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撤饌 頁五

【お】

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近江神宮

御鎮座: 滋賀縣大津市神宮町1-1
御祭神: 天命開別大神(天智天皇)
社格: 旧官幣大社、勅祭社、別表神社
御神紋/社紋:桜に楽浪(さざなみ)、十六八重菊
御由緒:
皇紀2600年に当たる昭和15年(1940)の創建。大化改新(645)で知られる御祭神の第三十八代天智天皇が、御宇の六年(667)に飛鳥から琵琶湖西岸の近江大津に遷都したことに因み、大津宮(近江京)跡の一角に建立された。
「近江造」と呼ばれる独特の社殿は、國の登録有形文化財に指定されている。天智天皇が日本で初めて「漏刻」と呼ばれる水時計を設置したことに因み、毎年6月には漏刻祭が執り行われている。また、境内には復元された漏刻や日時計などが置かれ、時計博物館も併設されている。
撤饌:
・御神酒「上撰清酒 近江」(大津市・浪乃音酒造製)300ml入り1本
・食塩「伯方の塩」(愛媛県今治市・伯方塩業製)500g入り1袋
・「近江朝遺風 延命長壽 蓬莱神仙茶」(贈・近江神宮奉賛會)2g入り30包1箱。若芽・昆布・山牛蒡・生姜・紫蘇・蓬艾・緑茶・梅郁子入り。※『日本後記』に、平安末期の弘仁6年(815)、琵琶湖へ向う嵯峨天皇が、滋賀里の崇福寺・梵釈寺で献茶を受けたことが記されており、これが日本正史における最初の喫茶に関する記述であることから、大津は「喫茶発祥の地」とされている。
・「小倉百人一首 かるた煎餅(六歌仙)」(大津市・大忠堂製)2枚入り6包1箱。※「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」は、小倉百人一首の巻頭歌でもある天智天皇御詠の和歌。この由縁に因み、近江神宮では毎年正月にかるた開き神事「かるた祭り」が執行されている。
・「開運おこし」(大阪府堺市・栗新製)1枚入り2包1組。※滋賀縣下の農家より毎年奉納される初穂米を用いて製されている。
・乾燥ゆば「長命ゆば」(大津市・比叡ゆば本舗ゆば八製)24個入り1箱。※天智天皇は西行の途上、大三島(現・愛媛県)に寄航し、土地の神々に武運長久を祈願し、「長命富貴」の4文字をあしらった御神鏡を奉納したことに因み、「長命富貴」の焼印が押されている。
・社紋「桜に楽浪」を焼印した扇面型の洋風焼き菓子(大津市・大野屋商店製)2枚入り1箱
・ 粽(大津市・光風堂菓舗製)2本
・滋賀県産野菜を中心とした直会の「薬膳料理」(大津市・くし屋敷製)

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大縣神社

御鎮座: 愛知縣犬山市字宮山3
御祭神: 大縣大神
社格: 式内名神大社、旧國幣中社、尾張國二宮、別表神社
御神紋/社紋: 陰輪に九枚笹
御由緒:
 元は、尾張國最高峰の本宮山(標高293m)山頂に鎮座していたが、垂仁天皇の御代27年(紀元前3年)に本宮山麓の現在地に遷座したといわれる。同社では、この年をもって創建年としている。現在でも本宮山頂には奥宮である本宮社が置かれている。
 尾張國の開拓祖神とされている御祭神の大縣大神については、720年完の『日本書紀』に現れている國狭槌尊と同一神であるとする説の他、大和朝廷における縣の支配者・大縣主の祖神である天津彦根命とする説、少彦名命とする説、日本武尊の三世の孫で迩波縣君の祖である大荒田命とする説などが挙げられている。
 当社の付近は古墳が多く点在しており、尾張國開拓の地であったことを感じさせる。
撤饌:
・社紋の陰輪九枚笹を打ち出した白雪糕(犬山市・月美堂製)、紅白各1枚。

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大國魂神社

御鎮座: 東京都府中市宮町3-1
御祭神: 大國魂大神
社格: 式内社、旧官幣小社、武蔵國総社、准勅祭社、別表神社
御神紋/社紋: 十六八重菊
御由緒:
 武蔵の國魂神(神格化された國に宿る霊魂)である御祭神の大國魂大神の神託により、第十二代景行天皇の御代41年(111)に創建。当初は武蔵國の國造が祭祀を司ったが、大化の改新(645年)に当地に國府が置かれてからは、國司が祭務をとった。中殿の東西には武蔵國の一宮から六宮までが祭られていることから、六所宮、六社神社とも称される。
撤饌:
・紋菓「栗落雁」(赤豌豆粉製の紅3枚、栗粉製の白3枚。府中市青木屋製)。

