【ひ】
日枝神社(赤坂)
【御鎮座】 東京都千代田区永田町2-10-5
【御祭神】 大山咋神
【社格】 旧官幣大社、旧准勅祭社(東京十社)、別表神社
【御神紋/社紋】 丸に双葉葵、三つ巴、十六八重菊
【御由緒】
創建年は定かではないが、武蔵を開拓した江戸氏が明応5年(1496)に当地に入府し、江戸城を築城(もしくは馬場氏が建てたものを修築)した際、江戸郷の守護神として山王宮を祀ったのが始まりと伝えられている。その後、文明10年(1478)に太田道灌が入府、改めて江戸城を造営した際、川越の無量寿寺(現・喜多院)の鎮守である川越山王社(川越日枝神社)を勧請したといわれる。
更に、徳川家康が江戸に移封された時、江戸城内の紅葉山に遷し、江戸城の鎮守と定めた。二代将軍秀忠による江戸城大改築の際、城外の麹町隼町に社殿が造営されるも、以降変わりなく江戸城並びに江戸の鎮守として篤く崇敬された。現在地へ遷座されたのは、明暦3年(1657)の明暦の大火によって社殿を焼失した後の万治2年(1659)。現在地は、江戸城の裏鬼門に位置する。
古くは「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」「山王社」などと称されたが、慶応4/明治元年(1868)に日枝神社と改称された。
御祭神の大山咋神は、京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)の御祭神である玉依姫とは夫婦神であることから、賀茂社とは縁が深く、当社も御紋に賀茂社と同じく双葉葵を用いている(紋の形は若干異なる)。
江戸三大祭のひとつ、山王祭で知られる。
【撤饌】
・御供米、1包
・御神酒「清酒 純米吟醸 仁勇」(千葉縣成田市・神崎酒造製)、180ml入り1箱
・鰹節(静岡縣焼津市・ちきり清水商店製)、3g×5袋
・昆布茶「梅入り 幸運富(こんぶ)茶」(埼玉縣北本市・ホリショウ販売)、3g×5袋
・金平糖(中央区京橋・松崎煎餅製)、1袋
・味噌煎餅(中央区京橋・松崎煎餅製)、4枚入り1袋
氷川神社(川越)
【御鎮座】 埼玉縣川越市宮下町2-11-3
【御祭神】 素盞鳴尊、奇稲田姫命、手摩乳命、脚摩乳命、大己貴命
【社格】 旧縣社、別表神社
【御神紋/社紋】 雲菱
【御由緒】
欽明天皇の御宇2年(541)に、武蔵國の國造によって大宮の氷川神社(武蔵國一宮)より分祀された。
川越の総鎮守として、歴史を通して当地の為政者に崇敬され、手厚い保護を受けてきた。大宮の氷川神社と区別するため、通称、「川越氷川神社」と呼ばれる。また、川越の地元民は親しみを込めて「お氷川さま」と呼んでいる。
【撤饌】
・榮太樓飴(日本橋・榮太樓總本鋪製)、「梅ぼ志飴」「梅ぼ志飴(ニッキ味)」「黒飴」「抹茶飴」「紅茶飴」各1個(計5個)入り1箱
氷川神社(渋谷)
【御鎮座】 東京都渋谷区東2-5-6
【御祭神】 素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴尊、天照皇大神
【社格】 旧村社
【御神紋/社紋】 三つ巴
【御由緒】
慶長10年(1605)に当社別当宝泉寺の第百代住職・実円の記した『氷川大明神宝泉寺縁起』によると、景行天皇の御世(71~130)、東征をする皇子の日本武尊が当地に素盞鳴尊の御分霊を勧請したことが、当社の起こりという。これとは別に、源頼朝が勧請したとか、『平治物語』の中で源義朝の侍童として登場する金王丸が信仰した、といった伝説もある。いずれにしても、渋谷区教育委員会の見解では、区内最古の神社とされている。旧下渋谷村、旧下登沢村の総鎮守だった。
境内には江戸郊外三大相撲のひとつ「金王相撲」の相撲場跡がある。
【撤饌】
・羊羹「夜の梅」(港区・虎屋製)、50g入り2本
氷川神社(五反田)
【御鎮座】 東京都品川区西五反田5-6-3
【御祭神】 素盞嗚尊
【社格】 旧村社
【御神紋/社紋】 八劔(または十六菊に八劔)
【御由緒】
