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撤饌 頁十八

【つ】

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調神社

【御鎮座】 埼玉縣さいたま市浦和区岸町3丁目17-25
【御祭神】 天照大御神、豊宇気姫命、素盞嗚尊
【社格】 式内小社、旧県社
【御神紋/社紋】 十六八重菊に三つ巴
【御由緒】
 『調宮縁起』によると、第九代開化天皇(紀元前208~前98、在位は前158~紀元前98)の御代の乙酉の年、すなわち2年(前156)に、所祭奉幣の社として創建された伝えられる。
 その後、第十代崇神天皇(前148~前29、在位は前97~前29年)の頃、伊勢の神宮の斎主・倭姫命が、神宮に献上する調を収納する倉庫を当地に建て、武蔵國、総國の調の集積所としたといわれる。調とは、古代律令政下の租税制度において民に賦課された税で、繊維製品、地方特産品、貨幣などが納められた。ただし、租庸調制が導入されたのは七世紀後半であり、総國も律令制以前の下総、上総、安房の三國を合わせた地域の呼称である。また、倭姫命が斎宮を務めた期間は、紀元前8年~紀元後90年であり、崇神天皇の御代より後のできごととも考えられるし(第十一代垂仁天皇の在位は紀元前69年~紀元後70年)、あるいは倉庫を築かせたのが倭姫命ではなかったとも考えられる。当社の鎮座地が上古より聖地であり、租庸調制の導入後に、ここに倉が設けられ、社号も定まったと考えてもよさそうだ。
 倭姫命の命により、調の運搬の妨げとなる鳥居や門が取り払われたと伝えられる。今でも、鳥居のない神社として知られる。
 調を「つき」と読むことから、中世になると「月」にかけて月待信仰と結びつき、江戸時代になると月読社とも称された。月の神の使いとされる兎の彫刻などが随所にあり、狛犬の代わりに狛兎が置かれている。
 地元では「つきのみや」と呼び親しまれている。
【撤饌】
・御神酒、1瓶

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椿大神社

御鎮座: 三重縣鈴鹿市山本町1871
御祭神: 猿田彦大神
社格: 式内小社、旧縣社、別表神社、伊勢國一宮
御神紋/社紋: 三つ巴
御由緒:
 社伝によると、当初は鈴鹿山系中央の高山(入道ヶ嶽)、短山(椿ヶ嶽)を自然の社として猿田彦大神を祀っていたが、垂仁天皇の御代27年(238)、大神御陵(猿田彦大神の墳墓)前方にある御船磐座の側に、瓊々杵尊と栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営したという。
 高山山頂には現在は奥の宮が置かれている。
 昭和初期の内務省神社局(当時)の調査で、猿田彦大神を祀る全國2000社余の中でも、最も古くから大神を祀っている社が椿大神社であるとされ、地祗猿田彦大本宮(猿田彦大神を祀る神社の総本社)に認定された。同じく鈴鹿市内にある都波岐神社とは、どちらが本来の伊勢國一宮であるか論争になっている。椿大神社によると、平安時代の資料に、都波岐神社が伊勢國一宮であると記されているものがあり、また同様に椿大神社が伊勢國一宮であるとするものもあり、両社とも一宮を名乗るに到ったという。しかし、両社に関連はなく、社家同志も繋がりはないそう。
 椿大神社の社家・山本家は、猿田彦大神の子孫である行満大明神(役行者を導いた修験道の開祖)の末裔であると伝えられている。つまり、猿田彦大神の神裔ということになる。
 鎮座地の山間の集落も「山本町」と呼ばれるが、町内には社家以外に同姓は全くない。以前は村の小さなお社だったというが、先代の宮司の頃、大きく発展した。松下幸之助が社殿を寄進するなどして、今は立派な社になっている。境内には松下幸之助を祭神とする松下幸之助社もある。
撤饌:
・清酒「宮の雪」(150ml入り1瓶、四日市市・宮﨑本店製)。

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都波岐神社・奈加等神社

御鎮座: 三重縣鈴鹿市一ノ宮町1181
御祭神: 猿田彦大神(都波岐神社)、天椹野命、中筒男之命(奈加等神社)
社格: 式内小社(両社)、旧縣社(両社)、伊勢國一宮(都波岐神社)
御神紋/社紋: 三つ巴
御由緒:
 雄略天皇の御代23年(479)に、御祭神・猿田彦大神の八代後の子孫である伊勢國造・高雄束命が勅命により都波岐神社と奈加等神社の2社を造営したことが始まりと伝えられる。明治時代に2社を合併し、今はひとつの社殿で二社を相殿として祀っている。都波岐神社は伊勢國一宮。
 創建時に、奈加等神社の御祭神・天椹野命の十五代後の子孫・中跡直山部広幡が初代祭主を勤めて以来、代々その子孫が神主を継承。当代で五十八代となる。
 鎮座地から遠からぬ鈴鹿市山本町に、同じく伊勢國一宮の椿大神社がある。同じ御祭神を祀っていること、社紋が同じであること、供に式内小社、旧県社、伊勢國一宮であること、読みも同じ「つばき」であることから、何らかの関連があると思われるが、都波岐神社・奈加等神社によると、関連はないという。
 平成9年に不審火により社殿などを消失。昔の面影が失われてしまった。
撤饌:
・「知恵おこし」(大阪府堺市・つのせ製)、ココア3枚、アーモンド入り3枚。

