撤饌さ

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撤饌 頁十一

【さ】

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眞田神社

【御鎮座】 長野縣上田市二の丸
【御祭神】 眞田昌幸公、眞田信繁(幸村)公
【社格】 無格社
【御神紋/社紋】 六文銭、永楽通宝、五三の桐
【御由緒】
明治12年(1879)の創建。上田城本丸跡に鎮座する。
もともと、江戸時代が終わって廃藩置県がなされると、明治7年(1874)に上田城は民間に払い下げとなったが、上田城の廃城として姿を消すことを惜しんだ有志達の活動に共鳴した丸山平八郎が、一旦は買い上げた本丸付近の土地を神社創建のために寄付。当初は、江戸時代に当地の民政に尽くした仙石氏と松平氏の歴代藩主を祀る松平神社として建立されたが、後に上田城を築城した眞田昌幸、眞田信繁(幸村)親子を主祭神とするようになり、社号も眞田神社に改称した。
上田城は天正13年(1585)に築城されたが、それより以前に当地には六所明神が鎮座しており、古くから聖地であったことが窺える。
【撤饌】
・「真田十勇士飴」(上田市常盤城・小西屋販売)、11個入り1箱

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座間神社

【御鎮座】 神奈川縣座間市座間1-3437
【御祭神】 日本武尊
【社格】 旧村社
【御神紋/社紋】 三つ巴
【御由緒】
創建年は神代といわれるが、詳細は不明。欽明天皇の御世(539年~571年)、この地で疫病が流行。この時、信濃國(現・長野県)の飯綱権現の化身である白衣の老人が現れ、崖下の森の中に湧く泉の清水を用いれば、疫病を祓うことができるだろうと告げた。ご神託の通りにすると、疫病はたちどころに治まった。そこで、感謝した村人たちは、飯綱権現を祀ったのが当社の始まりといわれる。その後、源頼朝が鎌倉幕府(1180年~1333年)を開いた頃の話として、同様の伝説が伝わっている。この時は、日本武尊を祀れば疫病が治まるというご神託だったため、以来、日本武尊を祀るようになったという。
【撤饌】 ・御神酒「清酒 米鶴」(山形縣・米鶴酒造製)、180ml入り1本。

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寒川神社

【御鎮座】 神奈川縣高座郡寒川町宮山3916
【御祭神】 寒川比古命、寒川比女命
【社格】 式内名神大社、旧國幣中社、別表神社、相模國一宮
【御神紋/社紋】 三つ巴(または、剣巴、なめくじ巴)
【御由緒】
雄略天皇(456~479)の御代に奉幣、また神亀4年(727)に社殿建立と伝える記録があるが、正確な創祀年代は不明。初めての公の記録は『續日本後紀』に見られ、仁明天皇承和13年(846)に神階従五位下を授けられたと記されている。その後、進階を重ね、延喜16年(916)には正四位上を授与された。927年編纂の『延喜式神名帳』では、相模國十三社中、唯一の名神大社とされている。古くは寒川神として崇められていたが、近世には八幡神、菊理媛、素盞鳴命、稲田姫尊などとも称され、御祭神は歴史を通して一定でなかった。
明治4年(1871)に國幣中社に列せられた際、新たに寒川比古命・寒川比女命が御祭神との説が加えられ、明治9年(1876)には寒川神社の御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二座と定められた。
【撤饌】
・御神紋の三つ巴の意匠の小粒の落雁、紅白各3個。
・八重の菊花に御神紋の三つ巴をはめ込んだ図案の白雪糕、紅白各1枚。
・餡入りの紅白の白雪糕。

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猿田彦神社

【御鎮座】 三重縣伊勢市宇治浦田2-1-10
【御祭神】 猿田彦大神、大田命(相殿)
【社格】 旧無格社、別表神社
【御神紋/社紋】 五つ木瓜に梅鉢
【御由緒】
『古事記』『日本書紀』に登場する猿田彦大神を主祭神とし、相殿にその子孫の大田命を祀る。猿田彦は天孫降臨の際の先導役を担ったが、大田命もまた、垂仁天皇の御世に倭姫命が神宮鎮座地を求めて旅をする途上、倭姫命を導いて伊勢まで導き、現在の神宮の辺り一帯の土地を提供したと伝えられる。この伝承から、大田命の更に子孫たる宇治土公氏は、恐らく当地一帯の豪族であったと考えられる。
宇治土公氏は代々、神宮に玉串大内人として奉仕しており、その邸宅内には屋敷神として猿田彦を祀っていた。しかし、明治時代になると神官の世襲が廃止され、宇治土公氏も神宮の外で独自の道を歩むことになり、屋敷神を改めて神社として創建したのが現在の猿田彦神社である。
猿田彦大神を祀る全國約2000社の神社の総本宮は、鈴鹿市の椿大神社とされているが、伊勢の猿田彦神社こそ総本宮であるとする論もある。両社とも猿田彦大神および大田命の直径の子孫であると主張しているが、、建治、弘安年間(1275~1288)に、伊勢外宮の神官・渡会行忠が編纂した『倭姫命世記』には、猿田彦神社の宇治土公氏が猿田彦大神の直系であると記されており、また、当社が内宮のすぐ側に鎮座することなどから、当社が総本社であるとする説がより有力と思われる(私見)。
【撤饌】
・御饌米、一包
・昆布、1枚
・「梅茶」(岐阜県本巣市、マン・ネン製)、2g入り×2包