和菓子街道 東海道

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東海道五十三次歩き旅によせて

 東海道は、幼い頃からいつも私の身近にあった。それは「国道1号線」であり、「東名高速道路」であり、「JR東海道本線」であり、「東海道新幹線」であった。もちろん、「旧道」と呼ばれる本来の「東海道」も、いつも私の側にあった。

 距離にして百二十六里半(一里=約3.9km)。古くは8世紀頃、伊勢湾沿岸部、中部・関東の太平洋岸の地域を「東海道」と称したことから始まり、何世紀にも渡って日本の西と東をつなぐ大往還としての役割を果たしてきたのが東海道だ。

 慶長6年(1601)から7年間かけて、江戸幕府が江戸・日本橋を基点とする主要五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)を整備すると、中でもとりわけ東海道は、政治の中心となるべく幕府が置かれた江戸と、御所のあった京を中心とする上方とを結ぶ道として重視された。幕府や諸大名の公用ルートであり、商人の道であり、お伊勢参りを夢見る庶民の巡礼の道でもあったこの道は、西へ東へ、様々な思いを運びながら、数々のドラマを生んだ歴史の大舞台でもあった。

 子供の頃には、その歴史など考えたこともなかったが、郷里の三河を離れてからも、私にとって東海道は、「自分が今いる場所」と「ふるさと」とをつなぐ大切な道であり続けた。新橋駅や横浜駅のホームで、オレンジと緑の東海道線の車両を見るたびに、「ああ、あれに乗れば故郷に帰れるんだ」と思った。そんなにホームシックなのかと問われると、そういうわけでもない。新幹線の「ひかり」なら1時間で行ける距離で、実際、年に何度か実家に帰っている。

 それでも、「東海道線」を見たり、「東海道」を耳にしたりすると、「あれに乗れば…」と変にノスタルジックになってしまうのだ。それがどういった経緯で「あれに乗れば…」から「あの道を歩けば…」に変わったのかは、定かではない。本屋で偶然立ち読みした東海道関連の本をそのままレジに持っていき、いつの間にか日本橋の袂に立っていた、というのが真相である。

 そんなわけで、突如として始めた長い長い歩き旅だったが、これが思いのほかおもしろい。歴史はもちろん、地理、各地の文化に実にスローなペースで接し、体感してゆく。知らない町で知らない人の優しさにも何度となく触れた。一歩進むごとに宝物を拾って、背中に背負った花籠に入れていくような旅だった。

 色々な意味で収穫の多い旅となったが、「三度の飯より…」ではなく「三度の飯+甘いもの」な私にとって、よく知っているはずの東海道が「老舗和菓子街道」であることを知ったことは、何よりの収穫であった。私の「街道の名物菓子を求め歩く旅」の原点ともなった東海道筋の老舗とその銘菓をここに紹介したい。

 

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東海道の宿場町と紹介する和菓子屋

日本橋 (榮太樓總本鋪、長門、大坂家、銀座松崎煎餅)

nihonbashi.JPG慶長8年(1603)に家康が「日本の中心の橋」と定めて以来、日本橋は東海道をはじめとする五街道の起点とされた。現在も、橋の車道に埋め込まれた「日本国道路元票」の銅版が、ここが交通大国日本の道の中心であることを伝えている…… 〈続きを読む〉

品川 (枡翁軒、餅甚、志ら井、木村屋)

shinagawa.JPG『東海道名所図会』に「こゝは東海道五十三次の舘駅の首たる所なるべし」と書かれた品川宿は、日本橋から出発した旅人を迎える最初の宿場だった。もっとも、江戸に近いこともあり、品川から出発する旅人も少なくなかったようだ。家族の見送りも…… 〈続きを読む〉

川崎 (評判堂、住吉屋総本店、清月)

kawasaki.JPG多摩川にかかる六郷橋を渡ると、そこは川崎の街。慶長5年(1600)に多摩川(当時は六郷川)に橋を架けられたが、度重なる洪水で破損し、遂には流されてしまったため、以降は渡船になった。武士などの公用旅行者は無賃だったが、一般庶民は…… 〈続きを読む〉