創建年代は不詳。文化文政年間(1804~1829)に編纂された武蔵國地誌『新編武蔵風土記稿』に、「鎮座年代詳ならず 昔は年貢地なりしが元禄年中より社地免除あり」などと記載があることから、江戸時代以前には既に鎮座していたと考えられている。
元々、御紋は十六菊に八劔だったが、皇室の十六菊を用いることは畏れ多いとして、最近では主に八劔を採用。八劔の紋は、御祭神の素盞嗚尊の八岐大蛇退治と、大蛇の尾から出てきたという天叢雲劔(草薙の劔)に由来する。江戸時代には、桐ヶ谷村と呼ばれた西五反田一帯の鎮守だった。
境内に自然に湧き落ちる「氷川の滝」または「氷川の縣泉」は、江戸七瀑布のひとつ。
【撤饌】
・十六菊に八劔の御紋を模った白雪糕、紅白各1個
常陸國總社宮
【御鎮座】 茨城県石岡市総社2-8-1
【御祭神】 伊邪那岐命、素盞鳴尊、瓊瓊杵尊、大國主命、大宮比売命、布瑠大神
【社格】 旧県社、常陸國総社
【御神紋/社紋】 十六八重菊
【御由緒】
創建年は定かではない。社伝によると、天平年間(729~748)に、時の帝・聖武天皇の勅命により、全ての神々の中でも特に御神徳の高い六柱を勧請、合祀し、各國の鎮護として定められた折、当社も創建されたといわれる。文献に見える初見は『古事類苑多武峯略記』の中の、延長4年(926)に総社を造ったと記されている項である。『常陸風土記』『府中古事記』には、当社は常陸國内の明神大社七社である神鹿島大神、静神社、吉田神社、大洗磯前社、酒列磯前社、稲田神社、筑波社の神々を合祀する、と記されているが、当社の御祭神に符合しない。時代を経て御祭神が変わったのか、記述違いなのか、別の社が総社であったのかなど、憶測は尽きないが、いずれも確証はない。
【撤饌】
・御神酒「石岡清酒 府中譽」(石岡市・府中譽製)、180ml入り1瓶
・御紋型に「總社宮」の文字を配した白雪糕(石岡市・高野菓子店製)紅白各1個
日御碕神社
【御鎮座】 島根縣出雲市大社町日御碕455
【御祭神】 日沈宮=天照大御神、神の宮=素盞嗚尊
【社格】 式内小社、旧國幣小社、別表神社
【御神紋/社紋】 三ツ柏
【御由緒】
日御碕神社は天照大御神の和魂を祀る日沈宮(下の宮)と、素盞嗚尊の奇魂を祀る神の宮(上の宮)の両宮から成る。社伝によると、出雲の國造りを終えた素盞嗚尊が、紀の國の熊成峯に登って自らが鎮まるべき地を占うべく柏葉を投げたところ、柏葉は風に乗って「隠ヶ丘」に舞い落ちた。このため、素盞嗚尊の五世の孫である天葺根命は素盞嗚尊の御霊をこの地に祀ったといわれている。これが、神の宮創建の由来である。(しかし、その後、素盞嗚尊は根堅州國(地下の國)に住まうようになった)隠ヶ丘は現社殿の裏側にある古墳だ。
また、天葺根命が現鎮座地のすぐ近くの経嶋にいた頃、目の前の清江の浜に出かけた時、嶋の百枝の松に瑞光が射し、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との天照大御神の御神託を得た。そこで天葺根命はすぐに経嶋の頂に天照大御神を祀ったという。これが日沈宮創建の由来である。
歴史的には、神の宮は第三代安寧天皇の御宇13年(紀元前537)に勅命により現社地に遷座され、百枝松を御神木として奉祀された。日沈宮は、聖武天皇の御宇の天平7年(735)に「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」との勅命によって経嶋に天照大御神を御祭神として祀っていたが、その後の天暦2年(948)、時の村上天皇の勅命により現在地に遷座された。夕日を餞け鎮め祀る聖地とされてきた。
また、733年に完成した『出雲國風土記』には美佐岐社、927年編纂の『延喜式神名帳』には御碕神社として掲載されているが、村上天皇による日沈宮の遷座の際、國家守護の宮としての「日」の字を村上天皇より賜り、神の宮と併せて「日御碕大神宮」の社号で呼ばれるようになった。明治維新(1868)後に日御碕神社と改称。
出雲大社が祀る大國主大神の祖神である素盞嗚尊を祀っていることから、「出雲大社の祖神(おやがみ)さま」として親しまれている。