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大崎八幡宮

【御鎮座】 宮城縣仙台市青葉区八幡4-6-1
【御祭神】 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
【社格】 旧村社
【御神紋/社紋】左三つ巴 (額には伊達家の紋 日の丸・竹に雀・丸の内に三つ引両・九曜・蟹牡丹・竜胆車も)
【御由緒】
 創建年は不詳。平安時代、坂上田村麻呂が東征に際し、鎮守府として築いた胆沢城(現岩手縣奥州市)に宇佐八幡宮より八幡神を勧請して祀り、鎮守府八幡宮としたことに始まると伝えられる(ただし、鎮守府八幡宮は岩手縣水沢市にあったとも)。その後、室町時代になると、奥州管領であった大崎氏が自領内に遷座(現遠田郡田尻町)。以来、大崎八幡宮と称されるようになる。大崎氏滅亡後は、伊達政宗が居城の岩出山城内に御神霊を遷し、更に仙台に移ってからは仙台城の乾(北西)にあたる現在地に遷して祀った。また、その際、旧領の米沢で代々祀っていた成島八幡宮も合祀した。
 仙台には十二支の中の自分の生まれ年の神を信仰する神仏習合の「卦体神」と呼ばれる習俗があり、仙台城の乾(戌・亥)に鎮座する大崎八幡神は戌・亥の卦体神として戌・亥歳生まれの人々の信仰を集めた。仙台の卦体神は戌亥の大崎八幡神社と辰巳の愛宕神社以外は全て仏教寺院の守本尊。ただし、神仏習合であったため、神社であるである大崎八幡宮であってもその卦体神は阿弥陀如来とされた。愛宕神社の卦体神は普賢菩薩。
 社殿は現存する安土桃山時代の唯一の遺構として國宝に指定されている。
【撤饌】
・御神酒「清酒」1瓶
・海苔、2袋

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大宮八幡宮(杉並区)

御鎮座: 東京都杉並区大宮2-3-1
御祭神: 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
社格: 旧府社、別表神社
御神紋/社紋: 笹竜胆
御由緒:
 第七十代後冷泉天皇の御世(1045~1068)の永承6年(1051)に、奥州で前九年の役が勃発。この時、奥州平定に向った源頼義が当地に差し掛かると、大空に白雲が八条にたなびき、源氏の白旗が空に輝いているかのように見えたことから、頼義は源氏の氏神・八幡神の御加護を得たと喜び、乱の鎮圧後は必ず当地に立ち帰り、八幡神の神社を建立することを誓う。その後、康平5年(1062)に奥州を平らげ帰路についた頼義は、翌康平6年(1063)に約束通り、八幡神を石清水八幡宮から分霊し、当地に八幡社を建立した。これが、当社の起こりと伝えられている。
 かつては「多摩の大宮」とも呼び親しまれ、「秩父大宮(現・秩父神社/埼玉縣秩父市)」「足立大宮(現・大宮氷川神社/埼玉縣さいたま市)」と併せて、「武蔵國三大宮」と称されていた。江戸時代には6万坪もの広大な境内を有していたが、明治維新(1868)後にその半分以上が没収される。しかし、現在でも東京都内で三番目に広い境内を有している。
 また、東京の中心部に鎮座することから、「東京のへそ」との異名も。
 没収される以前の旧境内の一部(現境内の北側)からは、弥生時代の祭祀遺跡などが発掘されており、古代から当地が聖地であったことが伺える。この他、近隣には古代の遺跡が点在している。
撤饌:
・御神酒「國盛 本醸造 清酒 上撰」(愛知縣半田市・中埜酒造製造)。180ml入1瓶
・「へそ福餅」(杉並区荻窪・宝来屋製)。粒餡入り求肥に白胡麻をまぶし、黒豆でへそを表した餅菓子、6個入り1箱。境内「清涼殿」内の喫茶で煎茶又は抹茶セットあり。
・「厄除けまんじゅう」(杉並区荻窪・宝来屋製)。御紋の笹竜胆の焼印を押した蒸し饅頭、7個入り1箱
・「竹ひめ」(杉並区荻窪・宝来屋製)。黒米製の求肥でずんだ(枝豆)餡を包み、笹で包んだ餅菓子、5個入り1箱
・「桜薯蕷饅頭」(杉並区荻窪・宝来屋製)。漉し餡入り薯蕷饅頭。桜まつり期間限定。境内「清涼殿」内の喫茶で煎茶又は抹茶セットあり。
・ 「三三九煎餅」、2枚入1包。当社例大祭の行事「三三九手挾式」で使用する的板を模した瓦煎餅
・月見の宴の直会「月見御膳」(境内結婚式場「清涼殿」製)。月見豆腐と海老の吸物付。
・御神水「延命祈祷水 多摩乃大宮水」(温泉水。採水地:鹿児島縣垂水市。同市・財宝製)、500ml入り1本。御神水はかつては境内に自然に湧出していたが、今では汲み上げて採水している。ただし、撤饌用のこの御神水は、鹿児島県垂水市の水を取り寄せ、御神前で清められたもの。
・食塩「神塩」、小1袋。