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鶴岡八幡宮

御鎮座: 神奈川縣鎌倉市雪ノ下2-1-31
御祭神: 応神天皇、比売神、神功皇后
社格: 旧國幣中社、別表神社、相模國一宮
御神紋/社紋: 鶴の丸
御由緒:
 康平6年(1063)、奥州平定の後に鎌倉に戻った源頼義が、源氏の氏神である八幡神の御分霊を石清水八幡宮より勧請して由比ヶ浜に祀る。
その後、源頼朝が源氏を再興、鎌倉入りした治承4年(1180)に現在地に社殿を遷し、建久4年(1191)に現在の姿に造営。鎌倉幕府宗社。
撤饌:
・御神酒(瓶子入り)、1本
・御神酒「吟醸酒 清酒  高清水 静の舞」(秋田県秋田市、秋田酒類製造製)、300ml入り1本
・御紋菓の落雁、紅白各1個
・麩焼煎餅(鎌倉市・豊島屋製)。「鶴岡八幡宮」の文字入りのプレーン、神紋(鶴丸)の抹茶味、八幡の神使の二羽の鳩を模った「八」の字の図案の黒糖味の3種
・豚汁、ご飯、漬物(12月16日の夜神楽の直会)

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劔神社

【御鎮座】福井縣丹生郡越前町織田113-1
【御祭神】 素盞鳴大神、氣比大神、忍熊王 
【社格】 五つ木瓜(織田木瓜)
【御神紋/社紋】 式内論社、越前國二宮、旧国幣小社、別表神社
【御由緒】
 社伝によると、神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王が、垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命が造らせたと伝えられる神劔をもって高志國(越國)を平定。神劔は素盞嗚尊の御神霊の依代とされたことから、伊部郷の座ヶ岳の山頂に素盞嗚尊を劔大明神として祀ったことに始まると伝えられる。後に伊部臣が山頂から御神霊を勧請し、現在地に社を建てて祀ったという。
 平定後、忍熊王は当地を開拓。開拓の祖神として信奉されている。
 『延喜式』「神名帳」に掲載されている「越前國敦賀郡 劔神社」の論社。もう一社は敦賀市莇生野に鎮座する劔神社。
 戦国武将・織田信長の氏神としても知られる。織田氏は元々、当地の荘官であり、代々劔神社の神官として奉仕していた。それが守護大名の斯波氏に随行して尾張へ移り、武士として尾張に土着したといわれている。信長は祖先の郷として織田庄とその氏神である劔神社を厚く保護した。
 天正10年(1582)に信長が本能寺の変で討たれると、織田庄の人々は信長の功績と威徳を偲び、劔神社境内に小松社に合祀した。以降、併せて小松建勲神社と号す。
 ちなみに、小松神社については、平重盛(小松殿)に由来する。平安時代、劔神社の神官であった忌部頼親が秘蔵していた和歌の書物を力尽くで手に入れようとした平清盛が、織田庄まで攻め入って頼親の屋敷や社殿を焼いてしまった。これを知った清盛の息子・重盛は、越前が自身の領國であったこともあり、父の悪行を嘆いて劔神社を復興させ、更に広大な神領を寄進した。劔神社に残る古文書にも、「小松殿御寄進」が記録されている。重盛が病没した後、境内には末社として小松社が建てられた。更に、後世になって信長を祀る建勲社を合祀したことで小松建勲神社と改称したことは前述の通りだが、信長と平重盛を共に祀っていることから、信長が重盛の子孫であるという混乱が世に生じ、織田信長が桓武平氏であるというのいわゆる「源平交代思想」(源氏政権の打破)と混同してしまったようだ。
 当宮所蔵の「神護景雲四年銘梵鐘」は國宝。奈良時代より朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けており、この梵鐘も第四十九代光仁天皇の御奉納といわれている(弓削道鏡が失脚した際、神馬とともに奉納したものとも)。
【撤饌】
・御神酒「清酒 金栄山」(福井縣南条郡・畠山酒造製)、180ml入り1瓶
・瓦煎餅、2枚1包×5袋入り1箱
・「焼海苔」(福井縣福井市・駒屋製)、全型5枚入り1袋
・「いりごま」(愛知縣名古屋市・浜乙女製)、50g入り1袋