御神紋の「三ツ柏」は、素盞嗚尊の柏葉の占いに由来している。
【撤饌】
・「カットわかめ」(出雲市大社町・田中大成製)、60g入り1袋
日向大神宮
【御鎮座】 京都府京都市山科区日ノ岡一切経谷町29
【御祭神】 内宮(上ノ本宮)=天照大御神、宗像三女神(多紀理毘賣命、市寸島比賣命、多岐都比賣命)
外宮(下ノ本宮)=天津彦火瓊々杵尊、天之御中主神
【社格】 式内小社、旧府社
【御神紋/社紋】 十六八重菊
【御由緒】
第二十三代顕宗天皇(在位:485~487)の御代に、筑紫は日向國の高千穂の峯の神蹟を遷して創建されたと伝わる。伊勢神宮外宮の豊受大御神が伊勢に遷座する以前に鎮座していたといわれる丹後國一宮の籠神社と伊勢神宮の中間地点に当社・日向大神宮があることから、豊受大御神が遷座の途上の一時期(雄略天皇の御代456年~479年頃か)、当地に鎮座していたとも考えられる。ただし、京都市教育委員会は当社の創建は清和天皇(在位:858~876)の頃としている。
927年編纂の『延喜式神名帳』に「山城國宇治郡 日向神社」と記される小社であるとされているが、これに対する異論も存在する。「山城国宇治郡 日向神社」は本来は現在の六地蔵近くにある「日向」の地であるとする説もある。 いずれにしても、京都最古の宮といわれる。古くは日向宮、日向神宮、粟田口神明宮、日岡神明宮とも称した。内宮と外宮が奉齋され、「京のお伊勢はん 」として崇敬されている。応仁の乱(1467~1477)後に衰退したが、江戸時代(1603~1867)初期に崇敬者によって復興された。京都の出入口「京の七口」のひとつ「粟田口」にあることから、江戸時代には京を出る際の道中祈願のために参詣する東海道/中山道の旅人で賑わったという。
日御山、神明山と称される周囲の山は当社の神体山となっている。
【撤饌】
・「なめ茸茶漬」(京都市西京区・錦味製)、120g入り1箱
氷室神社(奈良市)
【御鎮座】 奈良縣奈良市春日野町1-4
【御祭神】 闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命(仁徳天皇)、額田大仲彦命
【社格】 式内小社(論社)、旧村社
【御神紋/社紋】 竹に雀、十六八重菊
【御由緒】
氷室については、『日本書紀』などに発見の経緯が記されている。曰く、仁徳天皇(在位:313~399)の御世62年(375)に、皇弟の額田大中彦命が闘鶏(現・都祁とも)に狩に出かけた際、山中に洞を見つけ、側にいた闘鶏稲置大山主命にこの洞は何かと問うたところ、闘鶏稲置大山主命は「氷室です」と答えた。額田大中彦命はこの洞から氷を持ち帰り、天皇に献じたという。
奈良時代には各地に氷室が設けられたが、特に重要視されていた春日の氷室が、当社の根本といわれる。『氷室神社縁起』によると、当社は、元明天皇の御世の和銅3年(710)、春日の三笠山麓を流れる吉城川の上流にある月日磐に氷室を設けて奉祀したことに始まる。吉城川氷室、春日氷室、水谷氷室などと称されたこの氷室で氷を蓄え、翌年夏に平城京に献氷。勅祭の献氷祭も行われていた。氷室の氷は、夏の天候を呪う際に用いられたりした。
清和天皇の御世の貞観2年(860)、現在地に遷座。当初は氷室創始の神・闘鶏稲置大山主命のみ祀っていたが、この時、大鷦鷯命(仁徳天皇)と額田大仲彦命(仁徳天皇の皇弟)の二柱を配祀して三座とされた。ただし、社殿が造営されたのは健保5年(1217)になってからといわれる。
添上郡(一部現奈良市)の高橋神社とは延喜式小社の論社となっている。
社紋は、社家曰く「竹に雀」(「竹輪に三羽飛び雀」か)。ただし、瓦などを見ると、「丸に九枚笹」にも見える。
【撤饌】
・御神酒「上撰 清酒 嬉長」(生駒市壱分町・上田酒造製)、100ml入り1瓶
御紋菓「落雁」(天理市櫟本町・丹波屋善康製)、紅白各1個。
日吉大社
【御鎮座】 滋賀縣大津市坂本5-1-1
【御祭神】 大山咋神(東本宮)、大己貴神(西本宮)
【社格】 式内名神大社、二十二社、旧官幣大社、別表神社
【御神紋/社紋】 双葉葵(東本宮)、牡丹(西本宮)
