延宝元年(1673)に松坂出身の三井八郎右衛門高利が本町に越後屋呉服店を開業。天保3年(1683)にするが町に移転、両替商を併置。当時の常識をくつがえす「棚売り現金掛値なし」などの商法が評判となり富を築く。後に三井呉服店と改め、更に明治5年(1872)には三井家の「三」と越後屋の「越」をとって「三越」と改め現在に至る。
〈三越豆知識〉
三越の正面玄関に鎮座するライオン像は、勇気、器量、度量を備えた百獣の王にあやかりたいとのことから、大正3年の本店改装に伴い特注されたイギリス製。トラファルガー広場のライオン像の半分サイズ。このライオン像の設置に尽力を尽くした当時の専務・日比翁助は息子も「雷音(らいおん)」と名付けたほどのライオン好きだったとか。
ライオンの背中に誰も見られずまたがると、受験に合格するという迷信があり、夜中にこっそりまたがりに来る受験生もいるとか。今では監視カメラが常に見ていることを、彼らは知っているのだろうか…。
http://www.mitsukoshi.co.jp/nihombashi/
(※東海道に面して建つ日本橋高島屋は、明治期に入ってから京都烏丸から東京・京橋に移店、その後現在地に移ってきた)
天保5年(1834)創業の果物の老舗。1881年 (明治14年) は京橋千疋屋、1894年 (明治27年) には銀座千疋屋を暖簾分け。フルーツパーラーのフルーツサンドイッチやフルーツポンチは昔と変わらず今も人気。
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嘉永2年(1849)創業。江戸時代には梅の香りただよう寒中に採取されたという江戸前の極上海苔「梅の花」は今も看板商品。
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元禄3年(1690)に初代山本嘉平が宇治茶店を開業。以来315年、日本橋の同じ場所に店を構え続けている。山本山とは、「山本家の山」の意。山とは、茶畑のことを指す。
1738年、4代目嘉平の頃、宇治田原湯屋谷の永谷宗円が蒸して乾かす煎茶の製法を考案し、山本山でも「天下一」の商品名で販売し、人気を博す。1835年に6代目嘉平が玉露を発明する。茶をもんで、手に残る粒上のかすを喫してみたところ、甘露のようなおいしいお茶だったことから、玉露の名がついた。
海苔の販売は昭和22年(1947)から。茶と海苔の保存方法が似ていることと、入荷時期が重ならないこともあり、倉庫を無駄なく使えることから8代目の頃から海苔の販売も始めたという。店内の喫茶室では「長門」のお菓子と共に抹茶や玉露、煎茶を頂くことができる。嘉平は襲名で、現在は9代目が会長、10代目が社長を務める。
店内には広重の浮世絵(複写)や、山本山が登場する江戸時代の狂歌本などが展示されている。
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文化7年(1810年)に食事処「樋口屋」として開業。嘉永3年(1850年)、三代目松次郎の代になると、折詰料理専門店「弁松」と名を改める。日本最初の弁当屋だ。
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伊勢から江戸に出てきた高津伊兵衛が、丁稚奉公を経て20歳の時に日本橋魚河岸で板戸2、3枚を並べて鰹節や干物を売り始めたのが元禄12年(1699)。宝永2年(1705)に小舟町で伊勢屋伊兵衛の屋号で問屋を開業した後、享保5年(1720)に現在地(当時は瀬戸物町)に移転し店を開く。
3日に一度は火事があったという江戸において、にんべんは火事を出さない店として評判だった。正月ににんべんの軒先に飾られた門松の松をお守りにして持っていると火事にならないという迷信があり、江戸っ子がこぞってにんべんの門松から松を抜いていったという。
現在は12代目が伊兵衛の名を襲名している(13代目は社長職)。地下のサロンには錦絵などが展示されている。毎月24日は「ふし(節)」の日ということで、にんべんでは無料で持ち込んだ鰹節の削り加工をしてくれる。
〈鰹節豆知識〉
小さな亀節が8回ほどの焙乾(いぶし)で済むのに対し、大きな本節は10~15回ほど焙乾させる。その後、本節にやすりをかけ、丁寧に加工し、カビ付けして発酵・日乾の工程を何度も繰り返したものを枯節という。3番カビ付けしたものを上枯節、5番カビ付けした本枯鰹節と呼び、これが最高級鰹節となる。
上等な削り節のパックには「かつお節削り節」と表記されており、料理に最適。焙乾してやすりで削っただけの裸節から作られる削り節は、パックに「かつお削り節」と表示されている。こっちらは安価ではあるが、いぶしの香りが強く、うどんなどの出汁に良い。カビ付けすると鰹の脂が分解され、日本料理独特の脂のない出汁がとれる(西洋料理の動物性の出汁には脂肪分がある)。
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八木長が鰹節卸問屋として創業したのは元文2年(1737)。以来、乾物を中心に素麺や蕎麦なども販売。八木長の鰹節でとった出汁で作る味噌汁は具がいらないほどおいしくできるとまで言われている。
