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撤饌 頁十三

【す】

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水天宮

【御鎮座】東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1
【御祭神】 天御中主大神、安徳天皇、建礼門院、二位の尼
【社格】 無格社
【御神紋/社紋】 椿
【御由緒】
日本神話における天地創造の神の一柱、天御中主大神、第81代安徳天皇、その母・建礼門院徳子、祖母・二位の尼を祀る。
本宮は福岡縣久留米市の水天宮(久留米水天宮)。寿永4年(1185)に壇ノ浦で安徳天皇が入水、平家一門が滅亡した。安徳天皇を抱いて入水したとされる按察使局だが、実は生き残っており、九州に渡って鷺野ヶ原に祠を立てて天皇をはじめ平家一門の霊を祀ったとの伝承がある。剃髪した按察使局(伊勢、後に千代)は、尼御前と呼ばれたことから、祠は後に尼御前神社と呼ばれるようになった。これが水天宮の始まりといわれる。後に久留米藩第2代藩主有馬忠頼が久留米市瀬下町に社殿を築かせ、遷座させ、水天宮本宮とした。
日本橋の当社は、江戸時代の文政元年(1818)に第9代久留米藩主の有馬頼徳によって三田(赤羽根)にあった久留米藩邸内に久留米より勧請したことに始まる。当時、既に子宝に霊験があるとして知られていた水天宮は、庶民からも崇敬され、特例として毎月5日を縁日として藩邸内ながら一般参拝も認められていた。明治4年(1871)に有馬邸が赤坂に移転すると、邸内の水天宮も併せて遷座。更に、翌明治5年には有馬家の中屋敷のあった日本橋蛎殻町に遷され、現在に至る。
安徳帝が入水したことから、水の神である水天(仏教の神・天部)とされた。明治以前か、神仏習合思想から、「水」繋がりで水分神(みくまりのかみ)と習合。「みくまり」の音が「みこもり」に似ていることから、「身ごもり」「御子守」に通じるとされ、子育ての神として信仰を集めるようになった。
犬はお産が軽く、子だくさんであることから、戌の日は安産祈願の参拝者でにぎわう。
安徳帝が実は按察使局に守られて落ち延び、筑後鷺野ヶ原(久留米)の千寿院で余生を送ったとの伝承がある。彼の地で平氏旧臣の藤原種継の娘・玉江姫と恋仲になった安徳帝は、千寿院の井戸の傍らに咲く美しい椿の花を玉江姫に例えて歌を送ったといわれ、水天宮ではその伝承に因んで椿の花を紋としている。
【撤饌】
・御供米、1包

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菅原天満宮

御鎮座: 奈良縣奈良市菅原町518
御祭神: 天穂日命、野見宿禰、菅原道眞公
社格: 式内小社、旧郷社
御神紋/社紋: 梅鉢
御由緒:
 創建の詳細は定かではないが、当地は元々、大和内での土師氏の拠点であり、土師氏が祖神の天穂日命を祀っていたことに始まるといわれ、当初、御祭神は天穂日命のみだったと考えられている。天穂日命は野見宿禰の始祖とされており、「土師」は野見宿禰が垂仁天皇より賜った姓といわれる。
 また、平安時代の学者・菅原道眞(845~903)は、野見宿弥の十七世の子孫で、菅原氏の祖先の出自は当地といわれている。この辺りはかつて菅原邑と呼ばれており、菅原の地名自体は平城京(710~784)以前よりあったという。現在は菅原の里とも称されている。菅原氏が住んでいた地ということで、当地には菅原道眞誕生の地との伝承がある。生母が、菅原氏の本拠である当地に戻って道眞を出産したというもので、当社の東北約100メートルの地点には、道眞の産湯池と伝えられる「誕生池」の遺跡もある。しかし、道眞の誕生地伝承は各地にあり、いずれも確たる史料はない。
 社号は元々、菅原神社であったが、平成14年に菅原天満宮と改称。
撤饌:
・梅干(境内の梅の実を乾燥させたもの)
・ 「菅公せんべい」(奈良市二条町・横田福栄堂製)、10枚入り1袋
・ペットシュガー(大阪府大阪市・日清精糖製)、5g×10本入り1箱
・調味梅干「菅公の梅」(奈良市高畑町・日昴食品NM製)、250g入り1瓶

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洲崎神社(横浜市金沢区)