神奈川

kanagawa.jpg鶴見を出た後、旧東海道が一旦は斜めに横切った国道15号線と合流するのは、京急生麦駅の少し先だ。丁度この辺りに、歴史の教科書でもお馴染みの「生麦事件」の碑がある。幕末の文久2年(1863)に、薩摩藩主島津久光の行列の前を…… 〈続きを読む〉

保土ヶ谷

hodogaya.JPG神奈川宿から先、静かな丘の上の住宅街を経て進めば、打って変わって賑やかな松原商店街に出る。商店街の入口は大山道との追分だ。安売りが評判で年中人出の多いこの商店街を抜けると、やがて帷子橋が見えてくる。広重は保土ヶ谷宿の…… 〈続きを読む〉

戸塚 (中屋)

totsuka.JPGJR東戸塚駅周辺のマンション群を背に進むと、やがて旧道は国道一号線と合流する。途中、柏尾町には茅葺屋根の益田家があり、庭のモチの大木が高く、広く枝を広げて、道に大きな影を作っている。その先の三叉路では国道一号線と一時別れて…… 〈続きを読む〉

藤沢 (豊島屋本店、藤長製パン)

fujisawa.jpg戸塚宿を出てからしばらくお付き合いしてきた国道一号線とは、鉄砲宿でしばしお別れ。鉄砲宿は、手前の影取町の池に潜んでいた大蛇を鉄砲で討ち取った猟師がこの地に住みついたことからその名がつけられたという。そんな謂れのある地から…… 〈続きを読む〉

平塚 (弘栄堂菓子舗)

hiratsuka.jpg藤沢宿から先、松並木の中を進むことしばし。かつては間の宿として賑わった茅ヶ崎を過ぎると、千川という川にさしかかる。川にかけられた鳥居戸橋の名の由来となっている鶴峯神社参道入り口の赤い鳥居は、橋を渡った先の右手にある。その向かい…… 〈続きを読む〉

大磯 (新杵、みせ吉本店)

oiso.jpg大磯と言えば湘南、サーフィン、夏の避暑地。今でこそそんなイメージが定着しているこの町も、かつては東海道の宿場町のひとつだった。平安の頃から相模国の国府が置かれていた大磯だが、宿場町が現在の場所に形成されたのは江戸時代に…… 〈続きを読む〉

小田原 (ういろう、松坂屋)

odawara.jpg箱根峠という東海道中最大の難所を隣に控えた小田原は、本陣を4軒も擁する大きな宿場町だった。しかし、実際の小田原は、宿場町という以上に、城下町として栄えたというべき町のようである。そんな小田原の祖とも言われるのが…… 〈続きを読む〉

箱根 (甘酒茶屋、竹屋)

hakone.jpg小田原から、箱根の水を全て集めて流れる早川に沿って歩くと、湯本に辿り着く。箱根というと、まず誰もが思い浮かべるのが温泉だ。日本人は昔から温泉が大好き。東海道から外れて、「塔之沢道」を通って箱根七湯巡りを満喫した旅人も多かった…… 〈続きを読む〉

三島 (福太郎本舗)

mishima.jpg東海道随一の難所、箱根峠を越えてきた旅人が疲れた足を休めた三島は、江戸時代には東海道11番目の宿場町として栄えた。無事に峠を越した旅人は、「山祝い」と称して三島宿で大いに羽を伸ばした。かつて宿場の中心地だった辺りは、今では…… 〈続きを読む〉

沼津 (いせや本店、花見煎餅)

numazu.jpg三島と沼津の間の東海道は、井上靖の自伝的小説『あすなろ物語』の中では、主人公・浩作(井上自身の投影)の通学路として登場する。思春期の浩作を見守った道は、当時とは随分赴きを変えているかもしれない。西伊豆への入口に当たる……〈続きを読む〉

hara.jpg沼津から次の宿場町、原までは、一里半(約5.9キロ)の距離を、果てしなく続くかのように見える道を西へ進む。今でこそ街道は海から少し距離のあるところを走っているが、かつては左手に千本松原と海、右手に富士を仰ぐ気持ちの良い道だったのでは…… 〈続きを読む〉