【御由緒】
初見は、「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海國の日枝の山に坐し」と記された『古事記』(和銅5年/712年)のくだり。元は、牛尾山(八王子山)の山頂にある磐座を信仰の地としていた。磐座を挟んで鎮座する牛尾神社と三宮神社の二社が奥宮で、牛尾神社の里宮として崇神天皇の御宇7年(紀元前91)に造営されたのが、現在の東本宮といわれる(三宮神社の里宮は樹下宮)。天智天皇によって近江に都が遷されると(天智天皇6年/667年)、近江大津京の鎮護として大和國の大神神社の御祭神・大己貴神が勧請され、これが現在の西本宮となる。御神格としては大山咋神(東本宮)よりも大己貴神(西本宮)の方が上位であるため、西本宮が大宮と呼ばれた時期もあった。
東西本宮に加え、牛尾宮(大山咋神荒魂、くずれ菊紋)、樹下宮(鴨玉依姫命、十八葉菊紋)、三宮宮(鴨玉依姫命荒魂、桐紋)、宇佐宮(田心姫神、橘紋)、白山宮(菊理姫命、杉紋)の五摂社を併せて日吉七社と称する。
延暦13年(794)の平安京遷都以降は、当社が京の表鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されてきた。また、比叡山の地主神でもあったため、天台宗延暦寺の守護神としての崇敬も集め、中國の天台宗の本山・天台山國清寺で祀られていた山王元弼真君に倣って当社も俗に山王権現と称された。全国に2000余社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮。
天正14年(1586)建立の西本宮本殿と、文禄4年(1595)建立の東本宮本殿はそれぞれ國宝に指定されている。
【撤饌】
・「御饌米」1包
・「御神茶」1包。※日本茶は元々、天台宗の開祖・伝教大師が中國から茶の種子を持ち帰り、日吉大社の境内で栽培したことが起源と伝えられる。境内には今も「日吉茶園」がある。また、弘仁6年(815)、近江に行幸した嵯峨天皇が日吉茶園の茶で献茶を受けたことが『日本後記』に記されており、これが日本正史における喫茶の初見である。
・「そばぼうろ」(大津市・鶴喜そば製菓製)、10枚入り1袋
平潟神社
【御鎮座】 新潟縣長岡市表町1-6-1
【御祭神】 健御名方富命
【社格】 旧縣社
【御神紋/社紋】 丸に梶の葉
【御由緒】
創建年は不詳。聖武天皇の御宇の天平8年(736)、当地で悪病が流行した際、北陸巡錫で当地を訪れた行基が、自作の普賢菩薩の像を当社の鎮守神に奉納して祈念したと伝えられていることから、それ以前の創建と考えられている。
社号は、地名に由来する。古く、今の長岡主要部を平潟原と称していた。元の社殿は藩主牧野家の城址(現・長岡駅)の乾方にあり、平潟殿と称していた。
御祭神が諏訪明神の健御名方富命であることから、御神紋も梶を用いている(諏訪大社の御紋「諏訪梶」とは若干異なる)。
【撤饌】
・御紋の「丸に梶の葉」をあしらった碁石大の白雪糕、紅白各1個
平塚八幡宮
【御鎮座】 神奈川縣平塚市浅間町1-6
【御祭神】 應神天皇、神功皇后、武内宿禰命
【社格】 旧縣社、別表神社
【御神紋/社紋】 鶴丸、三つ巴
【御由緒】
社伝によると、仁徳天皇の御代68年(380)、相模國一帯で大地震があり、里人の苦難の様子を聞こし召した天皇が、国土安穏を祈願して應神天皇を奉祭したのが当社の起源とされる。鎌倉の鶴岡八幡宮他の創建より遥か前には、相州一國一社の八幡宮として「鎮地大神」と仰がれていたという。
古くは、鶴峯山八幡宮と称されていたため、現在もその名残として御紋に鶴丸を用いている。(ちなみに、鶴峯山八幡と称す神社は、神奈川県茅ヶ崎市をはじめ、全国各地に存在する)明治6年(1873)に社号を「八幡神社」と改称。更に、昭和53年(1978)には「平塚八幡宮」に改称され、現在に至る。
【撤饌】
・御紋の鶴丸を打ち出した落雁、紅白各1個
平野神社
【御鎮座】 滋賀縣大津市松本1-8-25
【御祭神】 大鷦鷯皇命(仁徳天皇)
【社格】 ?