御鎮座: 神奈川県横浜市金沢区洲崎町9ー28
御祭神: 誉田別命
社格: 旧神饌弊帛料供進神社
御神紋/社紋: 三つ巴
御由緒:
 創建年は不詳。元は、富岡村-柴村間の長浜に、第六天社として鎮座していた(現・金沢区長浜)。応長元年(1311)に付近が大波のため壊滅的な被害を受けると、住民の一部は洲崎の地に移住。その際、産土神である第六天社も奉じて祀った。
 明治維新(1868)の際には、神仏分離によって第六天社から洲崎神社と改称。江戸時代より、安房國(現・千葉県)一宮の洲崎神社に対する航海神としての信仰が江戸湾沿いに蔓延し、多くの洲崎神社が建立されたが、当社もその影響を受けたものか。ただし、多くの洲崎神社が天太玉命や天比理乃咩命を御祭神としているのに反し、当社では八幡社の神である誉田別命を御祭神としている。紋も八幡社の三つ巴。
 明治初期には現在の家津良町道路の真上に建っていたが、明治376年(1903)の道路改修に伴い、翌年には現在地に遷座させられた。
撤饌:
・上白糖(東京都中央区・三井製糖製)、1kg入り1袋

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雀神社

御鎮座: 茨城縣古河市宮前町4-52
御祭神: 大己貴命(大國主神)、少彦名命(医薬の神)、事代主命(えびす神)
社格: 旧郷社
御神紋/社紋: 三つ銀杏
御由緒:
 確かな創建年は不詳だが、清和天皇(在位:858~876)の御宇の貞観年間(859~877)に、出雲國の出雲大社より御神霊を勧請したのが始まりといわれる。初代古河公方の足利成氏以来、歴代の古河城主から篤く崇敬され、保護されてきた。
 社号は、「國を鎮めの神」の「しずめ」が「すずめ」と変化したためであるとか、あるいは、往古、この辺りを「雀が原」といったためとかいわれている。地元の人々からは「お雀様」と呼び親しまれている。
撤饌:
・「昆布茶」(大阪府松原市・廣川製)、あられ昆布茶3本・あられ入り梅昆布茶2本入り1箱

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墨坂神社

【御鎮座】 奈良縣宇陀市榛原区萩原703
【御祭神】墨坂大神
【社格】 旧縣社
【御神紋/社紋】 右離れ立ち葵
【御由緒】
 創建年は不詳だが、神武天皇の東征時には既に墨坂の地に神が祀られており、地名から墨坂大神と称されたといわれる。また、『日本書紀』にも墨坂の神に関する記載が見える。曰く。崇神天皇9年(紀元前89)、天王の夢枕に神が現れ、「赤盾八枚、赤矛八竿をもって、墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大阪の神を祀れ」とのご神託を下された。その通りにすると、当時流行していた疫病が収まった。ちなみに、「大坂の神」は奈良縣香芝市逢坂の大坂山口神社に比定されている。このような古社ながら、『延喜式』の「神名帳」にはその名が見えない。
 元は現在地より北西1キロほどの伊勢街道沿いの天神の森(榛原町西峠字天の森)に鎮座していた。この森は、「神武紀」の中で兄磯城が炭に火をつけて天皇軍を阻んだとされる鳥見の霊の畤の跡地といわれる。文安6年(1449)にこの森から現在地に移座した。御祭神の墨坂大神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の6柱の総称であり、明治期までは「六社権現」「天野宮」と称されていた。天野は、鎮座地の古くからの地名で、天富命の邸跡とも伝えられる。明治期までは神宮寺の遍照山薬王院天野寺があった。
【撤饌】
・「本節けずり」(大阪府住吉区・日鰹販売)、4g入り3袋
・御塩、1包