吉原 (きよせ)

yoshiwara.JPG原宿からの真っ直ぐ道が終わり、JR東海道本線の線路を越え、新幹線の高架を潜ると、旧東海道は北西へと進路を変える。方角が変わることにより、これまでずっと右にあった富士山が、ここにきて急に行く手の前方左に見えるようになる…… 〈続きを読む〉

蒲原 (ツル家)

kambara.JPG江戸時代には「道中一番の早川」と言われた富士川。今でもひとたび雨が降ると水量はぐんと増し、富士川橋の上にまで水しぶきが届くほどだ。その富士川を渡って細い坂道を上っていくと、岩淵の集落に入る。岩淵は、富士川から蒲原まで休む所が…… 〈続きを読む〉

由比 (春埜製菓)

yui.jpg鎌倉の由比ガ浜と名前が似ていることから、「小鎌倉」とも呼ばれる由比は、東海道の中でも最も規模の小さい宿場町のひとつだ。狭い通りを挟んで左右に古い家が残る町並みは、過ぎ去った時代の面影を今に残している。江戸時代初期、三代将軍…… 〈続きを読む〉

興津 (潮屋)

okitsu.JPGかつては「東海道の親不知」と言われた薩った峠を下りきり、興津川を渡ると、ほどなくして東海道17番目の宿場町、興津宿に到着する。街道右奥にある宗像神社は、地名の由来ともなっているオキツヒメを祭神とする社だ。女神を祭っていることと…… 〈続きを読む〉

江尻 (追分羊かん、くりた瓦せんべい老舗、手焼きせんべいの栗田)

ejiri.JPG先の興津宿を後に、しばらくは国道に沿って進む。辻三丁目のY字路で国道と分かれて、いかにも旧道らしい右の道に入るが、この分岐点には「ほそいの松原跡」がある…… 〈続きを読む〉

府中 (石部屋、増田屋、馬場製菓、松柏堂本店、松木屋、葵煎餅本家、橋本屋、高はし屋)

fuchu.JPG江尻から草薙を経て府中へ行く道は、ほぼ真っ直ぐ。駿河の都として発展した府中には、今川時代、武田時代を経て、天正10年(1582)に徳川家康が駿府城を築城。以後、城下町としての機能を果たすようになる。駿府城址は今では広い公園に…… 〈続きを読む〉

鞠子 (お羽織屋)

mariko.JPG安倍川を渡って静岡市街に別れを告げて、次第に山あいの雰囲気を帯びてくる道をゆくと、やがて丸子川に沿って集落をなす鞠子に到着する。鞠子の宿が作られたのは鎌倉時代初期、東海道が六十三次あった頃のことだ。本陣跡やお七里役所…… 〈続きを読む〉

岡部 (小松や)

okabe.JPG宇津ノ谷峠を背にした岡部は、鎌倉後期に記された『東鑑』にも描かれている古い宿場町だ。宇津ノ谷峠から東海道と分岐する在原業平ゆかりの蔦の細道や、平安時代の美女・小野小町が旅窶れした己の姿を映し見て嘆いたという姿見の橋など…… 〈続きを読む〉

藤枝 (紅家、おたけせんべい本舗)

fujieda.JPG江戸から49里30町44間(約200km)の藤枝宿は、他の宿場のようにひとつの町や村が宿場に発展したものではなく、街道に面した志太郡と益津郡の一部の町が、それぞれの親村に属しながらも宿駅の役割を担うという独特の形式をとっていた…… 〈続きを読む〉

島田 (清水屋)

shimada.jpg「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と謡われた東海道屈指の大河、大井川。この大井川の手前にあって、川越を待つ人々で賑わったのが島田宿だ。ひとたび川の水量が増すと旅人達はみな足止めをくい、沢山あった島田の旅籠も…… 〈続きを読む〉