【御神紋/社紋】 桜に平の字、蹴鞠
【御由緒】
天智7年(668)の創祀と伝えられる。天智天皇による近江大津宮への遷都の際、都の三里以内に都の守護神として大鷦鷯皇命(仁徳天皇)が藤原鎌足によって祀られたと伝えられる。
また、相殿に祀られる精大明神(猿田彦命)は、蹴鞠の守護神として信奉されており、古くから当社は蹴鞠の神社としても名高い。元々、皇極天皇元年(642)に、現在でいう京都西洞院滋野井に鎮座していた精大明神の御神託を得て、大明神を大津松本本宮狐谷に遷したといわれる。元は広大な社殿の大社であったが、応仁の乱で焼失したまま、しばらく荒廃していた。その後の天正2年(1574)に平野大明神の相殿に遷座された。
平安時代の村上天皇の御世の天徳年間(957~961)に宮中で蹴鞠が盛んに行なわれるようになると、蹴鞠の家である飛鳥井家、難波家は晴れの鞠会の前には必ず当社に参拝し、蹴鞠や和歌などを奉納した。現在も毎年8月9日には境内で蹴鞠が奉納される。
【撤饌】
・御紋の蹴鞠を象った落雁(大津市中央・藤屋内匠製)、紅白各1個
・平ゆば「比叡ゆば」(大津市中央・比叡ゆば本舗ゆば八製)、3枚入り1袋
廣瀬神社
【御鎮座】 奈良縣北葛城郡河合町川合99
【御祭神】 若宇加能売命
【社格】 式内名神大社、二十二社、旧官幣大社、別表神社
【御神紋/社紋】 橘、十六八重菊
【御由緒】
当社縁起によると、当地はかつては水足池と呼ばれる広い沼地だったが、崇神天皇の御宇9年(紀元前89)に廣瀬河合の里の長・廣瀬臣藤時に御神託があり、沼地は一夜にして陸地となり、幾千株もの橘の樹が生えた。この椿事が天皇に伝わり、当地に社殿を建てて祀るようにとの勅があったことが、創建の由来という。現在、拝殿の西にある小池が沼地だった頃の名残とされ、「水足池」と呼ばれている。
一方で、『日本書紀』(720)の天武天皇4年(675)の条には、風神を龍田立野に祀るのと同時に、小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主として大忌神を廣瀬の河曲に祀った、との記述があり、天武朝の創建説が有力。同じく『日本書紀』には、同13年(684)に天武天皇が当社に行幸されたことも記されている。
鎮座地は、佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川、高田川など、奈良盆地を流れる主だった全ての川が合流する地点に当たることから、御祭神の若宇加能売命は水の神とされている。当社によれば、御祭神はまたの名を豊宇気比売大神(伊勢神宮外宮)、宇加之御魂神(京都伏見稲荷)、廣瀬大忌神とも称し、全て同じ神であるという。しかし、本来の御祭神は長髄彦であるとする説もある。長髄彦は、初代天皇の神武天皇(紀元前711~紀元前585)の東征の際、大和地方での抵抗部族の長であり、『古事記』(712)では那賀須泥毘古と表記される人物。当社社家の樋口家は、饒速日命を祖神とする物部氏の末裔といわれる。当社に配祀されている櫛玉命とは饒速日命のことであり、饒速日命は長髄彦の妹・三炊屋媛を娶ったとされており、『古事記』の中で長髄彦(那賀須泥毘古)は、饒速日命に仕えていると述べている(しかし、神武天皇と長髄彦の間を取り持つことができなかった饒速日命は、長髄彦を殺してしまう)。
御紋の「橘」は、創建時に橘が群生した故事に因むもの。現在は橘の群生はないが、境内には橘の樹が植えられている。
毎年2月に祭行される御田植祭の中での奇祭「砂かけ祭り」で有名。
元は廣瀬神社と称したが、第二次大戦後に社号を廣瀬大社と改めた。
【撤饌】
・おぼろ昆布、30g入り1箱
・御紋の「橘」の焼印を押した「麩焼せんべい」(大阪府八尾市・桃林堂製)、紅白各1枚
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