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創業享保年間。寛永20年(1643)以来、代々徳川将軍家御用達として朱印、黒印の彫刻を務めた印刻一筋の老舗。
元禄元年(1688)、魚河岸が日本橋にあった頃から現在と同じ日本橋室町ではんぺんとかまぼこを商い続ける練り物専門店。サメ肉に山芋や卵白を混ぜてふんわりと仕上げた手取りはんぺんが看板商品。
大阪冬の陣があった年、慶長20年/元和元年(1615)に、徳川御三家、皇室の御用鏡師として大伝馬町に創業。文久年間に現在の場所(室町)に移転し、老舗眼鏡店として今日まで営業を続ける。
創業天正18年(1590年)の老舗扇子屋。元は浮世絵の版元だった。江戸っ子町人が追い求めた「粋」の精神を受け継いでいる。
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七代将軍家継の頃、幕府御用の刷毛師となり、享保3年(1718)に江戸屋の屋号を与えられて開業。昔ながらの職人技で、今でも量産せず1本1本刷毛を作っている。
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創業文化11年。五代将軍綱吉が呼び寄せた京都の雛人形師10人「十軒店」のひとつで、今ものこるのはこの玉貞1軒のみ。
(註:2年ほど前に閉店されたようです。2006年04月16日)
「室町に花咲く木屋の紺のれん」と唄われたように、三味線木屋、化粧品木屋、象牙木屋など本家から暖簾分けされた複数の木屋があったが、現在残るのは寛政4年(1792)に暖簾分けされたこの打刃物木屋である。
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創業元禄2年(1689)。江戸時代には「日本橋三軒」のひとつに数えられ、「漆器なら黒江屋」と言われた老舗漆器店。店先には、万治元年(1658)の日本橋の擬宝珠(本物)が展示されている。
http://www.kuroeya.com/
文化3年(1806)創業の和紙専門の老舗。江戸の町作りの際に、家康が静岡県榛原から呼び寄せた商人のひとりではないかと言われているが、定かではない(創業者創業者一門から経営権が移ってから現在で6代目)。
関東大震災以前は、現在地よりもう少し日本橋川寄りに店を構えていた。創業当時から、楮(こうぞ)紙ではなく、より薄くて墨ののりも良い上質な雁皮紙(がんぴし)の小間紙を販売し、江戸の文人の間で信頼を得た。
現在は、手漉き和紙の三大産地と呼ばれる越前(福井)、美濃(岐阜)、土佐(高知)などの和紙を中心に扱う。店内には竹久夢二デザインのポチ袋(実物、木版)などが展示されている。
初代は松坂出身の小津(旧姓・三好)清左衛門長弘。開店資金を援助してくれた同郷の小津呉服店から小津姓とうろこ久(△に久)の商標をもらい、承応2年(1653)、現在地(当時は大伝馬町)に紙問屋小津清左衛門店を開業。当時大変賑わっていたという大伝馬町の通り(現在の昭和通り)は日光・奥州街道に当たる。
2階の小津資料館には古文書や錦絵、藩札、道具類などを展示。和紙屋だけに素晴らしい保存状態。小津和紙は元々卸しのみで、店舗(小津和紙博物鋪)での小売は20年前に始めたばかりだ。
〈和紙の豆知識〉
和紙の原料となるのは、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)、三椏(みつまた)といった植物。手漉き和紙を固めるのりの役目を果たしているのが、とろろ葵という植物の根っこ根から採れる粘液だ。和紙は非常に丈夫で、1000年もつと言われている。最高級品ともなると、版画などで100回刷っても破れないのだそう。
江戸時代、火事が起こると、商人達は大事な大福帳をまず井戸に投げ込んでから逃げたという。火が収まってから、井戸から大福帳を拾い上げて乾かせば元通りに戻ったので、そのまま書き足して使うことができたのだ。当時使われていた本物の墨汁も、一度和紙に書いてしまえば水に濡れても消えなかった。
そんなわけで、日本で古文書がこれだけの良好な保存状態で長く残っているのは和紙や墨のおかげなのだ(西洋の紙やインクではそこまではできない)。ただし、墨の乗りを良くするために米のとぎ汁を混ぜることもあり、そのせいで虫に食われてしまうこともあったとか。
創業は宝永元年(1704)という日本随一の楊枝専門店。猿の歯が白いということが店名の由来。楊枝は元々、仏具だったとか。
創業は文久3年(1863)。日本橋の魚河岸で寿司の屋台を開いたのが始まり。その後、仕出し料理を経て割烹料理屋となる。現在は五代目が料理長を務めている。
宝暦10年(1760)創業の鳥料理の老舗。御鷹匠仕事(鳥専門の包丁さばきのこと)で将軍家に仕える傍ら、軍鶏専門店を開いたのが始まり。「親子丼」を最初に考案したのも玉ひでだ。
http://www.tamahide.co.jp/
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