金谷 (もちや)

kanaya.jpg箱根峠に匹敵する難所とされた大井川を越えた旅人が、ほっと胸を撫で下ろしたのが金谷宿だ。箱根の峠越え後の「山祝い」よろしく、大井川を無事に越えたことを祝う「水祝い」で賑わった金谷だが、今は細い旧道沿いに静かな町並みが続いており…… 〈続きを読む〉

日坂 (小泉屋)

nissaka.JPG金山宿から先、現代に蘇った石畳の上り下りを繰り返し、間の宿・菊川の里を経ると、箱根峠、鈴鹿峠と共に東海道三大難所のひとつに数えられる小夜の中山峠に差し掛かる。アスファルト舗装ながら農道のような細い峠道を、息を切らしながら…… 〈続きを読む〉

掛川 (もちや)

kakegawa.jpg戦国時代を駆け抜けた武将、山内一豊。06年のNHK大河ドラマが『功名が辻』に決まると、主人公である一豊が治めたことで一躍脚光を浴びることになったのが、掛川だ。東海の名城とも賞された一豊の居城・掛川城は、平成6年に天守閣が復元され…… 〈続きを読む〉

袋井 (五太夫きくや)

fukuroi.jpg掛川の町を出ると東海道はやがて一号線と合流するが、その少し手前に十九首町という曰くありげな地名がある。街道から少し西に行った住宅街の中にある、平将門と18人の家臣の首塚「十九首塚」に由来する地名だ。比較的新しいとみられる首塚を…… 〈続きを読む〉

見附 (井口製菓、又一庵、玉華堂)

mitsuke.jpg袋井宿を出てしばらくゆくと、三ヶ野橋に差し掛かる。この橋を渡ったところで左の道へ入るルートが旧東海道だ。ここから大日山と呼ばれる集落に入っていくと、道は鎌倉・江戸・明治・大正時代の東海道に分かれている。木々に隠れて姿は見えない…… 〈続きを読む〉

浜松 (巌邑堂、春華堂)

hamamatsu.JPG暴れ天竜と呼ばれたのは過去のこと。上流のダムのために今では水かさも少なくなった天竜川だが、そこにかかる天竜川橋・新天竜橋共に自動車の交通量が多く、現代の旅人にとってはちょっとした難所だった。“だった”と過去形にしたのは、06年に…… 〈続きを読む〉

舞阪

maisaka.JPG浜松から先、国道257号線に沿って延々とアスファルト舗装道を行く。やがて道は閑静な住宅街に入り、更にそこを抜けると松並木が現れる。日陰もほとんどない道を来た後で涼しげな木陰の道に出会うと、ほっとする。340本もの松の樹が整然と並ぶ…… 〈続きを読む〉

新居 (あと引き製菓、成交堂、卯月園)

arai.JPG自由律俳人・種田山頭火が「水のまんなかの道がまっすぐ」と句に詠んだのは、浜名湖を横断する浜名大橋のことか。今は橋というより、幹線道路のようなこの橋を渡ると、新居の町に入る。かつて旅人の多くは、舞坂宿の今切の渡しから船で浜名湖を…… 〈続きを読む〉

白須賀 (和田屋)

shirasuka.JPG新居を出て、遥か左手に潮見バイパス、更にその向こうに横たわる遠州灘を眺めながら、緩やかな上り坂を進む。右に直角に折れると、道は急勾配の上り坂にさしかかる。潮見坂だ。汗をかきながら坂を登り、その中腹で振り返ると、目と同じ高さに…… 〈続きを読む〉

二川 (中原屋)

futagawa.JPG白須賀から国道沿いの味気ない道をひたすら進み、新幹線の高架を潜って、JR東海道本線の線路を越えると、二川宿に辿り着く。東町、新橋町、中町、東郷内と続く二川の町は、旧道に沿って江戸時代の町割りがほぼそのまま残っている…… 〈続きを読む〉

吉田 (絹与、若松園、大正軒)

yoshida.JPG愛知県豊橋市。古くは今橋といい、豊川(とよがわ)の渡し場を中心とした集落が、16世紀初頭の今橋城築城に伴い城下町へと発展した。その後、「いまはし」という響きが「忌まわしい」に通じることから、縁起の良い「吉」の字を使って吉田に改名された…… 〈続きを読む〉