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大神神社

御鎮座: 奈良縣桜井市三輪1422
御祭神: 大物主大神
社格: 式内名神大社、二十二社、旧官幣大社、別表神社、大和國一宮
御神紋/社紋: 三ツ杉
御由緒:
 大國主神が、共に國造りをしてきた少彦名神を失い、意気消沈していると、「海を光して依り来る神」が現れ、自分を祀ってくれるなら、國造りに協力しようと申し出る。海からやって来た神は、自分を倭(大和)を囲む山々の中でも、東方の山の上に祀って欲しいと伝え、大國主神はその通りにした。以上は、『古事記』(712年)上巻の中で語られている神話である。「海を光して依り来る神」は即ち大國主神自身の幸魂・奇魂であるとされている。大國主神が祀った御魂は、『古事記』中巻の中では大物主神であると記されている。
 また、『日本書紀』(720年)では、大物主神が倭迹迹日百襲媛命に神懸かりしたり、臣下の夢に現れたりして、自らを祀るよう神託をし、大物主神の御子である大田田根子が大物主神を祀ったとしている。
 神話説以外では、崇神天皇の御代7年(紀元前91)に、天皇が伊香色雄(物部連の祖)に命じて三輪氏の祖である大田田根子を祭祀主に立てて大物主神を祀らせたことが起こりともいう。
 大神神社は、三輪山を祀るという原初の神祀りの様子を今に伝える神社である。御神体は三輪山であり、拝殿の奥にある三ツ鳥居(3つの鳥居を組み合わせたもの)を通して三輪山を拝する形式となっているため、本殿はない。
 創建の由緒が『古事記』に記されていることから、日本最古の神社のひとつであるとされている。大和朝廷創始の頃からの自然信仰の場となっていたと考えられ、そもそも、「大和」という地名は、御神体山である三輪の山の端という意味に由来するとの説もある。
撤饌:
・御饌米、1袋
・御神酒、推定350ml入り1瓶。御祭神の大物主大神と配祀神の少彦名神は、古来、酒の神様とされており、崇神天皇が大神神社に於いて疫病を鎮める大祭を開いた折、高橋活日が大物主神の御神力で極上の酒を製したと伝えられる。高橋活日は杜氏の祖として、大神神社の摂社・活日社に祀られている。
・ 「三輪素麺(手延べそうめん)」(桜井市箸中・三輪そうめん山本製)、150g入り1箱。三輪素麺は、大神神社の御祭神・大物主大神の子孫である狭井穀主朝臣が、小麦から粉を作り、三輪山から流れ出る霊水を以って、細く、長い麺を作ったことを起源とする、という伝説がある。
・おこし、2枚入り1袋。講社崇敬会大祭の直会「にゅうめん」、「柿の葉寿司」(大阪府東淀川区・吉野製)、3個
・千本杵餅、2個

