以前、長崎を旅した折に、ふと目について立ち寄った菓子屋があった。そこの名物菓子を一折求めて土産にした。それが、一口香〈いっこうこう〉である。一口香が長崎名物であるということは、ずっと後になって知ったのだが、ふらりと行った街で偶然求めたその菓子の味が妙に忘れられず、数カ月後に店に手紙を出してもう一折送ってもらった。
送ってもらった菓子を食べて思い出したかったのは、その菓子の味だったのか、旅の思い出だったのか…。それは今でも分からずじまいだ。あなたにもそんな経験はないだろうか。
旅の味は、格別な思い出――それは、いつの時代も同じである。遠い昔、まだ電車も車もなかった頃、旅人達は街道を歩いて旅していた。
江戸時代初期、それまであった街道は、主に軍用道路として本格的に整備され、それに伴い宿駅制度ができた。宿場町には旅籠や飲み食い処が軒を連ね、菓子をひさぐ店も増えていった。
やがて戦乱の世が終わり平和が訪れると、街道は諸藩大名の参勤交代の公式ルートとして、また庶民の道としての性格を強めていくことになった。江戸時代の旅人達は、茶店で歩き疲れた足を休め、湯茶と菓子で一息つきながら道中の椿事や苦労話を語り合ったのだろう。砂糖などの甘味が貴重だった当時、甘い菓子は旅人達にとって、とっておきの贅沢だったのだ。
そして今なお、江戸時代の旅人達をもてなした味は、幾世代もの時代を超えて受け継がれ、私達の舌を楽しませてくれている。日本各地の街道を歩いていると、そういった昔ながらの菓子を造り続けている老舗に出逢うことがある。
幕末の動乱、宿駅制度の廃止、鉄道敷設に伴う街道の衰退、大戦と空襲、自動車の普及と高度成長期を経て、大手資本がモノをいう現代…時代が移ろう中、街道に佇む小さな小さな和菓子屋は、変わることなく、そこにあり続けた。なぜだろう。
それは、菓子司達の気質とプライド、そしてそこから生まれる特別な味が愛され続けているからではないだろうか。
街道に、宿場町に歴史があるように、ひとつひとつの老舗とその名物菓子にも歴史がある。参勤交代途中の大名に献上された菓子から、弥次さん喜多さんのような旅人が番茶と一緒に頬張った素朴な菓子まで、街道沿いには知られざる銘菓がまだまだたくさん残されている。
あなたもちょっと歩いて、歴史街道沿いにお気に入りの和菓子屋さんを見つけてみませんか。



和菓子街道の道しるべ
街道 index
東海道(日本橋~三条大橋)
東海道は、幼い頃からいつも私の身近にあった。それは「国道1号線」であり、「東名高速道路」であり、「JR東海道本線」であり、「東海道新幹線」であった。もちろん、「旧道」と呼ばれる本来の「東海道」も、いつも私の側にあった…… 〈続きを読む〉
佐屋路(宮~佐屋)
東海道五十三次中、旅人が海路をとるルートは主に2箇所あった。ひとつは浜名湖を渡るルートで、舞阪の今切の渡しから新居の関所の敷地内に直接、船がつけられた。もうひとつは尾張の宮宿から七里の渡しと呼ばれる海路を経て…… 〈続きを読む〉
姫街道(見附~御油)
引佐細江、乎那の峯と、万葉歌の歌枕にもなっている地を通る鄙の道、姫街道。見附宿または浜松宿から東海道と分岐して、浜名湖北岸を廻って御油宿で再び東海道と合流する姫街道は、東海道のいわゆる脇往還として知られている…… 〈続きを読む〉
伊勢街道(日永追分~伊勢)
伊勢に行きたい伊勢路が見たい~江戸時代、東海道を旅した人々の目的地は、どこだったのだろうか。商用で京へ向かう人、故郷へ帰る人、物見遊山の旅を続ける人など、目的も辿り着く先も様々だったに違いない…… 〈続きを読む〉
NEW! ・・・・・・ 2008年05月29日: 伊勢街道の上野宿のページをアップしました。
・・・・・・ リニューアルに伴い、新たに追加したお店は以下の7軒です。
【東海道】 品川宿「志ら井」、大磯宿「みせ吉本店」、掛川宿「榊屋」、岡崎宿「近江屋」、鳴海宿「菊屋茂富」、大津宿「辻末」
【伊勢街道】 神戸宿「丸川製菓」
HOME