御油

goyu.JPG現存する江戸時代の文献には「五井」「五位」「ごい」といった名前でも登場する東海道35番目の宿場町、御油。当初は次の赤坂宿と2宿で1宿のような扱いだった御油は、戸数や人口も極めて少ない小さな宿場だったようだ。しかし、少ない戸数の…… 〈続きを読む〉

赤坂

akasaka.JPG  夏の月御油より出でて赤坂や
これは、夏の夜の短さと、御油~赤坂間の距離の短さを詠んだ松尾芭蕉の句だ。この句に詠われているように、両宿問屋間がわずか16町(約1.7km)と、東海道中最も短い区間である。その短い…… 〈続きを読む〉

藤川

fujikawa.JPG赤坂宿から出て約9キロ、国道一号線と別れて左の細い道へ入るとすぐに、藤川宿の東棒鼻が姿を現す。棒鼻とは宿場の出入り口のことで、藤川の棒鼻は広重が描いたことでよく知られている。近年になって再現された棒鼻を見るとなぜか緊張して…… 〈続きを読む〉

岡崎 (備前屋、旭軒元直、近江屋本舗)

okazaki.JPG東海道38番目の宿場町、岡崎。その史は古く、蘇我氏との対立の末敗れた物部守屋の次男・真福が、推古天皇2年(594) に聖徳太子の許しを得て建立したと伝わる三河最古の寺・真福寺もこの岡崎にある。しかし、それ以上にこの地を有名にして…… 〈続きを読む〉

池鯉鮒 (都築屋美廣、小松屋本家)

chiryu.JPG愛知県知立市。鯉や鮒が泳ぐ池や沼地が多かったことから、昔は池鯉鮒とも書かれたこの地は、慶長6年(1601)の東海道制定以前は、街道から外れてはいたものの、古くから城砦を擁し、木綿市や馬市の立つ日には賑わいを見せた要地だった…… 〈続きを読む〉

鳴海 (菊屋茂冨、三寿園)

narumi.JPG池鯉鮒宿から阿野の一里塚、桶狭間古戦場跡を経て、道は国道一号線と別れて間の宿・有松へと旅人を導く。徳川五代将軍綱吉の頃から急速に発展した絞り染めで潤った有松には、豪商たちの威風堂々たる塗籠造りの商家やなまこ壁の蔵が今も…… 〈続きを読む〉

宮 (きよめ餅総本家)

miya.jpg中部地方の一大都市、名古屋。その中心地は今は栄辺りだが、昔はむしろ、お城に近い栄以上に、東海道は宮宿のあった熱田の方が賑わいを見せていたと言われている。桑名へと渡る七里(約27km)の渡し付近には旅籠が250軒も軒を連ね…… 〈続きを読む〉

桑名 (とらや老舗、安永餅本舗 柏屋、納屋清、永餅屋老舗、花乃舎、たがねや、長栄堂、かぶら煎餅本舗、玉川軒老舗)

kuwana.JPG宮宿から海路を七里(約27キロ)、東海道の旅はいよいよ伊勢路へと差し掛かる。その玄関口となる桑名は、松平十一万石の城下町であり、東海道五十三次中42番目の宿場町、また良港を持つ港町として栄えた町である。船を下りると…という設定は…… 〈続きを読む〉

四日市 (笹井屋、岩嶋屋、紅屋、嶋小餅店、三瀧屋、金城軒、花月堂、大福餅本店)

yokkaichi.jpg桑名方面から朝日、富田を経て歩を進める。途中、町屋川、朝明川、米洗川、海蔵川を渡るが、川原町を過ぎて5つめの三滝川を渡った辺りからが、四日市の宿内となる。いわずと知れた日本有数の工業都市、四日市。この街の名を聞くと…… 〈続きを読む〉