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大和神社

御鎮座: 奈良縣天理市真泉町306
御祭神: 日本大国魂大神(中央)、八千戈大神(向右)、御年大神(向左)
社格: 式内名神大社、二十二社、旧官幣大社、別表神社
御神紋/社紋: 橘、十六八重菊
御由緒:
 「おおやまとじんじゃ」と読む。元は、伊勢神宮宮中の御祭神・天照大神と同殿共床で、倭大国魂神として奉斎されていたが、第十代崇神天皇の御宇6年(紀元前91)、天皇は世の中が乱れているのは、両神を一緒に祀っているからではないかと、御神威を畏れ、皇女淳名城入姫命を斎王として大和郷の市磯邑(現鎮座地東方の山麓大市の長岡崎。現長岳寺付近とも)に倭大国魂神を遷座したのが当社の起源という。
 その後、崇神天皇7年(紀元前90)、倭迹迹日百襲媛命が二度に渡る霊夢の中で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けたため、大倭直の祖・市磯長尾市を祭主として、御鎮座地を定めて社を造営したと伝わる。
 上古、当社の橘森には霊鶏が棲み、これを食する人は長寿を全うするといわれ、天皇はその霊鶏により長寿をながらえたとい伝えられている。また、奈良時代(710~794)、唐へ渡って学ぶ遣唐使やその他の使臣はみな、朝廷の命によって出発前に当社へ参詣し、交通安全を祈願することが定めてられいた。なお、御神紋「橘」は、御神域の橘森に因む。
 『延喜式神名帳』(927)には、「大社大和坐大国魂神社三座」とある。御主祭神の日本大国魂大神は別名「大地主大神」とも称す。他の2柱については諸説あり、左殿を須沼比神あるいは三輪大明神(大物主大神)、右殿を天照大神あるいは稲倉魂神とする説もある。
 御祭神は太平洋戦争で活躍した「戦艦大和」の守護神とされ、艦内に御分霊が祀られた。
撤饌:
・とろろ昆布「長壽こんぶ」(天理市・吉川屋製)、15g入り1袋。

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隠岐神社

御鎮座: 島根縣隠岐郡海士町大字福井1365-5
御祭神: 後鳥羽天皇
社格: 旧縣社、特別神社
御神紋/社紋: 菊浮線
御由緒:
 後鳥羽上皇没後700年を記念し、昭和14年(1939)に創建された。承久の乱(1221年)で破れ、隠岐へ配流された後鳥羽上皇が行在所としていた源福寺境内跡に立つ。上皇は配流の19年後の延応元年(1239)に崩御。その遺灰は北面の武士・藤原能茂によって京に持ち帰られ、現在は「大原陵」に埋葬されている。しかし、遺灰の一部は崩御地に残され、源福寺の一隅に埋葬され、御廟としての社が建てられた。
 明治2年(1869)の廃仏毀釈によって源福寺は焼失。更に、明治6年(1873)には、同じく承久の乱で流され、離れ離れになった皇子の土御門上皇(在位は建久9/1198年~承元4年/1210年)及び順徳天皇(在位は承元4/1210年~承久3/1221)と共に、大阪の水無瀬神宮に遷座・合祀された。これにより、隠岐海士町の御本殿は撤廃されるが、その際に骨壷が発見されたため、宮内庁が管轄することになった。現在は「隠岐海士町陵」または「御火葬塚」と称し、准御陵扱いとなっている。上皇ご存命の頃から身辺のお世話をした地元豪族の村上氏が、代々、御陵の管理を担っている。
 上皇は、在位中は後鳥羽天皇、退位後は後鳥羽上皇となり、崩御後は顕徳院と諡されるも、後に後鳥羽院と諡が改められた。御祭神名としては、後鳥羽天皇となっている。
撤饌:
・御神酒「上撰 清酒 隠岐誉」(隠岐の島町・隠岐酒造製)、180ml入り1本
・手作り塩「海士乃塩」(隠岐郡海士町・ふるさと海士製)、100g入り1袋

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沖宮

御鎮座: 沖縄縣那覇市奥武山44
御祭神: 御先女天神代=天受久女龍宮王御神、中女天神代=天智門女龍宮王御神(天照大御神)、今女天神代=天受賀女龍宮王御神
社格: 琉球八社、無格社(一般神社)
御神紋/社紋: 日月鏡
御由緒:
 創建年は不詳だが、史料から源為朝(1139~1170?)の時代と考えられている。社伝によると、昔、那覇の港に光り輝くものがあり、首里城からこれを眺めていた國王は、この光を奇瑞の表れとして、漁師に命じて海中を探させたところ、輝いていたのは一株の枯木だった。國王はこれを熊野権現が垂跡した霊木として、その地に社を建てて祀ったのが起こりという。
 その後、明治41年(1908)に那覇港桟橋築港工事のため、安里八幡宮の隣域に遷座。戦時中に消失するも、戦後に復興の御神託があり、仮遷座を経て、昭和50年に現在地に遷された。現在は沖にはなく、天燈山と呼ばれる低い山の上にある。
 境内には寺もあり、当社の神職が寺も管理している。
撤饌:
・御神酒「純米製 泡盛 まさひろ」(糸満市西崎町・比嘉酒造製)、180ml入り1瓶
  (正月などには、「サーターアンダギー」や「ちんすこう」などの菓子も撤下する)

