎の鼻に建立された。
その後の大正元年、鎮座地に中央公会堂が建設されることになったため、大阪府立図書館付近に遷座。更に、昭和36年には大阪市庁舎の増築のため、秀吉の居城であった大阪城内の現在地に遷座した。
京都の本社から独立したのは、大正10年のこと。
【撤饌】
・あられ(大阪府堺市・津の清製)、あられ2種
・「中白とろろ(昆布)」(大阪市中央区・永田屋昆布本店製)、1袋
報徳二宮神社
御鎮座: 神奈川縣小田原市城内8-10
御祭神: 二宮尊徳翁
社格: 旧縣社、別表神社
御神紋/社紋: 丸に横木瓜
御由緒:
江戸時代後期の農政家兼思想家の二宮尊徳(1787~1856、にのみやそんとく。正確にはにのみやたかのり。通称は二宮金次郎または金治郎)を御祭神とする。
相模國栢山村(現・小田原市栢山)の農家に生まれた尊徳だが、近くの酒匂川の度重なる氾濫によって生家の田畑が流され、家が没落。14歳の時に父を、16歳の時に母を亡くしたため、親戚の二宮家に預けられる。親戚の家では朝から晩まで働き、農業に励んで荒地を復興させ、かろうじて残っていた生家の田畑を小作に出して収入を得るなどして、24歳までに生家を再興させた。
その後、地主経営を行う傍らで、自ら武家奉公に出て働き、奉公先の財政建て直しをも成功させる。更に、小田原の旗本宇津家知行所・下野國桜町領(現・栃木県真岡市)の仕法や真岡代官領の経営などを任せられる。
当社の創建は明治27年(1894)。尊徳の教えを慕う伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模の報徳社の協力により、小田原城の一角に建立された。拝殿の礎石には、小田原城内の米蔵の礎石を再利用。天保の大飢饉(1833~1839)の際に小田原藩主の命により尊徳が、この米蔵を開いて平民に米を配ったという。
各地の小学校に設置されている「二宮金次郎像」でお馴染みの、薪を背負いながら本を読む尊徳の姿は、明治24年(1891)刊の幸田露伴著『二宮尊徳翁』の挿絵として描かれたのが初見。
撤饌:
・昆布「太白おぼろ」(小田原市栄町・久津間製)、15g入り1袋。
・「かつおぶしパック(かつおぶし削りぶし)」(小田原市栄町・久津間製)、5g入り1袋。
・飴「にのみやきんじろう」(東京都台東区・金太郎飴本店製)、12粒入り1袋。
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