石薬師

ishiyakushi.jpg四日市を出て、日永の追分で伊勢海道と別れて近鉄内部線沿いに東海道を進むと、道はやがて、采女の里に入る。その昔、とある采女(下級女官)が宮中でちょっとした失敗をおかし、天皇を怒らせてしまった。しかし、機転をきかせてお詫びの歌を…… 〈続きを読む〉

庄野

shouno.jpg石薬師宿を出て、国道と田んぼを縫い進みながら道をゆくと、わずか3キロ弱で東海道45番目の宿場、庄野へと行き着く。他の宿場町より少し遅れて寛永元年(1624)に設置された庄野宿だが、文化12年(1815)には人足・伝馬を半減されている。当時から…… 〈続きを読む〉

亀山 (瑞宝軒)

kameyama.JPG亀山というとまず思い浮かぶのが、ロウソク。全国7割のシェアを誇る一大産業だ。亀山市に入ると、路面にもロウソクを甲羅に立てた笑顔の亀が描かれているのがおもしろい。しかし、このコミカルなイメージは宿場内のしっとりとした雰囲気に一蹴され…… 〈続きを読む〉

関 (深川屋、前田屋製菓)

seki.JPG江戸から47番目の宿場町、関。古くから交通の要所として重視され、その名も壬申の乱(672年)の頃に古代三関のひとつ、伊勢鈴鹿の関が置かれていたことに由来する(他の二関は美濃不破、越前愛発)。江戸時代にも東の追分からは伊勢別街道…… 〈続きを読む〉

坂下

sakashita.jpg関宿を出た後、室町時代の大絵師・狩野元信がその美しさを絵に留めようとするも断念して絵筆を捨ててしまったという逸話の残る筆捨山を見上げながら、曲がりくねった山道を上っていく。やがて辿り着くのは、東海道48番目の宿場町、坂下だ…… 〈続きを読む〉

土山 (高岡孝商店)

tsuchiyama.JPG「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」
馬子よろしく唄いながら鈴鹿山を下ってくると、左手に大きな杜が見えてくる。田村神社だ。平安初期の弘仁13年(822)に創建されたこの神社に鎮座するのは、征夷大将軍・坂上田村麻呂である…… 〈続きを読む〉

水口 (一味屋、長田屋)

minakuchi.JPG土山から何度か国道を横切りながら進み、山川橋を渡ると、東海道50番目の宿場町・水口に着く。京から伊勢に通じる街道の要所にある水口は、古くから開けた土地だった。宿場町であると同時に、城下町でもあった水口。水口城の期限は、秀吉の…… 〈続きを読む〉

石部

ishibe.jpg水口の宿を出てからは、横田の渡しのあった横田川(野洲川)を渡って石部を目指す。途中の大沙川、由良谷川は天井川で、トンネルになっている川の下をくぐることになる。季節によって川が水で満たされることもあるが、通常は乾いた水路だけが頭の…… 〈続きを読む〉

草津 (うばがもちや)

kusatsu.jpg東海道と中山道というふたつの大きな街道の分岐点として賑わった草津宿は、江戸から52番目の宿場町だ。現存する本陣としては最大級と言われる草津宿本陣は7年もの大改修の末、近年になって一般公開され、宿場散策の拠点となっている…… 〈続きを読む〉

大津 (藤屋内匠、餅兵、亀屋廣房、三井寺力餅本家、鶴屋益光、鶴里堂、角安本舗、下村製菓所)

otsu.jpg古くから軍事・交通の要衝であり、京の宇治橋と山崎橋と共に日本三古橋と呼ばれる瀬田の唐橋を渡ると、旧東海道は石山の町並みに入ってゆく。瀬田川沿いを南に行けば、紫式部が『源氏物語』を創案したと伝えられる石山寺にたどり着く。東海道は…… 〈続きを読む〉

三条大橋

kyoto-sanjo.JPG「みきハ京ミち ひたりハふしミみち」
山科の追分に置かれた標石(複製)に刻まれた文字である。これに従って、伏見を経て大阪に向かう者は左の道を、京へ向かう者は右の道をとる。今回はもちろん、右の下り坂へ進んで…… 〈続きを読む〉