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奥澤神社

御鎮座: 東京都世田谷区奥沢5-22-1
御祭神: 譽田別尊、稲倉魂命
社格: 旧村社
御神紋/社紋: 鷺草
御由緒:
 正確な創建年は不詳。室町時代の天文年間(1532~1554)~永禄年間(1558~1569)頃に、世田谷城主・吉良氏の家臣・大平出羽守が、世田谷城の出城・奥澤城を築くにあたり、守護神として八幡神の譽田別尊を勧請したことが起こりと伝わる。旧称は奥澤八幡。
 御神紋は、譽田別尊の三つ巴でも、稲倉魂命の抱き稲または稲穂でもなく、鷺草。鷺草は世田谷区の区花でもあるが、これは、当地に残る鷺草伝説に由来する。戦国時代、吉良氏が敵陣に包囲された時のこと。奥澤城に救援を求めようと、かつて大平氏から贈られ、世田谷城内で飼っていた白鷺の脚に文をくくりつけて放ったところ、白鷺は奥澤城を目前にしながら敵の矢に射落とされてしまった。白鷺の落ちた湿原には、爾来、鷺草が咲くようになった。以上が、世田谷の白鷺草伝説。奥沢五丁目付近はかつては「鷺の谷」という地名で、鷺草の自生地だった。
 毎年9月の例祭で行われる「厄除の大蛇お練り」は、世田谷区無形民俗文化財。
撤饌:
・御紋を模った小粒の白雪糕、紅白各1個。

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小國神社

御鎮座: 静岡縣周智郡森町一宮3956-1
御祭神: 大己貴命
社格: 式内小社、旧國幣小社、別表神社、遠江國一宮
御神紋/社紋: 三つ巴
御由緒:
 社伝によると、神代の創建にして詳細不明。江戸時代の社記によると、欽明天皇の御代16年(555)に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮座し、その後、勅命により山麓の現在地に社殿が造営され、正一位の神階が与えられたとされている。本宮山の山頂には今も、奥宮(奥磐戸神社)が置かれている。
 小國神社に関する初見は、『続日本後紀』の承和7年(840)の一条にある。この中には、まだ無位だった小國天神(当時)に従五位下の神階を捧げたことが記されている。その後進階し、文暦2年(1235)の史料には「当國(遠江)鎮守小國一宮」とある。また、許当麻知(ことまち)神社、または事任(ことのまま)神社とも称された時期もあった。境内の事待池で行われた放生会(満願すれば鯉を池に放った)に因む社名といわれるが、同じく遠江一宮の事任八幡宮によると、事任八幡宮の御祭神である己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)を戦乱の世が続いた一時期、小國神社にお預けしていたのだという。そのため、小國神社も一宮を名乗るようになった、とも。確かに、小國神社の神紋は八幡宮に共通の三つ巴であるが、確かなことは詳らかでない。今では小國神社の方が規模が大きく、別表神社に列せられている。
撤饌:
・花かつお節(静岡縣焼津市・マルハチ村松製)、2袋
・「福徳 神饌茶」(森町・鈴木長十商店製)。毎月1日の月次祭で神饌として供えられている。門前の売店でも同じものが販売されている。

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小國神社

御鎮座:滋賀縣大津市小野1961
御祭神: 天足彦国押人命、米餠搗大使命
社格: 式内名神大社、旧郷社
御神紋/社紋:
御由緒: 創建年は不詳。当地を本拠とした古代の豪族・小野氏の祖で、孝昭天皇の第一皇子であった天足彦国押人命と、天足彦国押人命の七代後の子孫にあたる米餠搗大使命を祀る。
境内には、小野氏から輩出した学者で歌人の小野篁を祀る小野篁神社が鎮座。また、近隣に遣隋使として知られる小野妹子を祀る小野妹子神社、書家として知られる小野道風を祀る小野道風神社がある。
米餠搗大使命は応神天皇の頃に日本で初めて餅の原型となる「粢(しとぎ)」を作ったと伝えられることから、菓子作りの神として菓子業者から崇敬を集めている。「粢」は、一晩水に浸した生米を搗き砕いたものを水でこねて藁に包んで保管し、食べる際に藁ごと焼いて食べたという。例年11月2日には全国の菓子業者が集まり、「粢」を神前に供えて例祭「しとぎ祭」が行なわれる。
撤饌:粢