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住吉大社

御鎮座: 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
御祭神: 底筒男命(第一本宮)、中筒男命(第二本宮)
      表筒男命(第三本宮)、息長足姫命(神功皇后、第四本宮)
社格: 式内名神大社、二十二社、摂津國一宮、旧官幣大社、別表神社
御神紋/社紋: 花菱 三つ巴
御由緒:
 創建は神功皇后摂政の11年(211)と伝えられる。第十四代仲哀天皇(在位:192~200)がその治世の9年(200)に急死した後、神宮皇后(170~269)は御腹に御子(後の応神天皇)を宿していたが、住吉三神の御神託により新羅・高句麗・百済の三韓征伐を決意する。朝鮮出兵を終えた神宮皇后は、七道の浜(現大阪府堺市堺区七道付近)に帰還。この時、三神の和魂を大津渟中倉長峡に祀れとの御神託があったため、皇后が天火明命の末裔の尾張氏の一族である摂津國住吉郡の豪族・田裳見宿禰に命じて住吉三神を祀らせた。以上が、創建の由来。その後、神宮皇后も合祀され、三神と併せて住吉大神と称す。田裳見宿禰の子・津守豊吾団を祖とする津守氏が、歴代宮司を務めていた。
 住吉三神について。和銅5年(712)の『古事記』や養老4年(720)の『日本書紀』によると、黄泉の國から戻った伊弉諾尊が、穢れを清めるために日向の檍原の海で禊をした時、綿津見三神と共に生まれたのが住吉三神であると記されている。禊の際、海底より底筒男命が、海の中ほどより中筒男命が、海面近くより表筒男命が出現したといわれ、この三柱の海の神を住吉三神と称す。
 一説には、「筒(つつ)」とは星を指す言葉であり、住吉三神はオリオン座の三ツ星を表わしているとも。目印の少ない海上ではオリオン座を目印としたことから、海の神として神格化したという説である。他にも、「土」「伝う」「津之男」「対馬の豆酸」「帆柱の筒」など、語源には諸説がある。
 また、住吉三神は元は綿津見三神と同神であったが、古代王権が九州から畿内に遷ると、住吉三神に転じ、九州には志賀海神社(福岡県福岡市)に綿津見三神が残されたとの説もある。住吉大神宮とも称す。地元大阪では「すみよっさん」とも呼び親しまれている。大阪、下関、博多にそれぞれ鎮座する住吉社を併せて日本三大住吉と呼ぶ。全國約2300余の住吉神社の総本宮。ただし、日本の住吉社の中では最古の社ではないと考えられている。
 御祭神四柱はそれぞれ本宮(神殿)を持ち、四殿とも國宝に指定されている。四殿とも海(西方)に向かって建てられており、海上交通や貿易との深い関わりを窺わせる。
撤饌:
・清塩、300g入り1袋
・御神酒「銀極辛口 住吉」(山形縣東置賜郡川西町・樽平酒造製)、180ml入り1瓶
・御米、干イカ、昆布、各1包入り1袋
・太白おぼろ昆布、とろろ昆布、各1袋入り1箱
・「本節削節」(大阪市阿倍野区・タマキ販売)、100g入り1袋
・御神紋を模った白雪糕(堺市堺区・丸市菓子舗製)、紅白各1個
・「汁粉」(住吉区東粉浜・末廣堂製)、餢飳(ふと)型(小豆色)、糫餅(まがり)型(白色)、卯(兎)型、各1個。餢飳、糫餅は、当社に伝わる特殊神饌の形を模したもの。兎型は、住吉大社が卯年・卯月・卯日に鎮座したことに由来する。
・焼き菓子「さつま焼」(住吉区東粉浜・末廣堂製)

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諏訪大社

御鎮座: 上社本宮  長野県諏訪市中洲宮山1
      上社前宮  長野県茅野市宮川2030
      下社春宮  長野県諏訪郡下諏訪町193
      下社秋宮  長野県諏訪郡下諏訪町5828
御祭神: 建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神
社格: 式内名神大社、旧官幣大社、別表神社、信濃國一宮
御神紋/社紋: 諏訪梶(下社は三葉の梶に柄5本)
御由緒:
 日本最古の神社の一つに数えられる。鎮座の年代等の詳細は不明だが、延喜式神名帳には南方刀美神社と記されていることから、当時から信濃國四十八座の第一として広く信仰を集めていたことが伺える。下社は、上社の建御名方の妃神である八坂刀売命を主祭神として祀る。八坂刀売は下社背後の和田峠守護の神。諏訪大社下社では、約1㎞隔てた秋宮と春宮の社間で、御祭神の御霊代を半年ごとに遷座する。
 古くは、下社は別の神社であったとも。
 全国にある諏訪社の総本宮。
 御紋は諏訪梶であるが、上社下社で微妙に異なる。上社の社家・諏訪氏は平安末期頃には武士化し、後に諏訪の高島城主となる。そのため、上社の御神紋と高島藩の家紋は同じ丸に四本足の諏訪梶。一方、金刺氏が神官を務めた下社の御神紋は五本足の諏訪梶で、丸の囲いはない。
撤饌:
・蕎麦落雁(茅野市・渡辺製麺製)、6枚入り1箱。原材料は豆の粉、蕎麦粉、砂糖のみで、蕎麦の香りが香ばしい。御神紋の梶の葉を打ち出してある(右が四本足の上社、左が五本足の下社の諏訪梶)。

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諏訪神社(四日市)

【御鎮座】 三重縣四日市市諏訪栄町22-38
【御祭神】 建御名方神、八坂刀売神
【社格】 旧縣社
【御神紋/社紋】 梶の葉(一つ足)
【御由緒】
 鎌倉幕府の御家人・加藤景廉が建仁2年(1202)に信濃の諏訪大社上下二社を勧請して創建したとの伝承がある。しかし、この時期には加藤景廉は鎌倉におり、また、失脚中であったことから、この伝承は有力とは考えられていない。
 これとは別に、鎌倉時代末に当地を治めていた俵藤太秀郷の子孫・田原美作守忠秀による勧請説もある。田原忠秀が当地に濱田城を築城したのは文明2年(1470)であることから、その前後に勧請されたものとするのが妥当か。
【撤饌】
・御神酒「端麗純米 清酒 宮の雪」(四日市市楠町・宮﨑本店製)、300ml入り1瓶